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TS球児は甲子園の夢を見る  作者: 三津朔夜


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突破口

 恐怖で身体が硬直するのが分かる。だが、それが一体どうしたといのか?

 マスク越しに、改めて主のことを見る。

 無邪気に野球を楽しむ姿。それを見ているだけで、心が洗われる思いだ。


(そうです。ワタシがこの人を、恐れる必要はありません……)


 烏滸おこがましい。対峙しているのはペシェット様。ワタシは陰のように主を支えるだけ。

 ならば最後は力押しで。直球によるクロスファイヤーを膝元へ。


 だが、ここでペシェット様から異論が出てしまいました。首を横に振ったのです。

 でしたらカットボールでしょうか? え、これも違う?

 困り果てた結果、ワタシは自分の中で一番あり得ない選択肢を提示しました。


 真ん中から膝下に落ちるスプリット。我が主はそれに頷くと、すぐさま投球を開始しました。累計、百四十四球目。

 そして、その結果は――――


「ストライク。バッターアウト!」

「よし…………ッ!」


 それを聞いた瞬間。ワタシははしたなくも思わず拳を強く握り締めてしまいました。


(いけません。侍女メイドとして、いかなる時も貞淑であらねば……)


 コホンと咳払いを一つ。その後でペシェット様の元へと駆けていきました。

 その瞬間、これはマズいとも。ワタシの緩み切ったニヤけ面でお目汚しをしてしまっては、今後の投球に悪影響を及ぼしかねません。せっかく、あと一人という所まで来たのに。


「どうぞ」


 全身のあらゆるところに力を入れ、無様なニヤけ面を見せないように。そのせいで、無愛想な言動になってしまいました。

 申し訳ございません、ペシェット様。ワタシは大いに反省しております。


「さすがにこの状況、緊張しない方がおかしいだろうな」

「え――――?」


 ――おお。ペシェット様は、本当になんと素晴らしいご主人様なのでしょうか。

 投球数は百四十球を超え、極度の疲労に苛まれている身であるというのに。

 ニヤけ面を見せまいとしているだけのいやしいワタシの事まで気遣って下さるとは。

 あ、そう言えば確かに緊張してますね。表情筋が。ニヤけ面を抑えるために。


「たしかに緊張も必要だが、あくまで程度問題だぞ?」

「はいっ!」


 ペシェット様の微笑みのお陰で、ワタシの卑しいニヤけ面が吹き飛んでしまいました。


「あと一人。きっちり抑えましょう!」

「ああ、そうだな」


 頬を上気させたワタシは鼻息を荒げ、勇んで所定の位置に戻りました。


「ツーアウト、バッター勝負!」


 内野陣の皆様が声を張り上げ自らを鼓舞するのを見届けた後、ワタシはマスクを被り直しました。

 勇者パルフェ様が構成に遺された野球は、教会が総括する厳かな祭典スポーツです。


 故に、ゲームセットまであとワンナウトになったところで無礼にも「あと一人」などと観客が囃し立てたりすることはありません。


 だからこそ――――

 ワタシはこの後、死ぬほど後悔する羽目になるのです。

 自分でくちにした一言に。


 〇                              〇


 元々ぼくは暗殺者の一族として生まれ、物心つく前から鍛錬に明け暮れた。

 数年前、ソラニテを暗殺し損ねた時。そこでぼくの人生は終わる筈だった。

 だが彼女との取引の結果、ぼくはエヴェイユの生徒になった。


 暗殺者の頃と比べると、授業なんてのはお遊びでしかなかった。

 野球もその一つ。ヒマつぶしの一環でしかない。

 それが変わったのは、フレーヌたちが編入して来てから。


 フレーヌは野球に対し、どこまでもひたむきだった。

 それが特に顕著だったのは、決闘の時。


『確かに勝負には勝ったけど。凡フライじゃ負けたのと変わんねぇよ』


 プライドが高く、面倒くさい人間だと思った。

 でも、それだけじゃなかった。

 決闘を経た彼女は、それから色んな人と関りを持つようになった。


 チームメイトは勿論、ユニコーン寮の人間にヴェニュスたち魔法師団の連中、それと毎日飽きることなく研究に明け暮れるウチの変人たちまで。

 フレーヌの野球にかける情熱が多くの人に伝播し、それを手助けしようと動き出した。


 彼女が持って来た教本でミニュイたちが上達を実感すると、目に見えて笑顔が増えた。

 みんなが野球を楽しみ出した。


 彼女が居なければ、こうはならなかっただろう。

 数だけ揃えた名ばかりの野球部が、本当の野球部になることなんて。

 だからこそ――


(ちゃんと、点を取ってあげないとね)


