02話「いえ……人違いでした。本当に失礼しました」
異世界に叩き込まれた癒希が最初に出会ったのは……回です。
よろしくお願いいたします。
「なにするんですか!?」
『おいおい、なにって……なんだよ?』
「……」
バスが落下した時の何倍もの恐怖を味わった僕は思いっきり怒鳴っていた――怒鳴ってしまった。
その相手は飄々とした男性だ。年齢は30代半ばくらいでかなりの長身。肌は漁師のように日焼けしていて、髪は短い。
上半身には革を加工して作ったらしい鎧を、下半身には妙にゆったりとしたズボンをはいている。僕が硬直していると、男性は大仰な仕草で肩を竦めてみせた。
「いきなり出てきてオジサンびっくりってとこだが……オレなんかしたかい? ニーチャン?」
「いえ……人違いでした。本当に失礼しました」
「謝られたらオジサンとしては許すしかねえな。いやなに、知らねえうちに悪いことしちまったのかとオジサンまたびっくりしちまったよ」
謝罪を口にすると、にかっとした笑顔が返ってきた――けどその直後、僕の心臓は爆発しそうになった。
感心したように頷く男の背後には、世紀末からやってきたのかっていう連中が何人も立っている。
剃髪やモヒカン、その他のアウトローファッションを網羅したような方々。町で見かけたら、即座に道の反対側に移るだろう。
でも僕の心臓がオーバーロードしつつある理由は飄々としたオジサン――彼が腰かけているのはベンチじゃなくて中年男性の遺体だった。目立った外傷はないけど、額には剃刀みたいに薄い楕円形の刃が刺さっていて、その辺りは青黒く変色している。
(毒……かな?)
そう思えるってだけで確信はない。目の前の男に訊けば飄々と答えてくれそうだけど、数分前まで世界有数の安全大国暮らしだった僕にそんな度胸はない。
『もちろんそうさ。ニーチャンはテーブルになるんだぜ?』
そんなことを言われたら、今度こそ心臓が爆発してしまう。
このまま突っ立っているだけでも似たような結末を迎えるだろう――バッドエンドを避けるには情報が必要だ。僕はそれを得るために、ゆっっっくりと辺りを見回した。
ここはいわゆる荒野って呼ばれる場所に思える。砂漠ほど無慈悲じゃないけど、街ほど慈悲に溢れてもいない。
時刻は明るさからして昼過ぎってところか。
そして僕の少し後ろには真っ赤な服――じゃなくて法衣を着た女の子たちが身を寄せ合って震えていて、彼女たちの背後には白い馬車が止まっている。繋がれている馬も白いけど、王子様は乗っていない。
王子様不在の白馬からさらに後ろには分厚い装甲板が何枚も張られた馬車――装甲馬車って言うんだろうか――が豪快に横転していた。その手前には不自然に丸い巨石が地面にめり込んでいる。
(……投石器? あれって狙い撃つものじゃないはずだよね)
あの手の兵器は大軍に向けて行ってこいと放り投げるものであって、高速で走っている馬車に命中させられるようなものじゃない。あの位置を走ると知っていないとまず不可能だ――御者が共犯だったと考えるのが自然だろう。
「ニーチャン、顔色が悪いぜ? 水でも飲むかい?」
「お気づかいありがとうございます。でも喉は潤っていますから」
本当は2リットルのペットボトルから炭酸水をがぶ飲みしたいほど喉はからからに渇いていたけど――それどころじゃない。僕は飄々とした男に引きつった笑顔を向けつつ、思考をフル回転させた。
(女の子たちは護衛を伴ってどこかへ向かう途中だったけど、御者が情報を売った)
装甲馬車は巨石に吹き飛ばされて大破してしまい、護衛の人たちはとんでもない激しさで全身を打ち付けられて全滅――
