払う代償
さすがのソラニテも想定外だったのか、愕然としていた。その隙を突いて風を切る矢。射抜かれ倒れ伏す疾鳥。緊急脱出した彼女は辛うじて地面に着地した。
「ええいっ 正面突破だ。我に続けッ!」
広げた両翼が白く輝く。彼女は女神の神殿で洗礼を受け『聖痕』を賜っていた。
『聖痕』は治癒などの『神の奇跡を行使する権能』を譲り受けた証。
そして彼女の授かった権能は『風迅』。迸る颶風を操る能力。
純白の翼が羽ばたくと、空気が爆発。叩き付けられる風圧に堪らず目を閉じた。
目を開けるとそこに彼女の姿はなく、純白の双翼は視線のはるか先に居た。
「さあ、早く。急いで!」
コルネリウスに急かされ、オレは全力疾走――
「きゃあっ」
悲鳴。振り返ると転倒した彼女は杖を取りこぼし、道に五体を投げ出していた。
「ピティエっ!」
踵を返すオレに矢が強襲。夜目でも分かる。鏃が眼前に迫っていた。
それを、透明な壁が弾き返した。
防御術式。矢の角度から、ペンダントが無ければ即死だった。心から祖母に感謝した。
「大丈夫か?」
「足が……っ」
声をひそめて尋ねると、声色には悔しさが滲んでいた。
「しっかり掴まってろ。あと口閉じて」
「ちょ――」
ピティエをお姫様抱っこすると、頭上で剣戟音。直後、コルネリウスが敵を蹴りつけていた。
「モタモタしないで下さい」
「わかった」
地面に転がる杖を蹴り上げ、ピティエにそれを取らせると前方に大きく鋭く跳躍。
殿にコルネリウスを残し、脱兎のごとくそこから離脱した。
オレは弓矢の直撃を警戒して街道の脇を蛇行しながら跳躍を繰り返す。
しかし、振り切れない。相手も執拗に追撃して来る。
(何人で来てやがるっ⁉)
これでもオレは冒険者として、一年以上の経歴がある。擬魔法を使う魔物にだって、何度も互角以上に渡り合った。
冒険者の中でも腕が立ち、機動力のある方だ。それを取り囲みながら追い縋るなんて。
争奪戦には、相当な手練れが戦力として投入されているみたいだ。
周囲の気配から追手は五、六人。この速さだ、魔法使いは居ない筈。
それにしても、ソラニテの姿が見えない。『風迅』による風のざわめきも感じられない。
(まさか、倒されたん――)
再び視界が白く灼かれた。雷撃が暗闇を斬り裂く。立ちふさがる電雷に堪らず制動をかけた。滑る靴底が地面を抉る。
完全に囲まれた。もう、腹を括るしかない。
「立てるか?」
「はい、大丈夫です……」
やるぞ。覚悟を決め、息を弾ませるピティエに戦闘の意志を伝えた。魔風を纏う彼女と背中合わせで周囲の敵に注意を払う。構えた大太刀の先に敵影は見えない。
だが、居る。息を殺し、隙を窺って神経を尖らせているのが気配として分かった。
闘気を錬り上げて様子を窺う。警戒しているなら、こちらから仕掛けるまで。
「合図を送ったら、すぐさま伏せろ」
「はい……」
端的な指示に短く答える幼馴染。刀身に錬り上げた闘気を走らせる。回りの空気が緊迫した。
「今だ!」
蒼月流抜刀術『凍月』。円を描く横薙ぎが鋭い斬閃を飛ばす、遠当ての応用。
無形の氷刃が辺り一帯を斬り裂く。立ち並ぶ木々に真一文字の亀裂が走った。
先手を取れば、状況の主導権を握りやすい。野球でも実戦でも。
「前方に炎弾をっ」
片膝を着いたピティエが返事代わりに赫灼と燃える火球を投射。爆ぜる地面が炎を噴き上げる。彼女の手を掴んだオレはそこに向かって全力疾走、黒煙を突っ切って跳躍した。
「もう一発、撃ってやれ」
再びお姫様抱っこしたピティエに指示。
無言で後方に杖を突き出し、灼熱の炎が陽炎を揺らめかせて地面に着弾。追手の前に塵埃の紗幕が立ち塞がり、文字通り相手を煙に巻いた。
脇の森林から再び街道に上がり、オレは街へと急いだ。
