顔合わせ
残り九球。これは十球勝負で一回でも前に飛ばせば相手の勝ち。逆に一度も前に飛ばせなければわたしの勝ち。もちろん球はストライクゾーンに入れるのが大前提。
これは非合法な賭け試合。観客席の金持ち共が大枚叩いてわたしたちの命をもてあそぶ。
一人残らずわたしの剛速球で頭をかち割ってやりたいが、そんな事をすればただでは済まない。
全ては今日を生きるため。そのために、お母さんから受け継いだこれを武器に、相手を叩きのめす。
スパイクで砂を噛み、再び構えた。
(お母さんのコレは、無敵なんだ――――!)
二投目。遅れてバットが空を切る。まったくタイミングが合ってない。
それもその筈。背中の肩甲骨をくっつけ腕を引き絞った際、球を持った手を後頭部に隠す。
更にそこから肘を跳ね上げて腕を振り、リリース直前まで相手に対し球を見せない投球フォーム。
打者にとっては投げ放つ瞬間に突然球が現れるから、極めてタイミングが取りにくい。
風を斬り裂く剛速球でそれをやるのだ。打てるわけがない。
三球、四球、五球目。ことごとくバットは空振り。ミットに収まってから一拍以上空いたスイングでは、触れるわけがなかった。
必死の形相で食らいつくも、ジリジリと焦燥が相手の胸を焦がしているのが分かる。
照明の下で輝く自分が、絶対的強者として君臨しているという万能感。
脳髄を駆け上がる快感が堪らなく、病みつきになる。
わたしはわき上がる興奮に頬を染め、うっとりとして吐息をこぼした。
気持ちいい。ずっとこの瞬間を、陶酔を、味わっていたい。
オフリオから投げられた球が、わたしを正気に戻す。あまり時間は掛けていられない。再び振りかぶり――
「そこまでだッ!!」
怒声が地下に響き渡る。何事かと構えを解いて観客に目を向ければ、鎧を纏い剣を携える連中が大挙として押し寄せてきているのが見えた。
「え……?」
意味が分からない。なんだ、これは……?
荒事に対処する筈の男共は成す術なく斬り殺されていた。向けられる白刃に怯え、抵抗を諦める観客たち。
「何を呆けてやがる!」
「え――」
肩をつかまれて振り向くと、真剣な顔のオフリオ。
「さっさと逃げるぞ」
「え、でも――」
「いいから」
戸惑うわたしの手を引こうとする。だが――
「待ってもらおうか」
上から言葉が振って来た。見上げると、純白の双翼を広げる男装の老婆。
翼をはためかせて砂の上にブーツで立つと、長い刀身をこちらに向けて来た。
怖がるわたしを、オフリオが庇う。毛を逆立て、殺気と敵意を剥き出しにして。
「用があるのは、そこの娘だけなのだがな?」
「そりゃ、日取りが悪いぜ。出直してこい」
「ほぅ……?」
楽しげに目を細める老婆。殺意を剥き出しにする屈強な大男を前に緊張するどころか、楽しげに口角を吊り上げる。
余裕しか感じられない姿に、わたしは不安が込み上げて仕方がない。膝が笑う。
「グルゥアアアアアアアッッ!」
獣のような雄叫びと共に、逆手に持ったナイフを振り上げ躍り掛かるオフリオ。
あろうことか、老婆は構えを解き、振り下ろされた一撃を事も無げにかわして横っ腹に蹴りを見舞った。
よろめきながらも踏ん張る相棒。そこに追い打ちの蹴りが後頭部を襲った。彼が砂場に沈むと、気絶したのかそのまま動かなくなった。
「――そうだ。まだ、名を聞いていなかったな。儂の名はソラニテ」
「…………。アコ、ニス」
穏やかな尋ねられ、思わず答えてしまった。
「そうか。良い名だな」
「え――――?」
老婆は微笑みを浮かべた。欲望と暴力がうず巻く地の底で。
凛々《りり》しさの中に優しさをにじませるソラニテ。そんな彼女に、わたしは目が離せなくなっていた。
「儂と一緒に、甲子園を目指さぬか?」
その言葉の意味を、わたしは知っている。
『アコニスもいつか、甲子園に出られると良いわね』
亡き母との会話を、わたしは思い出していた。
〇 〇
