59話「狙ったわけじゃありませんからね!?」
癒希×フレア回の2話目です。
よろしくお願いします。
「フフフ……♡」
僕は恐ろしい笑みに見据えられて動けない。
氷水でも注がれたみたいに背筋がぞっとする。全身には冷たい汗。極度の緊張状態ってやつ――短杖を投げつけてしまいたくなる衝動に駆られた時、ブリジットさんがふふっと吐息をこぼした。それから笑みをお人形さんみたいな可愛らしいものに変えると、スカートの端をつまんで少しだけ持ち上げる。
「助けて頂きましてぇ、ありがとうございました。癒希君もお疲れでしょうし、休憩しませんかぁ?」
「あ……はい。そうですね」
ブリジットさんの笑顔の温度が、真冬の湖底から真夏の砂浜まで一気に上昇した。さっきの恐ろしい笑みが僕の記憶から溶けて消えるわけじゃないけど。と。
「あなたはそうしたいでしょうね。お嬢さん」
眉をひそめて不機嫌そうに言ったのは――神官戦士のお姉さん。オリアナさんだ。
縁太君のアレやコレやはともかく、怪物退治は終わったんだから後は帰るだけなのに、どうして鋭い視線をブリジットさんに向けてるんだろう。疑問符なんか浮かべた瞬間、頭の中でかちっ! という、スイッチ音がした――ように感じた。真偽はさておき、思考の閃きが言葉として頭の中で再生される。
(ブリジットさんは大貴族の跡取り娘だ)
普通はそんな人が護衛もなしに危険な任務に出撃することは絶対にない。そして今回の敵は縁太君にとって天敵――おあつらえ向きの負けイベントだ。とどめに御一人様専用の無敵バリアときたら……。
「縁太君を試すための――!」
『てめええええええええええ……』
声を上げかけた時、縁太君の悲鳴が出口の方から響いてきた。
こことは結構な距離があるはずだから、熱心に演劇の練習をしてるんじゃなければ、本気の悲鳴ってやつだろう。それを上げさせたのはノーマンさんに違いない。細身の剣の達人なら、指を鳴らされる前に腕を切り落とすなんて簡単だ。
「あの! まさかそんなことしませんよね!?」
「……」
僕とオリアナさんが顔を向けると、ブリジットさんはさっきの恐ろしい笑みを返して来た。言葉はなかったけど、答えはしっかりと聞き取れた。そして彼女は左右の縦ロールの中から、それぞれ小剣を引き抜いた。モンスターをハントする系のゲームでお馴染みの双剣。彼女は艷やかなまでの優雅な動作でそれを構える――瞬間、双剣が紅蓮の炎をまとった。とんでもない熱量と圧力だ。
「ここで休憩なさっていてくださいぃ。それとも舞踏のお相手をして頂けるんですかぁ?」
その場で軽やかなステップを踏むブリジットさんからは、さらに強い圧力を感じる。かなりの使い手に違いない。そういえば不死の魔物が炎に弱いのも定番だ。もしそうだとしたら、黒蛾の大群だってブリジットさんだけで退治できただろう――黒蛾たちに群がられていたのもやっぱりわざとだったってことだ。
「僕の奇跡を試すためだけにあんなことしたんですか?」
「はいぃ♡ 癒希君の色々を知りたくなってしまいましてぇ」
「まじで!?」
デビューしたての芸人じゃあるまいし、体を張り過ぎにもほどがある。
そして今回の任務は縁太君の性格を含めた色々を試すためのもので確定だ。その結果はもちろん不合格。超危険な能力をもつ彼が人格的に、まあ、うん、アレだって判断されてしまったってことでもある。
「彼は当家が責任をもって対応させて頂きますので、どうかご安心くださいぃ♡」
「それってお墓と無縁の内容ですか?」
「あらあら♡ 癒希君はお友達想いなんですねぇ」
ブリジットさんは恐ろしい笑みのまま、可愛らしく小首を傾げてそう言ってきた。だったらやることは決まってる――僕は空いてる左手をぶんぶんと振りながら、さらに顔を左右に振った。
「友達ではないですね」
「あらあらぁ!?」
予想外だったのか、ブリジットさんは軽くずっこけてくれた。本当は素直の女性なのかも知れない。それはさておき、僕はその隙に出口へ向かって走り始めた。双剣が届かない距離をおいて彼女の脇を駆け抜けつつ、叫ぶ。
「でもクラスメイトなので!」
「あらあら! それは困りますねぇ!」
「はああああっ!?」
返事は頭上から聞こえてきた。走りながら見上げると、ブリジットさんが天井すれすれを背面飛びで追ってきているのが見えた。さらに天井を両足で蹴って急降下――その勢いをのせた双剣が閃く。
ぎきんっ!
「ああ、もう!」
「あらあら♡ 見かけによらず強靭なんですねぇ。そういうところも素敵ですぅ♡」
紅蓮の連撃をなんとか戦杖で弾くと、ブリジットさんはひらりと僕の前方に着地した。その場で軽いステップを踏み始める――天井ジャンプも含めてかなりの運動量だったはずだけど、呼吸は全く乱れていない。やっぱりかなりの使い手だ。
(ヒールがあるから倒せなくはないだろうけど、まともに攻略してる時間はない!)
どんなゲームでもそうだけど、時間制限付きのステージってすごく苦手だ。それはさておき、僕はブリジットさんの両足が地面から離れたタイミングを狙って、短杖を彼女の足元に投げつけた。転んでくれれば満点だけど、よろけるくらいでも及第点だ――そんな期待をした瞬間、短杖は地面のでっぱりに引っ掛かって予想外の方向にバウンドした。
ぼすっ!
「きゃあああああ!?」
「狙ったわけじゃありませんからね!?」
短杖はブリジットさんのスカートに頭から突っ込んでしまった。
大貴族の御令嬢は双剣を縦ロールで掴むと、スカートの上から股間の辺りを抑えた。頬を真っ赤に染めて恨みがましい顔で睨みつけてくる。
「責任を取って頂きますぅううう……♡」
「なんか喜んでません? それよりも双剣を構えた方がいいですよ!」
「はいぃ?」
ブリジットさんが小首を傾げた時、白金の閃きが彼女の背後から襲い掛かった。
気配を断っての攻撃さえも優雅な動作でひらりと躱し、ブリジットさんが彼女と対峙する――広間の入口に先回りしてくれていた神官戦士のお姉さんと。
「彼女の相手をお願いします!」
「お任せください。力が入りすぎてしまうかも知れませんが」
「やり過ぎないでくださいね!?」
「……はい」
僕はオリアナさんの微妙な返事に肝を冷やしつつ、全速力で広間を抜けた。そして。
「私と癒希君の仲を邪魔をして欲しくないですねぇ! “呪い”のオリアナさん!」
「いつからあなたと癒希様が恋仲になったと? 脳内世界の話はぬいぐるみとだけにすることをお勧めします!」
底冷えするような怒声と怒声のぶつかり合いが背後から聞こえてくる――僕は猛獣同士の争いに出くわしてしまった小動物のような勢いで、出口へと走った。
不定期更新ですが、なるべく早めにと思っています。
よろしくお願いします。




