91話「おっと! 初めてツラを褒められたぜ!」
ドタバタ回の続きです。
よろしくお願いいたします。
パステリアは身を低くして構えながら、暗殺者の思考でエクセスの分析を始めた。
勇者と讃えられる聖騎士。武器の扱いだけでなく術にも優れ、その本気と真正面から対峙したなら瞬きほどの間に殺されてしまうだろう――が、彼は見目麗しいゴミ野郎である。
(この手のボケは自分の勝利を信じて疑わねぇ!)
さらに優越感どころか選民意識すら抱く性格とくれば、本気を出してこない可能性が高い。その間に彼の首筋を切り裂くなり、脇腹に短剣を突き刺すことができればパステリアは勝利を掴み取ることができるだろう。低いながら勝算はある――それを少しでも上げるために彼女は声を張り上げた。
「ちびっ子メイドが相手じゃ御不満かもしれねぇが! いくぜ、聖騎士様よぉ!」
「確かにそうだね。メイドごときに聖騎士の力を揮っては女神に怒られてしまうかもしれない。ではこの剣だけで君を殺すと約束しよう!」
「お礼にミミズの腹ん中で後悔する権利をやるよ!」
聖騎士は傲慢に嗤い――パステリアは怒声など返しつつ、胸中ではパーティークラッカーを鳴らしていた。
(剣だけなら喰らいつける! ボケの一本釣りは大成功だぜ!)
これでエクセスが聖騎士の術を使ってくることはないだろう。剣技だけでも恐ろしい脅威には違いないが。それはさておきパステリアはエクセスの左手側から斬り込んだ。
「血へどを吐いて死ね!」
「口も悪いのだね! パステリア君は!」
短剣が空を裂き、それを舞うような銀光が迎撃する。
きんっ! ぎんっ! きんっ!
エクセスは身のこなしだけでなく、表情すら優雅に剣を振るう。子供の相手をする大人のような余裕が感じられる。こんなものか――そんな表情で鼻孔を鳴らすエクセス。が。
ごっ!
「おや?」
パステリアはそんなものには取り合わず、地面を思い切り蹴り上げていた。
スコップ半分ほどの土がエクセスの端正な顔面へと飛んでいく。ミミズでも食ってろという意味ではない――そういった感情は間違いなく込められていただろうが目的は違う。
(お綺麗な騎士様は絶対に避ける!)
手で振り払えば手が汚れる。団扇状にでもならない限りは剣で防ぐこともできない。土などバケツで頭から被っても戦闘に支障はないが、鎧や髪が汚れてしまう。それはエクセスにとって不愉快に違いない。ドブネズミが蹴り上げた土ともなれば、なおさらである。
「まったく」
エクセスは土を避けようと数歩分ほどの距離を華麗に跳ぶ――刹那、パステリアが大きく右足を踏み出した。そして次の瞬間には殺気と気配を絶ち、全身を聖騎士の死角へとねじ込んでいた。そよ風にすらなびく長い銀髪。それによってできたエクセスの死角へと――
(いける!)
聖騎士だろうと重騎士だろうと中身は鱗の生えた怪物ではなく人間であり、針の1本でも急所に刺されば大事は避けられない。ましてやパステリアが握っているのは短剣である――ドブネズミ。聖騎士と比べられてしまえば、確かにメイドさんなどそう呼べるのかもしれない。が、彼女は暗殺の訓練を積んだ護衛である。刃を巧みに使いこなし、心の隙を突く。ドブネズミという揶揄すら武器にして。
(ミミズの腹ん中で後悔しやがれ!)
パステリアは鎧に包まれていない首筋に向かって短剣を振り抜く――
ざんっ!
「ちっくしょう……!」
「はて? まさか私の首筋を貫けるとでも思っていたのかな」
「切り裂ければいいなとは思ってたよ!」
彼女の目の高さを薙ぎ払う銀光。それを危ういところで回避した後、パステリアは素早く飛び退って距離を取った。その間にエクセスは余裕の仕草で剣を構え直す――彼を注視しながら、パステリアは胸中で疑問の胸ぐらを掴んで怒声を張り上げた。
(間違いなく死角だった! 殺気も気配も――音だって絶ってたはずなのに、どうして防がれた!?)
初手に最大の手札を用いるのは暗殺の基本であり、それがあっさりと破り捨てられてしまった今、パステリアの勝機は大きく下がったと言わざるを得ない。乱れた呼吸を整えることすらできないほど動揺しても仕方ないだろう。
そんな彼女に対してエクセスが満面の笑みを浮かべた。やはり夢魔すら虜にするほど美しい。それはさておき。
「君が考えていることはよくわかる。だから教えてあげよう。気流だ」
「……え?」
「私ほどの者になると殺気や気配だけでなく、相手が動く際に流れる空を感知することもできるということだよ」
「……その髪は触角だったってオチかよ」
「まったく、君というドブネズミは」
パステリアが悔し気に舌打ちした――次の瞬間、エクセスの細められていた両目がうっすらと開かれた。そして。
ぼっ!
