29話「抱き枕を意識した生体ではないはずなんですけど……」
癒希がやり返す回の8話です。
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※仕事の年度末進行が始まった関係で更新頻度の低下が予想されます。ご了承ください。
病院を出た後、僕は――オリアナさんに強く手を握られたまま――レストランに入った。
いくつもの大型施設が面した大通り。そこにどんと建つ、立派なお店。黒と白を基調とした店内はかなり広く、対してテーブルは少ない。人件費とかを考えるとかなり高級なお料理屋さんだ。
触診とアルコール臭を我慢したご褒美にしては豪華すぎるから、アゾリアさんやフレアさんに対して熱くなってしまったことへの謝罪なんだろう。オリアナさん級の美人に嫉妬――多分――される日が来るとは思ってもみなかった。
それはさておき、僕たちは窓際の席で向かい合って座っている。並べられている料理も同じだ。
『スタフィリプの香草蒸し』
見た限りでは、海老と蟹を足して2で割ったような生き物を香草と一緒に蒸したもの。体長は50センチくらいで、真っ赤な甲羅は自然の驚異か甲殻類の意地を体現しているのかってほど硬い。それをナイフとフォークで外して身を食べると――すごく美味しい。
この見慣れない生物の生態とかをオリアナさんに訊いてみようと思ったけど、僕がいるここはいわゆるファンタジー世界だ。スタフィリプの履歴書に食欲の邪魔になるような情報が含まれてるかもしれないから、食べ終わってからにしよう。
そんなわけで、静かな雰囲気と高級な料理を黙々と楽しむこと20分くらい。僕はスタフィリプを食べ終えた。
同じタイミングで食べ終えたらしいオリアナさんはテーブルナプキンで口元を拭うと、それから新しいもので僕の口元を優しく拭ってくれた。
(なんか甘やかされてる?)
同衾しているとはいえ、ここまでお世話されたことはない。僕に対する感情の変化をひしひしと感じる。または甘やかしたくなる怪異でも忍び寄ってきたんだろうか。
ファンタジー世界だからもありえなくもない――そんな心配をしていたら、オリアナさんが手のひらを上に向けた左手で僕のすぐ脇を指し示してきた。
怪異との御対面。背中に冷たいものを感じつつ上半身だけで振り向けば、視界いっぱいの赤いドレス。それを下から押し上げる豊かな膨らみが、急速に迫ってくる――
むぎゅっ!
『お久しぶりですね!』
「あなたは……!」
顔が埋もれるくらい強烈な抱擁で顔を上向けることさえできないけど、凛とした声だけであの人だって分かる。
大貴族シェラルの序列2番目に位置する名家。その主である“勇猛果敢な”カテリーナさんだ。ナッシュのお母さんでもある――友達のお母さんに抱きしめられてるみたいで、なんだかちょっと恥ずかしい。
(ていうか、真横に立たれたのにまったく気づかなかった……)
僕だって実戦を含めてそれなりに経験を積んだはずなのに。ちょっとショックだ。
と――
ばきっ!
テーブルでなにかが砕け散る音がした。
ものすごく硬いなにか――例えば、自然の驚異か甲殻類の意地を体現したのかってほど硬い甲羅がフォークで圧壊されたような音だった。
つまり神官戦士のお姉さんがややお怒りってことだけど、カテリーナさんは抱擁を解いてくれそうにない。
少し前までだったら、オリアナさんが感情に任せて銀鋼糸の鞭を振り回すようなことはないと断言できたけど、今はちょっと自信がない。そしてそんなことをしようものなら、勇猛で果敢なカテリーナさんは躊躇うことなく応戦するだろう。
レベル60くらいのお姉さん同士による市街戦。それはちょっとした大惨事だ。レベル1神官にできるのは慌てふためくくらいです。ぜひともご遠慮願いたい。
戦いは市民のいないところで。願わくば画面の中でだけ――これは僕がいた世界での理想論だけど、ゲーム機のないこの世界でも同じであるべきだ。でも。
ぎゅうううっ!
「ふふふ……癒希さんは抱き心地も最高ですね」
「抱き枕を意識した生体ではないはずなんですけど……」
カテリーナさんは抱擁の腕力をさらに増した。
強い親愛を示してくれてるんだろう――ところで僕は全力で逃れようとしているんですけど、抵抗の意思とか腕力は感じられませんか? そんなことを心の中で呟いている間にオリアナさんのお怒りオーラが強くなっていく。
どうにかしたいけど、カテリーナさんの腕力にはとてもじゃないけど対抗できない――
『カテリーナ様……どうかそのあたりでお止めください。白金娘がお怒りです』
「え!?」
完全に意識外の位置で困ったような声があげられた。
改めて気配を探っても感じ取れない――気配を消す達人が多過ぎる。それとも僕の気配探知能力は幼稚園児並みってことなんだろうか。
「あら? 仕方ありませんね」
カテリーナさんはくすくすと笑った後、僕を解放してくれた。
柔らかな感触に名残惜しさなんか感じつつ顔を上向ければ、やっぱりカテリーナさんだった。彼女の隣には軽鎧を着けた女性騎士がいる。
『ハーティです。以後、お見知り置きを』
「こちらこそ。神官の癒希です」
僕が慌てて立ち上がって頭を下げると、オリアナさんも――眉を少しだけひそめたまま――続いてくれた。
そしてカテリーナさんが背筋を伸ばし、洗練された動作で僕に向き直る。
「馬車で通りかかったところ気配を感じましたので、つい声をかけてしまいました。お食事中とは分かっていたのですが、先日のお礼もまだでしたので……」
「えっと、恐縮です。はい……」
気配を感じたからってどういう意味? 馬車に乗ってて“あんなところにスタフィリプの香草蒸しと彼の気配が”なんてこと――カテリーナさんは隣国に恐怖と共に名前が知れ渡ってる凄腕戦士だからあるんだろう。超人の理屈は素人が深く考えるべきものじゃない。完。
それはさておき、お礼っていうのがナッシュに恥をかかせた件のことなら市街戦は不可避だけど、カテリーナさんの病を癒やした件だろうから心配は無用だ。もちろん銀鋼糸の鞭もいりません。
「こちらは僕の大切な従者……神官戦士のオリアナさんです」
「……」
僕が少しばかりの火力を添えて紹介すると、神官戦士のお姉さんはカテリーナさんたちに美しい微笑みを向けた――けど、右手は後ろ腰の銀鋼糸の鞭に置いたままだ。火力が足りなかった。
つまり市街戦の危機は未だ去らず。僕はオリアナさんの気配を気にしつつ、平和の言葉を献上した。
「お礼とのことですけど、大したことはしてませんから……」
町の平和のためにも今すぐ仕事に戻ってください。ドレスのところ大変申し訳ないんですけど、できれば駆け足で。心の中でそう続けた時、カテリーナさんが上品に笑った――直後、僕の手を両手で握ってきた。成人男性を軽々と投げ飛ばす手だけど、とても柔らかくて暖かい。
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