92話「期待を裏切らねぇゴミだな、ふざけやがって……!」
ドタバタ回の続きです。
よろしくお願いいたします。
10年以上も昔のあの日。パステリアは自宅で家族と団らんの時を過ごしていた。
彼女は3歳、兄は5歳。2人はテーブルに着いており、目の前にはそれぞれ焼き菓子――果物が惜しげもなくのせられている――が置かれていた。パステリアの大好物である。彼女は上機嫌でそれを手に取ろうとした――その時、隣に座っている兄が振り向いてきた。
「耳の穴にミミズが入ってるぞ!」
「そんなわけ……あ!?」
パステリアが耳に手を当てた次の瞬間、彼女の目の前から焼き菓子が消えた。慌てて兄の方へ顔を向けると、頬がこれでもかと膨らんでいる。まるで焼き菓子を2つほど頬張っているかのように。
「おにいちゃん!?」
「むぐむぐ……!」
抗議の声に取り合わず、兄は快活な咀嚼音など響かせた後、ごくんと喉を鳴らした。そして。
「ごちそうさま! あー、おいしかった!」
「――!?」
勝ち誇ったような声でそう言い放った。
パステリアは顔を真っ赤にして兄に掴みかかろうと両手を伸ばした。が、それよりも速く兄が宙に浮く――5歳児にして重力遮断の術を習得したというわけではない。逞しい父親の、これまた逞しい両腕によって抱き上げられただけだった。
「ダール! パスタからお菓子を横取りしたな!? そんなお前にはお仕置きをせねばならん!」
「うぎゃあああああああああ!?」
言うが早いか、父親は逞しい顎髭で息子にお仕置き――世間ではお髭じょりじょりとでも呼ぶのだろう――を見舞った。割と深刻な悲鳴を上げるダール。彼に対してパステリアがこれでもかと舌を出す。
「やーい! やーい!」
さらに先ほどの仕返しとばかりに神経を逆なでする声を張り上げた。が。
がしっ!
「あれ?」
「お菓子を取られてしまった可愛い娘は慰めてやらねばならん! 父として!」
その直後、父親によって抱き上げられてしまった。ダールは部屋の奥へと逃げ去り、それとは対照的に、ずずいっと近づいて来る父親の顔面――
じょりじょりっ!
「うぎゃあああああ!?」
今度はパステリアが深刻な悲鳴を上げた。全力で逃れようと両腕を突き出しているが、逞しい父親の剛腕はびくともしない。
そして悪戦苦闘の最中にふと部屋の奥に目を向ければ、母親がダールを抱いて呆れ顔をしていた。
「パスタのお菓子を横取りしたの? お兄ちゃんらしくしなさいな」
「うえーん! うえーん!」
分かりやすい嘘泣きではあったが、母親はダールの頭を撫でつけ、その間もパステリアの頬は逞しい髭の脅威に晒されている――小さな体から、やや本気寄りの悲鳴が迸る。
「おにいちゃんよりわたしのことをたすけてよ!?」
「もうすぐ激辛チップスができあがるから、あと少しだけがんばりなさい」
「え!?」
母親は意味不明なことを言っただけで、父親の耳を引っ張ろうとはしなかった。そればかりか、人差し指と小指だけを立てた右手を頬のあたりに置き、満面の笑みを浮かべた。
「きら☆」
「はあああああああああ!?」
3歳児には理解不能な現象がきらりと光り、パステリアが疑問の絶叫を張り上げる――次の瞬間、母親の笑顔が眩い輝きを放った。
きゅぼっ!
それに続いたのは聞いたことのある爆音。
パステリアの視界は真っ黒に染まった。
・
・
「……激辛チップス……なんで?」
パステリアは瞼を開けた。正面には曇った空。仰向けに倒れているらしい。
そして全身が動かない――刹那、洗濯物の乾き具合よりも重要なことを思い出して体を起こした。そうは言っても首を起こすのが精いっぱいだったが。それはさておき、視界が捉えたのは――
「お目覚めかな? 何もしていないから安心したまえ、ドブネズミ君」
「まじかよ……!」
無傷のエクセスだった。彼は戦う前とまったく変わらない姿で銀色の長い髪を風にそよがせて微笑んでいる。足元の地面は広範囲に渡って焼け焦げているので、裁きの撃鎚に巻き込まれたと考えられるが――エクセスは得意げに説明してくれるようである。
「聖騎士である私は神聖なる力で傷を負うことはない。魚が溺れないのと同じ理屈だと言えば、君にも理解できるかな?」
「さっきの悲鳴がへたくそだったのはそういうことか。私がああするとわかってて遊んだんだな?」
「ふっ……」
パステリアが不快そうに呻くと、エクセスは微笑みをどこか憂いたものに変えて顔を背けた。
心外だ。そう続けそうな表情である――次の瞬間、勢いよくパステリアに振り向き、中指だけを立てた左手を彼女に向けた。
「その通おおりだ! でなけりゃ突撃かまして来た瞬間にサイコロ状に斬り裂いている!」
「こんのゴミ虫野郎……てめえなんざミミズだって食わねぇだろうよ!」
「負け犬の遠吠えはまるでオルゴールのようだね! はーっははははは!」
高笑いを聞き流しつつ、パステリアは素早く辺りを見回した。
オスロ以外に負傷者はいないようだが、ゴヴリンたちが放った火が本格的な火災へと変わりつつある。村全体が炎に包まれるまで時間的な余裕はない。
(どうにかしねぇと……!)