 現在、ぼくはすでにツーナッシング。アコニスよりも無様に、気のないスイングをして。

 文字通りチャンスを棒に振った。


(ま、計画通りなんだけど)


 マウンドに立つペシェットの顔が険しい。さっきまでの微笑は霧散したようだ。

 そりゃそうだろう。

 フレーヌとあれだけの勝負の後に、こんな気のないスイングを見せられれば。


 だから次の一球は、間違いなくストライクを取りに来る。

 捕手の気が緩んでいるのも、気配で解る。そういうのを明敏に察知する能力は暗殺者の必須技能。匂いを嗅ぐがごとく自然に感じ取れた。


 決め球に使うのは、おそらくスライダー。油断しているからこそ、低リスクで確実に決めようとするハズだ。

 それに、このバッテリーは同じ球を続けることはない。とっくに把握済みだ。

 一瞬制止したかと見紛う上体の溜め。もう既に慣れた。騙される事も無い。


(ほら、やっぱり来た)


 外に逃げていく変化球。それを思いっ切り打ち返してやった。


「よしっ」


 ライト前ヒット。暗殺者時代に培った俊足を活かし、球より先に一塁へ到達。


「もしかして、狙ってたの?」

「もちろん」


 ミニュイが質問して来たので素直に答えた。殺気や気配を殺すのは、暗殺者の専売特許だからね。


(よし。これで『作戦』が使えるよ)


 ぼくは次の打者に目配せをする。打席で構える動作の中で頷き返した。

 ペシェットが投げる途中、何回かこちらをチラチラ見て来ていた。

 ただこの時、ぼくは二歩くらいしかリードを取っていなかったので牽制はなかった。


 小さく頷くことで、投球に集中しているのが分かった。

 チャンスは一度きり。相手がステップを踏んだ瞬間、地を這うように全速力で疾駆。


 その際ブリュムがスイングを始動させた。これに阻まれる形で捕手は、二塁に投げられない。盗塁成功。


「ボール!」


 出したのはヘッドではなく、グリップエンド。ハーフスイングの判定でノーカウント。

 これでワンボール。


「くっ!」


 マウンドで悔しがる様子がよく見えた。塁にぴったり張り付くことで、相手は牽制球も投げられない。それはそれで気持ちが落ち着かないようだ。良いことを知った。


 プレートに足を乗せた状態からこちらを一瞥。正面に向いた瞬間にリードを少しだけ取る。投球に入る前に再び振り返ったので、すかさず帰塁。視線を合わせれば、苛立っていることが顔に書いてあった。分かりやすい。


 それからは投球ごとにチラチラ見て来たので、その都度チマチマ動いてやった。

 そして五球目。ペシェットはスライダーを捉えられ、打球は左中間の浅い所で跳ねた。

 バットに当たった瞬間には走り出したのでこれは間に合――


「レフト!」


 ゴージャスな金髪のお嬢様が声を張り上げる。それに気付いた左翼手が空中から片足着地と同時に送球。意外と強肩だったようで、球が速い。


「チィッ!」


 このタイミングだと際どい。全力で飛び、五体をなげうった。


 〇                              〇


 私は驚きに目を見開きながら、審判の裁定をじっと待つ。

 数秒にも満たない筈のその瞬間が、とても長い時間のように感じられた。

 判定は――


「セーフ!」

「よし!」


 間一髪。ヘッドスライディングが間に合った。

 ラシーヌちゃんが、珍しく喜びをあらわにする。そんな姿に、私は喜びを禁じ得ない。だって、彼女はこれまで、プレーに感情を乗せることはなかったから。


(ああ。本当に、変わったんだなぁ。このチームは)


 フレーヌさんたちが来てから。

 練習試合で勝ってから。この野球部は変わった。

 私一人の力じゃ、こうはならなかった。


(ありがとう、フレーヌさん。そして、本当にありがとうございます)


 私は心の中で一人、神に感謝を捧げていた。


「ミニュイっ 次はお前の番だ。必ず打て!」


 一塁のブリュムが私に発破を掛けてくれた。そうだ。感謝するのは今じゃない。

 それは全部終わって、勝ってから。


(私は、欲張りだ……)


 ペシェットさまとの関係が修復したのは嬉しい。でも、もうそれだけじゃ満足できない。

 勝ちたい。練習試合の時、みんなの前で宣言してからその想いが強くなった。


「行くよ、みんな!」

『ハイッ!』


 小気味よい元気な返事。それだけで――


「ストライク!」

「……ッ」


 クロスファイヤー。まだ球威は衰えてはなかった。

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