白い馬車を駆っていた御者は報酬をもらおうと盗賊たちに近寄ったけど、金銭ではなく死をもらい受ける羽目になった。そんなところだと思うけど、これら全部が僕をからかうためのゲス女神主催のお芝居だったとしても腹を立てはしないから、ぜひともそうであって欲しい――けど目の前の男が“どっきり”のプラカードを掲げる様子はないんだから頭が痛い。
「えっと、今さらなんですけど僕は癒希です」
「オレはグルツだ。で、後ろの連中は部下だ。名前は……まあどうでもいいよな。めんどくせぇし」
僕は苦笑するグルツに相づちを打ちながら、胸中で安堵のため息をついた。
映画から得た知識だけど、自己紹介の成立は生存の第一歩らしい――名前も知らない誰かよりは殺されにくいって程度だから、立ち去れるならそれに越したことはないんだけど。
そういうわけで、僕はぺこりと頭を下げてから微笑んだ。
「仕事中にお邪魔しました。そろそろ失礼します」
『……!』
背後の女の子たちがざわついた。
自分だけ逃げようっていうんだから当たり前だ――でもこんなこと言いたくないんだけど、はっきり言って僕は弱い。
15歳男子の平均身長より10センチは低い上に、女子の制服が着れるくらいに身体は細い。戦闘能力を計る機械があったら計測不能か真面目にやれって表示されるくらいの弱さだよ。
そんな僕に屈強な男たちを相手に戦えだなんて、くたばれって言ってるようなものなんだ――そんなことを心のなかでまくし立てつつ上目遣いにグルツを見やると、返ってきたのは、にかっとした笑みだった。
「そうはいかねぇんだよ、ニーチャン?」
「……ですよねぇ」
「もちろんさ。わかってるなら最初から言うなよ。ははは」
それからグルツは肩を揺らして笑った。
わかりきっていた結果だけど、僕の頬に大きめの冷や汗が浮かんだ。
このままでは殺される――でも生き残るだけなら簡単だ。
『僕は回復チートをもっています』
そう打ち明けて、自分に適当な傷でもつけて治してみせれば、彼らは僕のことをそれはそれは大切にしてくれるだろう。もちろん、僕の今後は平穏とは無縁のものになるし、あのゲス女神は腹を抱えて笑い転げるに違いない。
(……絶対にいやだ。特に後者!)
僕はなけなしの闘志を奮い立たせると、ポケットからスマートフォンを取り出した。ぱちくりと目を瞬かせるグルツの前で素早く操作し、そして最後に再生ボタンをタップしてから彼の前に差し出した。
画面に映っているのはバスで観ていた映画。そのワンシーンで、犯罪組織のボスが凄みを利かせるシーンだ。
気に入ったシーンにブックマークをつける小まめな性格で良かった――それはさておき、吹き替え声優の演技力がグルツたちに火を吹いてくれますように。
『こいつが誰かを知らないなら……そうだな。チャンスをやろう!』
「魔法の道具か!? なんだこりゃ!?」
グルツは凄く驚いてる。部下の連中も顔を思いっきり近づけて目を皿のようにしてる――これはいけるか? いや、いってくれないと困る。
僕は心のなかでゲス女神以外のなにかに祈りを捧げながら、グルツたちの動向を注視した。
『こいつを無傷で釈放しろ。でなきゃ人生最悪の1日ってやつをプレゼントしてやる! それはてめえの命日にもなるぜ!?』
「くっ……! てめえはなんなんだ!?」
グルツは大きく怯んでるし、他の連中も困惑した様子で顔を見合わせてる――今しかない。
僕はスマホを引き戻しつつ停止ボタンをタップすると、ポケットにしまってからグルツたちに軽く手を振った。それから彼らに背を向ける――
「ボスを怒らせたくないので、これで失礼します」
「……」
グルツの視線を後頭部にめちゃくちゃ感じるけど、立ち止まるわけには行かない。
行く当てはないけど白い馬車が向いてる方向に進めば、ここよりは安全なところに辿り着けるはずだ。
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