負け犬の遠吠え
豪快なインステップから繰り出されるスリークォータースロー。
肘の使い方が巧みで、、鞭のようにしなる腕が無理なく速度を与えて白球が空中を疾走する。
ペシェットの投げ終わりに際し、オレは腕の振りに注目。挙動は直球と同じ。指先の向きも。ただ、念のためツーシームへの意識を頭の片隅に置いておく。
急角度で内角の真ん中を突き進む白球。変化するか否か、差し込まれるのを覚悟した上でギリギリまで引き付ける。そして、
(変化した――!)
方向がカットボールと逆、つまりはツーシーム。足を踏み出し、バットを伸ばして外に逃げていく球に追随。当たったのはバットの尖端。またもファール。残り五球。
「ちょっと、なにやってるのッ⁉」
グラウンドのダグアウトから身を乗り出して憤慨するのはアコニス。
勝負も中盤に差し掛かり、少しずつ終わりが見えて来た。だからこそ、未だにやられっ放しのオレが不甲斐なく映っているのだろう。心なしか、彼女の顔には焦燥みたいな色が滲んでいた。
そんな彼女の不安を察したのか、チームメイトのミニュイたちが口々に声援を送ってくれた。
「任せろ。勝負はまだまだ、これからだぜッ!」
これで持ち球は全て出揃った。寧ろ、こっからが本番。
(さてと――)
スパイクで削れた打席の足場を均しながら、オレは初球からこれまでの配球を振り返る。
初球はインハイの直球、次にインローのカーブ、スライダー、カットボール、最後はツーシーム。
相手はスライダー系の変化球が得意な本格右腕。
確か、ミニュイの話によればスライダーを多投する傾向にあるから、決め球は恐らくスライダー。であるならば、
(最後はスライダーで決めに来るハズ……)
とすると、直前にカーブでタイミングを外したり、直球への意識を擦り込む公算が高い。
相手はこれまでの対戦相手で最上級。狙い球を絞るなら、スライダーの一択だ。
(ぶっちゃけ、直球一辺倒でコースが真ん中に偏在していたアコニスと比べると、明らかに格上なんだよな)
本人には絶対言わないけど。
この際、カットボールとツーシームは捨てる。律儀に球種をもう一巡させるとは、正直考えにくい。大方、その二つは注意を散漫にさせるための布石だろう。
(よし。まずはスライダーにヤマを張るか)
十球目をスライダーにするなら、どこかで必ずもう一度放って反応を見たいハズ。
「サッ 来ぉ―――――いッ!」
足場を踏み固めたオレは、再び居合打法に構えた。
それを受け、マウンド上のペシェットが満を持して大きく振りかぶる。腕がしなって鋭いスイングを生み出す。加速が充分に乗った球がグラウンドの上に白線を描く。
(直球かっ!)
オレは一瞬で理解した。そりゃそうか。なんせ、初球は空振りだったんだから。
でも、負けねぇ。差し込まれながらも鋭い抜き撃ちで豪速球に追随。軌道が弧を描くバットで球に届かせる。
(行けっ)
切り手の運指で力の限り振り抜く。しかし、肘を上向けてしまい球は逸れて一塁側の芝に覆われた土手の方へと消えていった。
「あー、クソッ 最後、しくったなぁ……」
結果がファールで思わず眉間に皺が寄る。まだまだ詰めが甘い。
「ん?」
振り向くと、腰を浮かせた捕手が呆然と打球方向を見詰めていた。
「…………」
マスクの下には驚愕の表情が張り付いていた。信じられないものを見るかのように。
「ふ~ん。やっぱ、あれだけの豪速球が打たれるのって珍しいのか?」
オレの質問にハッとした捕手は途端にあたふたと挙動不審になった。
主審から球が渡されるとようやく落ち着きを取り戻し、わざとらしく咳払い。
「……別に」
補球した捕手は、ロージンバッグで指先に石灰をまぶしたペシェットに無言で返球した。
(いや、全然別にじゃないだろ)
大事件の部類に入るだろう、間違いなく。マスクを正し、しゃがみ込む彼女に心の中でツッコミを入れた。
残り四球。だがこれで直球が投げにくくなった筈だ。それは収穫。