ソラニテとコルネリウス、もう一度二人に合流できると信じて。
「ッシャアアアアアッッ!」
「――ッ!」
着地際、背後からの強襲を宙返りで躱す。振り返ると、追手は振り切れていなかった。
闇色に包まれた刺客が空中を跳んで躍り掛かる。
蒼月流抜刀術『霞月』。相手の爪撃を逆しまにした大太刀で受け流し、その反動を利用して肩口を斬。晦冥の森に鮮血が散る。
「オオオオオオオオオオッッ」
背後で閃く白刃を振り向きざまに受け止め鍔迫り合い。蒼月流抜刀術『朧月』。大太刀の刃部、支点を僅かにズラして押し込む。相手の肩口に大太刀が食い込んだ。
堪らず膝を着いたのを見計らって刃を引き、後ろに向かって横薙ぎ。
包囲網が緩んだ。その隙を突いて採るべきは逃げの一手。今度こそ振り切った。
周囲を警戒しながら、オレは大急ぎで森の出口を目指す。
そして、遂に抜けた。急に視界が開け、星々の瞬きが飛び込んで来る。闇に沈む草原が地平の先まで広がっていた。頬を撫でる涼風が解放感を掻き立てる。
敵影無し。ひとまず危機は去った。
「よし、抜けたぞ。大丈夫――」
視線を腕の中に落とせば、抱えていたピティエが力なく項垂れていた。
「あ――――」
毒だ。おそらく、足首を掠めた鏃に塗布されていた。
弱音も吐かず、そんな状態で戦っていたのか。彼女の壮絶な覚悟にオレは脱帽した。
こんなことがないように、彼女が命の危機に瀕する事がないよう、常に警戒して護り続けていたのに。
これではこの身体に合わせる顔がない。
「しっかりしろ。今すぐ解毒用の回復薬を……」
携帯していた腰元の鞄を開け、オレは回復薬を探す。そこへ、
「大丈夫か?」
声が降って来た。空を仰ぐと、緑の燐光を放ち純白の双翼を広げるソラニテがゆっくりと下降して来る。
「どれ」
顔面蒼白のピティエに彼女が手を翳す。『治癒の奇跡』。周囲から翠碧の光を帯びた微風が舞い上がり、それに照らされた少女の顔色がみるみる赤みを帯びていった。
「…………」
毒が抜け切ったのか、今は安らかな寝息を立てていた。
「よかったぁ……」
半身が捥がれるような喪失感から解放され、涙で視界がぼやける。
オレも安堵から気が抜けて、思わず涙腺が緩んでいた。
「安心しろ。入り口に張っていた敵は全て片付けた」
「え――――?」
暗晦の視界でよく目を凝らすと、倒れ伏す黒衣。
吹き飛ばされたのか、十人ほどが草原の上に五体を投げ出し点在していた。
起き上がってくる気配はない。完全に事切れていた。
「なん、で…………?」
いや。それはわかっている、本当は。
別に死体を見るのも、これが初めてではない。
それでも、質さずにはいられなかった。
「わかっていると思うが、敵も手練れだ。そう易々《やすやす》と手加減できるような、生半な相手ではない」
「そういうことじゃねえんだよっ!」
渦巻く激情に任せてオレは吠える。そんなことが聞きたいんじゃない。
「なんで…………っ なんで、人が死ぬんだよ……?」
たかが野球のために。勇者パルフェは平和を願って普及させたハズだ。それなのに。
「だからこそだ」
「は?」
「平和を希求した勇者の願いに反し、今は野球のために人が死ぬし、人生も狂わされる。そんな現状を変えるために、儂は甲子園優勝を目指しているのだ」
胸を張り真っ直ぐオレを見詰め、決然と言い放つ。
月に照らされ凛とした佇まいに、オレは言葉を失い引き込まれた。
目が、離せない。
「学長っ!」
森から脱出したコルネリウスが叫ぶ。
「よし。では、行くぞ」
立て。促されるままオレは重い腰を上げ、駆け出す二人に追随した。
踏み出す足はひどく重く感じられる。それでも、止まることは許されない。進むしかないのだと、自らに言い聞かせる。
打ち捨てられた屍は見ないことにした。