ソラニテの屋敷に転がり込んでから、もう二週間が経った。
戦闘のどさくさで置き忘れた衣類や生活用品、冒険の必需品や野球道具一式まで。
全てソラニテの厚意で買い揃えさせてもらった。
今、この場には居ない彼女に感謝しつつ、オレは日課の朝練のために中庭へ出ていた。
朝の五時はまだ日が出ておらず、白み始めた空の下で夜気の残り香が頬に冷たい。
バットのグリップを両手の五指で握り、ひんやりとした空気を一瞬で斬り裂く。
まずは基本通りに構えての素振り。
「フッ」
唸る風。再び構え直し、もう一度。背骨を中心とした体軸を意識しつつ、腕を自由落下に任せることで肘の重さを出し、その重量をヘッドの加速に転化。
そうすることで、より鋭いスイングへと昇華させることができる。
これを基本の形としてまずは百本。次にシュートやスライダー、カーブにフォークといった変化球を想定した素振り。それが終わると、ストライクゾーンの枠の出し入れを想定した素振りをそれぞれ十本ずつ行う。
最後の締め括りとして、居合打法での素振りを百本。
程よい疲労感によって無駄な力が抜け、無理のない動作の反復に努める。
百本が終わる頃には、汗で服が皮膚に張り付き、身体も鉛のように重くなる。
そんな中で始めるのは闘気の鍛錬。
魔力を解放し、高揚する精神が疲労感を減じる。体内にくまなく染み渡らせることで生命力と混ざり合い、それを体内で循環させることで活性化させた。
身の軽さが心地よい。この状態で抜刀術を鍛錬。限界を超えた加速を身体に感じ、圧し掛かる負荷との鬩ぎ合いの中で白刃を振るった。
〇 〇
双角の偉丈夫、有角人のエルネストが屋敷にやって来たのは丁度朝食が終わったタイミングだった。
食堂を出て広間に出ると、防寒着を着込んだ彼と対面した。
「おう、お前ら。元気そうだな」
呵々《かか》と肩を震わせ笑い飛ばすエルネスト。そんな彼にオレは会釈し挨拶した。
「おはようございます、エルネスト様」
エルネストの大笑に気が付いたドロテアが食堂から出て来ると、彼に恭しく頭を下げた。
「それで。今日はどのようなご用件でしょうか?」
「おお、そうだった」
首を後ろに回し、誰かに声を掛ける。すると、長身の少女と大男がエルネストの前に進み出た。
黒いレースのフリルが飾り立てる真紅のドレスを纏うのは長身の吸血族。名はアコニスという。
他方、毛皮の腰巻に黒い獣毛が全身を覆う豹頭の男は獣魔族のオフリオ。
二人の名をエルネストがオレたちに紹介した。
「アコニスは学習院に編入、オフリオはここで庭師として雇うらしい」
全てはソラニテの決定。詳しいことは手紙にしたためたらしく、ドロテアはエルネストから頂戴した。
「仲良くしてやってくれよ、二人とも」
「は、い……っ」
大笑しながらバンバンとオレの肩を叩くエルネスト。かなり痛い。床にめり込みそうだ。
それからオレたち二人も、簡単な自己紹介を済ませる。
邪魔したな。高笑いを響かせながら双角の偉丈夫は去って行った。
「…………」
残されたのは、どこか所在なさげな長身の少女と腕を組む獣頭の大男。
「それで、お二人は食事を摂られましたか?」
「――っ」
「いや。まだだ」
メイドの質問に腹の音で答える少女。よほど恥ずかしかったのか、赤面して俯く。
そんな彼女を庇うようにオフリオが前に出てドロテアに向き直った。
「わかりました。それでは食堂へご案内します」
では、こちらへ。行く手を差しながら踵を返すメイド。悠然と歩く背中に二人が顔を見合わせていると、アコニスの腹が鳴った。俯けた顔を紅潮させ肩を震わせている。
「ほら、いくぞ」
「あ、まって――」
慌てて駆け出す少女を見送り、オレたちは自室へと戻った。一瞬、アコニスがこちらを一瞥した気がして振り返ったが、見えるのは背中から生えた赤黒の蝙蝠羽。気のせいだと結論付け、二階に上がるピティエの後を追った。