意識を体の内側に集中させてみれば、ダメージが全身に及んでいるのがすぐにわかった。
痛みの強さからして、負傷は筋肉だけでなく内臓や骨にまで及んでいるのだろう。立ち上がって短剣を構えるなど不可能と言えた。
オリアナと小憎らしい少年が今すぐに飛んできてくれれば、寝転んだままでも構わないのだろうが、そちらにも刺客が送られている可能性が高い――そして吊り橋も落とされているはずである。奇蹟の子と呼ばれているとはいえ、癒希に翼は生えていなかった。
(どうしろってんだ!?)
つまりどうにもならない。パステリアは胸中で舌打ちをした。その時、この場に存在してはいけない気配に気がついた。負傷による勘違い。そうであることを祈りつつそちらに顔を向ければ――
「ところで! この小娘が君に会いに飛んで来たのだが、関係を説明してくれるかな?」
『髪を引っ張んないでったら! 耳にミミズさんが住んでるの!?』
「なかなか口が悪いね!? そこでくたばりかけているドブネズミ君にそっくりだよ!」
「ちっくしょう……!」
瀕死のパステリアが目にしたのは、ベッド下に隠れさせたはずのクリシーネだった。
家が燃えたにしても、村から逃げることはできたはず――だが彼女はパステリアの10メートルほど先、つまりは歪んだ性格の圧倒的な強者。聖騎士様のすぐ隣にいる。
クリシーネは髪を掴まれたまま、肩を怒らせて反撃を開始した。
「パスタお姉ちゃんは齧歯類じゃないもん! お馬鹿!」
「愚弄する意図でそう呼んでるに決まっているだろう!?」
「髪を引っ張んないでって言ってるでしょ!? ゴミ虫!」
「ゴミ虫ぃいいい!? 美しい私が節足動物に見えるのなら君こそお馬鹿――」
「罵詈雑言に決まってるでしょ! お馬鹿!」
「いい加減にしたらどうかなあああああああああああああああああああ!?」
無敵の聖騎士様を相手に罵詈雑言をまくし立てるクリシーネ。その姿を焦燥の視線で見つめていたパステリアが、顔色を急激に青ざめさせた。
(なに煽り倒してんだよ! つうかなんで出てきた!?)
学業の傍らに果樹園で親の手伝いをしている少女であり、彼女が100人いたところでエクセスには刃が立たない。村を脱出して生きのびる。それが模範解答だったはずである。
そして言葉ではクリシーネが優勢のようだが、エクセスがその気になれば次の瞬間にでも八つ裂きにされてしまう――そんなことを考えている間に剣が思い切り振り上げられた。
「口の減らない小娘だね! ぶっ殺して差し上げようか!?」
「――!」
クリシーネはびくりと体を震わせ、剣は激情と共に振り下ろされる――と。
『子供ですよ!?』
『女神になんと申し開きなさるおつもりか!』
村人たちが一斉に抗議の声を張り上げた。
ゴヴリンたちが困惑するほどの剣幕である。エクセスは剣を下ろし、満面の笑みで村人たちの方に向き直った。嘘や偽りのない、澄んだ声で続ける。
「黙れ殺すぞ」
『……』
聖騎士の定義を根本から覆す、圧倒的な冷酷さ。村人たちは口を噤まざるを得なかった。
そしてエクセスが満足そうな顔でパステリアに向き直る。
「さて。話を君たちに戻そうか」
「……」
話をどこに戻そうと、彼がまともなことを言うはずがない。が、身動きすら取れないパステリアには聞くという選択肢しかなかった。虫の生まれ変わりじみた性格の聖騎士様が、次に何を言うかを暗殺者の思考で予見できているとしても――
「立ちたまえ! できないというのならクリシーネ君の首を綺麗に刎ねて差し上げよう!」
「期待を裏切らねぇゴミだな、ふざけやがって……!」
エクセスの話は予見という的のど真ん中に突き立った。
それを喜ぶはずもなく、パステリアは全身の力を振り絞って立ち上がろうとしたが――あらゆる筋肉が悲鳴を上げ、骨という骨が軋む。そもそも折れた足では立ちあがれない。まともに動くのは眼球のみである。それをクリシーネへと向ければ、彼女は髪を引っ掴まれて地面に引き倒されていた。大粒の涙がこぼれ落ちる――
「だああああああああああ、もう! てめえ! 絶対にぶっ殺してやる!」
冷静さを失わない。それは暗殺者の基本中の基本であるが、パステリアの激情はそんなものでは追いつかない水準にまで達していた。ぶちキレ状態である。
(あいつを見世物にしやがって!)