「こんな美しい触角があってたまるかよおおおおおおおおおおおお!」
「性格は虫みてぇなくせに!」
パステリアは首筋を狙ってきた銀光を屈んで避けつつ、メイド服の袖に仕込まれた投擲ナイフをエクセスの足首――重鎧ではないので装甲がない――を狙って投げ放った。それは優雅なステップによって躱されてしまった。が、その間にパステリアは地面すれすれまで身を低くして駆けていた。側面へ回り込もうと――が。
ばきっ!
「――ぐっ!?」
華麗な後方回転蹴りが彼女の顎を捉え、強力に蹴り上げた。思わずふらつく小柄な体。回避などできる状態ではない。そしてエクセスが優雅に右手を振り上げた。終わりだとでも言うように微笑みながら。
パステリアにできることはなにもない――銀光は何の問題もなく閃いた。
がんっ!
「いてえ!?」
幸いにも――というべきかは不明だが、パステリアは鼻を殴打されて尻もちをついた。
先ほどの銀光は剣ではなく、手甲による打撃だったらしい。鼻と口元には生暖かい感触。それを拭きとることはせず、パステリアは立ち上がってエクセスを殺意の眼光で睨みつけた。向け返されたのは涼しい顔だったが。
「顔を殴ってみました。私の好みではなかったものですから」
「おっと! 初めてツラを褒められたぜ!」
「……」
パステリアが怒鳴り声を上げると、エクセスは眉をひそめる――刹那。
「今度はこちらからいくぞ、ドブネズミ君!」
「か、かかってきやがれっ!」
エクセスは素早く踏み込み、同時に剣を振りかぶった。パステリアも短剣を構えて応じる。
きんっ! ぎぎぎぎんっ!
「短剣で剣を受け止めるのはやめた方がいい! できればね!」
「そのお口にミミズでも挟んで栓をしろってんだ……!」
宙で変幻自在に軌道を変える銀光。それが旋風のような速度で閃き、さらに幾重にも重なってパステリアに襲い掛かった。短剣1本で防ぐのは困難である――彼女は全身に傷を負いながらもどうにか致命傷だけは避けていた。と。
がっ!
聖騎士が地面を強烈に蹴り上げた。
舞い上がった土に紛れ、手のひらサイズの石がパステリアの顔面に向かって飛んでいく――聖なる騎士の戦い方としてはあり得ない。彼女は避けようと身をよじったが、咄嗟のことで体勢を大きく崩してしまった。
そしてエクセスが大きく踏み込んでくる――寸前、パステリアは踏みとどまり、動きを反転させるように体勢を整えた。どうやら読んでいたらしい。エクセスの秀眉が驚愕に歪む。
(聖騎士はやらねぇだろうが、聖騎士様ならやり返してくると思ってたぜ!)
心の中で中指だけを立てた左手を彼に向けつつ、パステリアは思い切り踏み込んだ。
踏み込んで来た者と踏み込んだ者。2人の間合いは瞬時に殴り合う距離――接近戦に縮まった。
エクセスにとっては不意に、パステリアにとっては予期した通りに。そして剣にとっては不利であり、短剣にとっては有利な間合い。つまり。
(私にとっては超有利!)
パステリアは石を左手で払いのけ、全体重をかけて短剣を突き込もうと――
ばりばりっ!
「うおあああああ!?」
「はーっははははははははは!」
その寸前、彼女の全身に激痛が走った。不意の出来事にパステリアは両膝を突いてしまう――その最中、彼女の視線は先ほど跳ねのけた石に向けられていた。まさに路傍の石。それが神々しさすら感じさせる燐光を放っている。
「……術!?」
「そう! 被害の反射だよ。正式には女神の盾と呼ぶが――もう飽きたので手早くお開きにしようと思ってね!」
エクセスが大笑いなどしつつ、繊細な人差し指をパステリアへと向けた。次の瞬間。
ひゅひゅひゅひゅんっ!
「まじかよ、てめえ――ぐっ!?」
「ははははははははは! ミミズに食われる権利をあげよう!」
天から白い光芒が降り注ぎ、パステリアの体を削った。光芒は降り注ぎ続けているので、治癒の術が使えない彼女は強引にその檻から逃げ出すことができない。さらに。
「さあ、受取り給え! 裁きの撃鎚!」
「嘘つきが真っ先に裁かれろってんだ、ちくしょう!」
頭上には、なんの前触れもなく出現した巨大な光弾――大怪我を承知で光芒の檻から脱出しなくてはならない。が、暗殺者の直感が待ったをかけた。
(……あのボケは確信をもって私の最期だと言い切りやがった。なら絶対に追尾してくる――避けられねぇ!)
避け得ぬ死。それを確信した瞬間、あの日のことが彼女の心によみがえった。
逞しかった父。厳しかった母。いたずら好きだった兄。彼らはもはや過去にしかいない。だが思い出という幸せはすべてこの村にある。ここだけがすべて。絶対に守り抜く――負けるわけにはいかない。パステリアは覚悟を決めた。
(私もみんなのところに行く!)
あのボケを道連れにして――
「面白おかしく紹介してやるよ!」
「なにぃ!?」
パステリアは光芒の檻から強引に駆け出し、聖騎士エクセスに肩口からの突撃を見舞った。彼女を追尾していた裁きの撃鎚も続く。そして。
きゅぼっ!
「私の勝ちだ!」
「そんな馬鹿なあああああ!」
白い爆光が果実の村を揺るがした。
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