11話「見守ってくれてますよ」
スキル覚醒の最終話です。
よろしくお願い致します。
シェラルは首都を守る大貴族であり、いくつもの分家が存在している。
そしてこのぼんぼんことナッシュは本家に次ぐ領土を任されている家。その長男だった。
分家とはいえ、大貴族の序列2位ともなれば果たすべき役割も重大であるが、家を取り仕切っていた妻が病に伏せってしまい、入り婿の夫が代わりを務めることになった。
補佐として手腕を振るってきた夫ではあるが、支配者業は不慣れであるらしく、精神的な余裕はほとんどない。
息子は死の淵にいる母親を想って日々、傷ついているのだが、父親からは半ば無視されており、残されたのは酒と煙草という下り坂の逃げ道だけだった。
『お帰りなさいませ』
「……ああ」
ナッシュが帰宅したのは、女僧に返り討ちにされてから2時間ほど経った頃だった。なにやら派手に飲酒してきたらしく、顔は真っ赤である。彼はサーベルの鞘を部屋の隅に放ると、ベッドにどすんと腰を下ろした。
虚ろな視線の先は壁だった。その10メートルほど先では母親がベッドで弱々しい吐息を繰り返しているはずである。
“勇猛果敢な”カテリーナ。結婚前、ナッシュの母はそう呼ばれていたが、今は見る影もない。
そして数週間もしないうちに完全にこの世から消えてなくなるだろう。息子としては少しでも長く彼女のそばにいるべきなのだろうが――彼はもう限界だった。
「見てらんねぇよ……母さん」
ナッシュはベッドの下から酒瓶を引っ張り出すと栓を開けた――その時、ドアがノックされた。
母はベッドの上で死にかけており、父は執務室から出てこない。
悪霊の仕業でないのならメイドだろう。内容は食事か風呂――気が利くメイドが水を持ってきたのかも知れないが。
それがなんにせよ、ナッシュは酒瓶を持ったまま、ただドアを見つめているだけ――
ばぎぃっ!
悪霊ですら退散するような音と同時、分厚いドアは蹴破られて部屋にばら撒かれた。
ドアだったものを踏みつけて入室したのは――病床に伏せっているはずの母親。カテリーナである。
「か、母さん!? 寝てなきゃだめ――いててててて!?」
息子は母に駆け寄って気遣うような言葉をかけたが――恐ろしい力で――両頬を引っ張られてしまった。
気品を維持したままお怒りを表現するカテリーナ。ナッシュは本気で怯えているらしく、言葉を発することができないでいる――代わりにカテリーナが血色の良い唇を動かした。
「大広場で楽しい見世物を披露したそうですね」
「げっ!? い、いや、あれはちょっと……」
「ちょっと酔って民の前でサーベル抜いておっとっとですか? 常に責任ある振る舞いをと教えたはずです」
そして言葉を紡ぐごとに艶の良い肌が赤みを増していく――
「そんな子に育てた覚えはありません!」
「どおおおおおおおおおおお!?」
当然の帰結かどうかは不明だが、ナッシュはベッドに放り投げられて2回ほどバウンドした。肩を怒らせたカテリーナは分厚い絨毯をめきめきと鳴らしながら詰め寄ると、両手を腰に置いて息を巻く。
「しかも学生の身でありながら酒に煙草! おまけに女性の匂いがしますよ!?」
「いや、ちゃんとシャワー浴びたから――げっ!?」
「やっぱり! なにかあったらどうするつもりですか!?」
「母さんが臥せってて寂しかったんだよぉおおおっ!」
カテリーナはナッシュとの距離をさらに詰めると、彼の頬を恐怖の握力で変形させた。
と――
『ナッシュ! なにを騒いでいる――カテリーナ!?』
騒ぎを聞きつけたらしい父親兼夫であるナウェルが部屋に入ってきた。よく見れば数人のメイドが随伴している。戦闘訓練を積んだらしく、闘志全開の御主人様を見て素早く後ずさったが。
それはともかく、夫はお怒りの妻に本気で怯えているらしく、言葉を発することができないでいる――カテリーナは疾風のごとき速さで距離を詰めると、怒りに震える唇を動かした。
