新たな日常
翌朝の食堂で、イグニアたち特待生が議論する食卓にてメルキュールが尋ねた。
「そういえば。昨日、誘拐事件の裏で研究棟が襲撃にあったんですが、こっちの寮は何もなかったんですか?」
イグニアやドマージュ、メディカたちは顔を見合わせるも、頭に疑問符を浮かべていた。
「一体何の話だ?」
ルシオルがメルキュールに質問を返した。
研究棟襲撃事件。それは、アコニスが誘拐され皆で捜索していた裏で起こった事件。
なんでも、研究棟の各所で様々なトラブルが同時多発的に起こったのだとか。
部屋に休眠させていた魔法陣が暴走して部屋が半壊したり、
誰も居ない中で扉の迎撃用の術式が誤作動したり、
開発中の薬品が過剰反応で爆散したり、
誰も触れていない筈の備品が壊れて魔法が暴発したり、
とにかく雑多な暴走・誤作動に巻き込まれた生徒たちで研究棟は騒然とし、誤解や疑心暗鬼で一触即発の険悪な状況になったらしい。
三峰機関はそれを、誘拐事件の捜索を妨害するための陽動作戦と位置付けて教員たちと捜査をしているらしい。
「物騒な話もあったもんじゃのぅ……」
アコニスの隣で欠伸を噛み殺すヴェニュス。研究棟は最上級生専用の施設だが、彼女は殆どそこに出入りしないので、暢気なものだった。
「まあ、ラタトスク《ウ チ》寮ではそんな事件は無かったな」
アクサリウスの言葉に、トリスタンたちはしきりに頷いた。平和で何より。
「それって、そんなに深刻な話なのか?」
「ええ。まあ……」
アルジャンの問い掛けに、メルキュールは視線を逸らして言葉を濁した。
ヴェニュスが掘り下げると、看過できない問題が浮上して来た。
研究中の新薬が失われて複雑な工程は勿論、希少な素材の収集から手を付けなければならなかったり、暴発に巻き込まれて怪我のせいで病床に伏せって研究が中断したり、研究が中断・散逸したりといった弊害が頻発したらしい。
それに対し言葉を発したのはヴェニュス。
「……ふむ。一度はワシと机を並べ、切磋琢磨した仲の者も居るしのぅ。助けが必要であれば、ワシも協力は惜しまぬよう、取り計らおうぞ?」
神妙な顔で頷くと、再び欠伸で「ふわぁ~」と大口を開けた。
「よし、お前ら。出番だぞ?」
「は?」
アルジャンの一言に、イザイアたちが目を剥いた。その様子に分かってねえなと肩をすくめる。
「要は、その研究とやらにお前らも一枚噛めって言ってんだよ」
上級生たちも持ち出しの研究資金でやっている訳ではない。そこで、その資金を当て込んで共同研究をする。うまく行けば成功報酬が稼げる。
「それに、だ。野球部の時みたいに意外なビジネスチャンスが舞い込んでくるかもしれないぜ?」
「ビジネスはともかく。インスピレーションや発想の進取は興味深いな」
意外にもイザイアは乗り気だった。
「なるほど。そういうことなら……」
「話を聞くだけでも、面白そうだな」
口々に好意的な反応を示す。
「ならば、ワシも手を貸そう。ワシの口添えがあれば、紹介も渡りが付き易かろう?」
「決まりだな」
ニヤリ。守銭奴は勝ち誇った笑みを浮かべた。
それを横目にオレがシチューをパクついていると、後ろから声が掛かる。
振り返ると、制服姿のペシェットが居た。背中に垂らす桃色の三つ編みのように頬が染まり、少し所在なさげでしおらしい。これはこれでなかなか。
その後ろには相変わらずスリジエがすまし顔で控えていた。
「その、なんというか。派遣部員についての事なんだが……」
「はぁ…………」
派遣部員。そういえば発案の際、オレは特に期限を設けなかった事を思い出す。
「ああ。校内リーグも始まった事ですし。辞めますか?」
「そっ それは困る!」
派遣辞退を即座に否定された。発せられたのは結構な声量で、どうしても周囲の目を集めてしまう。
それに気付いた本人は顔を赤くして俯くばかり。
「ペシェット様。ご自身から申し上げにくいのでしたら不肖、このワタシが――」
「いや、いい」
自分で言う。自分の侍従に宣言すると、コホンと一つ咳払い。
凛と居住まいを正し、改めてオレに向き直った。
「その、交流自体は今後とも続けていきたいと。それが部の総意だ」
勇者パルフェの原本のこともあるし、今後はユニコーン寮もソレルみたいに色々と知識を要求されるであろう事は想像に難くない。
それ自体は問題ない。寧ろ、大歓迎だ。
本の知識によって学校全体の実力が底上げされれば、甲子園優勝がグッと近付く。
願ったり叶ったりだ。
「それじゃあ、今度はペシェットちゃんたちも来てくれる?」
テーブルから身を乗り出して希望に満ちた眼差しを向けるのはミニュイ。
「…………考えとく」
頬を染め、恥じらいながらそれだけ呟く。
「うん♪」
破顔した彼女はとても幸せそうだった。
朝食を終えて支度を整えると、いよいよ始業時間が迫る。
「合同実習が、待ち遠しくてなりません」
「まあ、こればっかりはなぁ……」
目一杯オレを抱擁するピティエ。耳元の声は本当に名残惜しそうだ。
「朝っぱらから熱烈ね」
「ひゅーひゅー♪」
「やかましいわ」
冷かしてくるリュクセラとペリエにオレは冷言をぶっかける。
「はい。フレーヌさまと私は、熱い関係なのです♪」
「お前もやめろ!」
頬を緩める幼馴染にツッコミを入れずには居られなかった。
「ねえ、さっさとして欲しいんだけど」
「? なんで?」
冷ややかな態度のニュアージュに首をかしげるのはアコニス。
なんでもヴェニュスの計らいで、これからはピティエとアコニスに男子生徒が護衛に就くそうだ。先日の誘拐事件は彼女にとって、相当腹に据えかねる案件だったらしい。
「まあ、そういうワケだから」
「おう。頼んだぜ」
ニュアージュの実力はともかく、ああして対外的な姿勢を示しておけば手を出しにくいだろう。オレは内心でここには居ないヴェニュスに感謝した。
「それでは、行ってまいります」
「おう。じゃあ、また後で」
昼に食堂でな。武芸科と魔法科、それぞれの教室へと向かっていく。
廊下の窓からは、春の陽気が降り注いでいた。
今日も、絶好の野球《》日和だ。
「より、やるか!」
全力で、野球を――――