しかし、七球目も直球。外角低めに決まった。振り遅れたバットは空気を虚しく叩いただけだった。
「ヤロウ……ッ」
堅実かと思ったらさに非ず。中々に好戦的だ。
(いいねぇ。大好きだぜ、オレはそういうの)
寧ろ見直した。やはり、攻めのピッチングこそ至高。
次は恐らくカーブ。ここは待球してスライダーに備える。
神経を鋭敏にし、リリースポイントを注視する。過剰な集中で時間が引き延ばされる感覚を味わいつつ、その瞬間を待った。球が浮き上がらない。
(スライダー⁉ いや、違う。これは――)
外角低め。直球よりも少し中心よりの軌道で来るのは恐らくツーシーム。外側に逃げていく球にバットで追い縋り、堪らず膝を着いた。残り二球。
(狙いが外れた? いや、とっさの即興だこんなの)
動揺する程のことじゃない。一旦深呼吸して気持ちを落ち着ける。
九球目こそカーブ。しっかり待球し、手は出さない。
(うん。間違いなくスライダーだろ、最後は)
これで条件は整った。腰を沈めて再び構える。
「あと一球、あと一球」
決闘を聞きつけ一、三塁を取り囲む芝生に覆われた土手で行く末を見守っている観客の生徒たち。その内の誰かが手拍子して囃し立てた。
それは生徒間に広がり、やがては群衆が一体となって大合唱に発展した。
彼らは期待しているのだ。生意気にも決闘に臨んだ編入生をエースが伝家の宝刀で勝利することに。
ここにはオレの勝利を望む人間は一人もいない。圧倒的《》適地感。
会場全体から放たれる拒絶の意志に肌がヒリつく。
(ああ、いいねぇ。試合してるって感じするわ)
高揚したオレは獰猛な笑みを浮かべた。これくらい、何の問題も――
「や か ま し い ッ !!」
あらん限りの怒声で吼えたのは、誰であろうペシェット。コライユは先程から戸惑っている様子だった。
「これはあくまで、私たちの決闘だ! 別に静かに見る分には構わん。だが、邪魔をするなッ!!」
殺気立った視線で観客を射貫けば、今度は一転して水を打ったように静まり返った。
ペシェットはマウンド上で大きく深呼吸。その後で、オレに白球を突き出してきた。
「これで最後だ」
「ああ」
準備万端のオレは短く答える。
沈黙の中、この場を支配するのは緊張感。耳鳴りすら聞こえそうな静寂にあって、二人から漏れ出す闘志が空気を軋ませる。
ワインドアップ。投球動作が開始され、磊落するように踏み出される一歩。打者を幻惑する一瞬の溜め。そこから放たれる、渾身の一球。
内角低め。オレの腸を抉りに来る速球。
やはり最後はスライダー。打席一杯に足を開き、身体に沿わせたバットで斬り込んで来る白球を迎え撃つ。
だが――
(なっ――)
変化量が大きい。軌道の予測が外れ、球を真芯で捉え損ねた。
(くおおおおおおお――――っ)
バットの先端まで神経を走らせ、弛まず、さりとて張り詰めず、低空より掬い上げ押っ付けながら球を弾き返す。
「……ッ!」
悔しさのあまり歯噛みした。案の定、舞い上がった打球には勢いがない。少しの間空中を彷徨った後、球は途中で失速し緩やかに落下して内野にほど近い芝生の上を跳ねた。
これが正式な試合だったなら、結果はショートフライ。
球威に負けたオレは打ち取られていた。
「クッソがああああああああああああああああああああああッッ!!」
怒りに任せて地面を殴りつけた。
何度も、何度も。燃え滾る衝動が身体の中で荒れ狂い、とても冷静ではいられなかった。
怒気で醜く歪んだ顔は火が噴き出るくらいに熱い。
読み切ったのに。球威で押し切られた。相手が自ら課したハンデを考えれば、オレは正面切って戦った挙句、地力で負けた。
完敗だった。
「この勝負、フレーヌ・アベラールの勝ちとします!」
だからこそ、不本意な形での勝利に喜ぶことなんてできる訳がなく、
「あああああああああああああああああああああッッッ!!」
焦燥と敗北感に苛まれたオレは、吠えることしかできなかった。