寝ていて守れるものなど睡眠時間くらいである――立ち上がらなくてはならない。
パステリアは折れた腕で地面から身を起こした。折れた足で大地を踏みつけ、折れた背骨で体を支え、さらに折れた短剣を構える。
そして折れていない闘志でエクセスを見据え、褪せることのなかった想いを吼える。パステリア・マカル。彼女らしく。
「クリスに触るな! 性病が伝染ったらどうすんだ、クソボケ!」
そして戦う。負け続けた人生ではあるが、今回だけは勝たなくてはならない。才能がなく、女神の祝福もなく、もちろん奇蹟を宿していなくても――だが彼女はそこから動けない。
聖騎士もまた動かない。静かな笑みでパステリアを見つめているだけだった。真なる想いが起こした奇跡に感銘を受け、心の中で悔恨の涙を流している――というわけではなかった。
「ふっ! ふは! ふはーっはははははははああああああひひひひひ!」
彼は静から動――否、狂へと笑みを一転させ、さらに両手をばたばたと振り乱して異常な笑声を張り上げた。
そのおぞましさにゴヴリンたちすら言葉を失う――パステリアは悟った。
すべてはこのためだったのだと。振り上げられた剣を見て、村人たちもわかっただろう。
(見せ物は私――!)
パステリアの目の前でクリシーネを殺す。それも最悪の演出を施して。
手加減していたのも、気絶している間にとどめを刺さなかったのも――泣き叫ぶドブネズミを指差して大馬鹿笑いするためだったのだと。
「クリス!」
「お姉ちゃあああん!」
「ははははははははははははははははははははは!」
少女たちの絶叫をかき消す、最悪の笑い声。それが天にまで届き、濁った空を震わせた。が、天上の女神は救いの手を差し伸べては来ない。
この場には慈悲も救いもなく、絶対の狂気だけがある。それを止める手段も存在しない――銀光がクリシーネの首を狙って閃いた。そして。
どごんっ!
村に重い音が響き渡った。
・
・
クリシーネの首。そのぎりぎりのところで剣は止まっていた。
エクセスの視線はそこではなく、パステリアのやや脇に向けられている。地面にめり込むようにしてうつ伏せに倒れ伏した少女――ではなく少年。癒希へと。麻のドレスを着ているので見間違ってしまったらしい。
それはさておき、エクセスは数秒も彼を観察した後、呆れたように嘆息した。
(飛んで来たのか……?)
狂気じみた大きさの投石機があるとゴヴリンから報告を受けてはいたが、まさか使う者がいるとは思っていなかったようである。
村と森をつなぐ唯一の吊り橋も落とされたはずなので、そうする他になかったのだろうが――普通の人間があんなものを使えば、地面に叩きつけられて死ぬ以外の結果はない。衝撃でぼろぼろになった麻のドレスもその理屈を補強していた。
聖騎士であれば防御の術を重ねがけして生き残ることが可能かもしれないが、たかが神官には不可能なことだった。つまりどう考えても彼は生きていない。
(救助を急いで自身が骸になっては本末転倒というもの。実に愚かだ)
麻のドレスを着ているということは、女装して選美会に参加したのだろう。
その経緯や結果が気になるところではあったが、本人は死亡している上に、あの森はゴヴリンの大軍が奇襲をかけたはずなので、白金の神官戦士も含めて誰も生き残ってはいないはずである。
もはや知りようがない――エクセスはそんな事を考えつつ、再び剣を振り上げた。その時。
『痛すぎるんですけど!?』
「はあああああああああんっ!?」
麻のドレスを着た少年――癒希が勢いよく飛び起きた。
エクセスは何とも言えない悲鳴を上げ、さらに端正な顔を驚愕に歪めて絶句する――そんな見目麗しいゴミ野郎に向かって、ちびっ子神官が涙目でまくし立てる。
「めちゃくちゃ怖かったんですけど!? あんなの勇気試しでも何でもなくてただのお馬鹿発見機ですよね! おまけにすごく痛かったし! 設計思想を全力で問い詰めたいんですけどあれを設計したお馬鹿はどこにいるんですか!?」
「し、知るかよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」
『――!』
エクセスは顔面を蒼白にして絶叫し、他のすべての者が声にならない悲鳴を上げた。
例外はただ1人。
「激辛チップスって……こいつのことか。森でなにがあったかは訊かねぇ方がよさそうだ」
小憎らしい少年の麻のドレスを半眼で見やり、パステリアはやれやれと嘆息した。
不定期更新です。
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