47話「鎮静剤とかそんな感じの薬が必要ならアゾリアさんを呼びましょうか?」
癒希がレベルアップする話の第10回です。
よろしくお願い致します。
ここはアゾリアさんの病院。そのちょっとお高い病室だ。
ベッドには検診衣を着た先生が上半身を起こした状態で座っている。理由はもちろん入院だ。原因は過労。
先生は図書館をほとんど1人で運営していたらしく、静養が必要なほど疲弊していると白い女性医師が教えてくれた。先生がどうして独りを貫いてきたのかは不明だけど、とにかく今はゆっくりと休んで頂きたい。
(聞きたいことや話し合いたいことがたくさんあるけど……そういうのは先生が元気になってからにしよう)
時間はいくらでもある。なにせ先生は無事なんだから――そんな事を考えながらじっと見つめると、彼女の頬が赤く染まった。色々なことがあって心が不安定なのかもしれない。
「鎮静剤とかそんな感じの薬が必要ならアゾリアさんを呼びましょうか?」
「い、いえ! なにも問題はありませんが!?」
顔を近づけてそう訊くと、先生は顔全体を真っ赤にして、さらに突き出した両手をわたわたと振って否定した。それから戸惑ったような顔で、じっと見つめてくる。その眼差しもなんだか熱っぽい。
(風邪? アゾリアさんに伝えておこう)
僕は心のメモ帳にそう記しつつ、ベッド脇の椅子に腰を下ろした――途端に先生の顔色が少しだけ落ち着いた。僕は風邪の子じゃないはずですけど。
それはさておき、先生は軽く咳払いしてから姿勢を正した。
「今回の件、感謝の言葉もありません」
「いえ、そんな……」
真摯な表情でお礼を言われ、僕の顔が熱暴走中のパソコン並みに熱くなった。
神官として当たり前のことをしたまでです――信仰心皆無の僕が澄まし顔でそう返しても、さまにならないだろうからやめておこう。代わりに親指だけを立てた右拳を先生に向けてみた。
「オールオッケーですよ」
だめだこりゃ。思考までオーバーヒート気味らしい。
クールタイムかクールダウンが必要だ。その時、病室のドアノブが勢いよく回された。それが誰なのかは10秒前から分かってたから、僕は椅子を持って立ち上がると2歩分だけ脇に退いた。直後。
ばんっ!
『センセー!』
「ディナさんっ!?」
病院のベッドにいるのは病人。それを完全に忘れたような勢いでディナさんが先生に抱きついた。閉架書庫から助けた時にヒールをかけておいたから無傷だ――でも元気100%の彼女を見た先生はめちゃくちゃ驚いた顔をしてる。
(暗殺者3兄弟を撃退した時に僕の能力についてちらっと話したはずだけど……ここまで強力だとは思ってなかったのかな)
ディナさんの前でそのことを訊かれでもしたら、後で大司祭様に怒られてしまうだろう。僕は先生の視線での問いかけに対して静かにのジェスチャーで返した。
奇蹟のことを知るはずもないディナさんが、今日も元気に元気な声を張り上げる。
「なんか気づいたら病院にいてさ!? なんか分からないけど、なんかごめんって気分! だからごめーん!」
「なにもなかったのですから、謝罪されても困りますが?」
「えへへへへ!」
ディナさんは先生に頭を撫でられてすっげーご機嫌だ。でも。
(あの夜になにがあったのかを伝えるべきなのかも知れない)
ログスの部下たちの供述によると、ディナさんはお金をもらって薬物を飲んだらしい。もちろんあんな結果になるなんて思ってなかったんだろうけど――どうしたものかと頬をかいた時、先生が静かにのジェスチャーを向けてきた。
(……薬物も火災もディナさんの人生には存在しなかった)
それでいい――いや、それがいい。
ディナさんの明るさはチート級だから、陰らせてしまうのはもったいない。それはさておき、ディナさんは先生から体を離すと、得意げに胸を張った。フリスビーを咥えて戻って来た大型犬みたいな表情だ。
「実はさ! 工房の雑用として働き口が決まったんだ!」
「そうなのですか!? とても素晴らしいことですね!」
「えへへへへへへへ!」
ディナさんは先生に思いっきり抱き締められて幸せそうだ。嫉妬なんかしてませんけど?
僕が少しだけ頬っぺたを膨らませていることには気付かず、ディナさんは嬉しそうに続ける。
「センセーが勧めてくれた工芸の本を読んで真似してみたら私って器用だなって気付いてさ! それで……」
作品を工房に持ち込んだところ、雑用兼見習いとして雇ってもらえることになったらしい。
がんばれば職人になれる――未来が開けたディナさんの瞳は、金貨よりも輝いて見えた。
「しっかりとやりなさい。2度と負けてはいけませんよ?」
「うん!」
先生が微笑みながら諭すと、ディナさんは元気に頷いた。けど、不安そうな声で続ける。
「でもさ、あたしは頭よくないし、働いたこともないじゃん? だからさ……」
「……」
不安そうな声とは裏腹に、ディナさんは先生の胸に顔を埋めて至福の表情だ。もちろん嫉妬なんかしてませんけど?
僕の半眼が向けられること10秒。ディナさんが勢いよく立ち上がった。自信満々っていうか意気揚々、またはHP9999みたいな元気さで叫ぶ。
「ツレーことあったら会いに行ってもいい!?」
「いつでも来なさい。貴方は大切な教え子なのですから」
「へへ! だよね!? あははははははははは!」
「……」
不安そうな声は先生を満喫するための演技だったとしか思えない。いや、絶対にそうだ。
この精神なら工房の仕事なんか朝飯前だって断言できる――3日後には完璧なまでに馴染んでいるに違いない。
湯豆腐メンタル搭載の僕。その羨望の視線の先で、元気なディナさんがやっぱり元気に声を張り上げた。ぶんぶんと手を振るジェスチャーの意味はさよならだけど、彼女のそれからは寂しさなんか微塵も感じられない。
「じゃ、今日から仕事だから! 癒希も今度こそレファリアースしてやるよ!」
「レファレンスですか?」
「そう、それだ! あははははは! また会おうぜ!」
そして元気120%の勢いで病室から出ていく――そんな教え子をベッド上から見送った先生は、晴れやかで迷いのない笑顔をしていた。その笑顔が僕にも向けられる。
「今さらと思われてしまうかもしれませんが、貴方も大切な生徒です。私にできることがあったら何でも言ってください」
「本当ですか? じゃあ――教えて欲しいことがあるんですけど」
「はい」
僕が訊くと、先生は笑顔のままうなずいてくれた。もう彼女に心のシャッターなんか存在しない――だから遠慮なく訊いてみよう。質問は先生のスリーサイズじゃなくて、能力についてだ。
「先生の図書館には読書に熱中させる効果がありましたよね。それって今も有効ですか?」
あの図書館では、みんなが心の底から楽しそうに本を読んでいた。たかが読書と言うと変だけど、でも本を読んでるだけとも思えない――それは使い方次第で先生やみんなを守る力になるはずだから、ぜひ詳細を把握しておきたい。
期待と共に見つめると、先生はぱちくりと両目を瞬かせ、それから怪訝そうに眉をひそめた。
「私の図書館にそのような邪なものはありませんが?」
「え!? でも……え?」
先生の表情は真剣そのもので、ごまかしてるようには見えない。考えてみれば、真面目なこの人が強制的に本を読ませるなんて、確かに変だ。矢木咬先生は眼鏡の位置を直しながら諭すように言ってきた。
次の更新は25年8月3日(日曜)の予定です。
よろしくお願い致します。