「あなた! ナッシュが酒と煙草と女性に溺れているのを知らなかったのですか!?」
「し、知らなかったわけではないのだが、叱責する余裕がなくて――」
「ていうか! あなたからも女性の匂いがしますけど!?」
「いや、ちゃんとシャワー浴びたから――げぇっ!?」
「私がお相手できないからと不貞を働いたのですね!?」
「お前が臥せってて寂しかったんだよおおおおお!?」
当然の帰結――かどうかなど最早どうでもいいが、ナウェルはベッドに放り投げられて2回ほどバウンドした。
肩を怒らせたカテリーナは分厚い絨毯をめきめきと鳴らしながら夫と息子に詰め寄り、両手の指を鳴らす――彼女が“勇猛果敢な”と呼ばれるようになったのは、素手で敵部隊を蹴散らした武勇伝による。つまりはナウェルとナッシュが束になっても敵わないということである。
「家族会議が必要ですね」
『ひ――っ!』
カテリーナが微笑むと同時に、夫と息子は顔を青ざめさせ――気が利くメイドは救急箱を取りに走った。
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・
ここは貴族の屋敷が立ち並ぶ区画だ。通称は貴族街らしい。
僕はナッシュの屋敷を少し離れた木の上から眺めているんだけど、カテリーナさんが派手に暴れてるみたいで大きな屋敷がプリンみたいに揺れている。耐震性は抜群だね。
「本当にお優しいのですね」
「……」
隣に座ってるオリアナさんが屋敷の方を見つめたまま呟いた。
まあねって返したいところだけど、ビンスさんからの言いつけを破ってしまったからそれはまずい――だからとりあえず惚けておくことにしよう。
「僕はなにもしてませんよ」
オリアナさんも察してくれたらしくて追及してこなかった。
でもあの家族が元通りになるにはたくさんの問題があるはずだ。それに関して僕はなにもできない。そういう意味ではなにもしていない。ナッシュたちが自力で乗り越えなくちゃいけない問題だ。でも――
『2人ともしっかりなさい! シェラルの名が泣きますよ!』
『わかった! わかったから――うおおおおお!?』
『父さあああん!?』
大丈夫そうだ。
なんか凄い音とかしてるけど、あの家族は元に戻れるって確信できる。だって仲良しだから。
「じゃあ、帰りましょうか」
「もういいのですか? そろそろカテリーナ様の投げ技が炸裂するのではと――あ、見ましたか? 今のが騎馬隊を一網打尽にした旋風投げです」
安心したから帰ろうかと思ったけど、オリアナさんが珍しく興奮してるからもう少しいることにしよう。
僕は上げかけていた腰を下ろした――直後、オリアナさんに見つめられた。お姉さんはどこか心配そうに眉をひそめてる。
「その……癒希様のご家族は――」
「……」
それから訊いてきたけど、僕の表情から察してくれたみたいだ。
心配してくれただけなのにすごく申し訳なさそうな顔をさせてしまった――でもよく聞かれることだから、返し方のテンプレートは心得てる。
「見守ってくれてますよ」
「……とても心強いですね。ちなみにあの絞め技はルイ大帝国でも怖れられている逸品です」
「そうなんですか。とても興味深いですね」
複雑な絞め技を披露するカテリーナさん。割と深刻そうな顔色のナウェルさん。
そしてナッシュはメイドさんたちと一緒になってカテリーナさんを落ち着かせようとしてる。少しだけ羨ましい。
感傷的な気分になったから、僕はナッシュ家族の団らんをもう少しだけ観戦することにした。
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第1章 異世界イントロダクション 完
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