馬車の前2
「それでおふたかたはトデンの森をお通りに?」
「えぇ。人が消えるという話ですので、トデンの森とヤーリの村へ調査へと」
「おぉ!」
コームは感極まったというふうに、モモの手を取る。
「牛の頭をしたという怪物の話も伺っております。事実であれば、そちらの討伐も」
「おぉ、おぉ!!」
今にも感動の涙を流しそうと言った表情で、握った手を上下に激しく振り始めた。
あまりの勢いに、モモの頭が肩ごと波打つように揺れる。
話が進まないし、止めてくれ! という視線を感じたので、メグリは一つ咳払いをした。
「……失敬。しかし、月の乙女に来ていただけるなんて、ヤーリの村の方々も喜びますよ」
「そ、それであればよいのですが」
しみじみというコームに、モモは目が回ったのかフラフラとしながら、かろうじて微笑み返す。
メグリはこのあたりでは月の乙女というやつは、ずいぶんと信頼されているのだなと感じていた。
近頃のレイアヴィエンナは設立からの年数の経過とともに、人員、文化が替わり、規律と連帯が不足しているためか、不穏な噂も多く、一部ではさまよう白魔ともよばれ白眼視もされてもいると家宰から聞いていたし、実際に転移した直後の騒動でレイアヴィエンナの聖女とひと悶着あった。
不安要素が一つ減った形になる。
「それに私もずいぶん困らされていて、必要に迫られて森の先に、仕入れや、商いに行くことはあるんですが、護衛を――といってもごろつき程度のもんですが――雇わざるを得なくて」
「ヤーリの村に行くことはあるのか?」
「えぇ。やっぱり付き合いの長いお得意様がいらっしゃるもので」
ありがたいやら、こまったやらですよ。とコームは苦笑いする。
メグリは同意するようにうなずきつつ、こちらの世界の住人の命に対する価値観が異なるなと認識を新たにした。
現代日本であれば、通るだけで命を落とす道など付き合い程度で通るものはそうそういないだろう。
忍びとして生きていた時代はこちら《異世界》の世界のようだったなと少し懐かしく思う。
コームは眉をしかめ、困り顔で腕組みし、続けた。
「ぐるっと遠回りするという道もなくはないんですが、いかんせん片道三、四日ほど遠回りになってしまうものですから」
「……思ったより巨大なのだな。トデンの森は」
メグリは計算が狂ったなと少し焦る。事前に地図で見て立てていた目算と違ったのだ。日が長いとはいえ日没までにヤーリの村にたどりづけるだろうか。
「あぁ。いえ、たしかに大きいは大きいのですが、そこの沢があるでしょう?」
メグリの言葉から何かを察したのかコームは水音がする方へ視線をむける。
「あれの本流があったり、崖であったり、まぁいろいろ面倒な箇所があるのですよ」
「そうか。なるほどな……」
領主であるベイサム伯の地図を利用して大まかな地形を把握していたが、
他の地図より詳細に書いてあるとはいえ、情報が古いのかそもそも記載されていないのか抜けがある。
昔はそういったことを前提に行動していたはずで、すっかりなまってしてしまったようだ。
それから、メグリは行方不明者とと森についてなにか知っていることはないか、コームに訪ねた。
もともと大きい森なので、コームの知っている範囲ではあるが、熊などの獣や、バガブなどの被害はあったが、それも森林道から外れ、奥に立ち入った狩人や森に採集に来た薬師や大工がおそわれ、また数年で数えるほどしか無かったこと。
一年半ほど前から、近隣の村人や、行商人、騎士などが森の中で行方をくらませていて、時折食い散らかされた、おそらく人であった死体が、森林道で見つかるため、皆怪物に食われてしまったと周りのものは見ているということだった。
「主人。あなたは牛の頭をした怪物、……そうだな。他の怪物や幽鬼などでも構わない。なにか知っていることはないか?」
「うーむ。そうですね。先程助けていただいた以前はそれこそ数年怪物などとは縁がなくて……」
コームはしばらく考え込んでいたが、結局心当たりもないらしい。
ここで粘っても変わらんだろうなと、メグリは一旦この話題を切り上げ、今日訪れるヤーリの村のことを尋ねることにする。
「今日中にヤーリの村を訪れるつもりだ。おそらく、村で宿を取ることになるだろう。なにか気をつけるべきことはないか?」
「そうですねぇ。気の良い方たちですし、月の乙女が魔物討伐に来たということであれば」
特に心配はないかと思いますが、と続けたコームだが、なにか思い当たったように視線を動かすと、あごに手を当て考え込むようにする。
「あの村には聖女リアエナを祀る教会もありますし、表向きはリアエナ様を信仰しているのですが」
そこでコームはトーンを一段落とし、少しばかり嘆かわしいと言ったふうに頭を振りながら腕を組んだ。
「知っている限り、私の祖父の代以前から、人の顔がついた牛をしているというかい、……いえ、祝福されしものを根強く崇拝していましてね」
メグリは来たと思い、話を促すための相槌を討った。知らないふりをする。
「知らない話だ。人の顔がついた牛? 面白い」
人の顔がついた牛、という表現で、メグリとモモが知っているといえば件だ。モモとの関係の中、それなりの妖怪、あやかしのものに出会ったことのあるメグリでも、未だ件には出会ったことがなかった。
件は未来を予知する力があるという、また、元の世界と共通の存在であれば、なにか元の世界に通じるヒントになるかもしれない。
うながされたコームは「いえ、私もあまり詳しくはないのですが」と前置きし疑わしげに言った。「村を拓いたのがその祝福されしものが率いる一団だったというのです」
「くだんが? 村を?」
モモが驚いたように聞き返し、次にはハッとした表情になり、両手で口をふさいた。
別に件の話をしたところでどうということはないし、こちらの世界の伝承に影響を与えようが興味はないが、可愛いのでメグリはモモをそのままにして話を続ける。
「興味深い。深く聞きたいな。詳しいものを知らないか?」
「それであればやはり、ヤーリの村で聞くのが一番かと。彼らは特に信仰を隠しているわけではありませんし」
隠していないのならばそれが良さそうだ。と頷くメグリに、それにあの村にいけばちょっとした面白いものが見られますよと呆れたようにコームは笑った。
大まかな目処がついたので、メグリは気になっていたことを問うことにした。
「そういえば主人。そもそもこんないわくつきの場所で店を構えていて、商売になるのか?」
メグリの問いかけにコームは確かに人通りは少なくなったと苦笑するが、大げさに腕を広げ芝居がかった調子でいう。
「まぁそれでも天の国たるクラフトレアに行くにはこの街道を通るしかりませんから」
知らない地名にメグリはクラフトレア? と聞き返した。
「おや、クラフトレアをご存じありませんか? それはもったいない! せっかくハドリアからいらっしゃったのであれば、クラフトレアは訪れるべきです!」
クラフトレアはこのルーリム大陸の中部を分かつ巨大な山々、通称白金山脈の麓にある町だ。
隣国であるノウドシア、その先アダスタムン帝国に向かうには、クラフトレアから通ずる峠を越えなければならない。
そのうえ潤沢な湯が湧き、温泉町として名高いクラフトレアは富を築いたものが俗世を憂んだ際に羽を休めるにはうってつけといっていい。
そんな話をつらつらとされ、ふと、モモが静かだな。とメグリは思う。
モモは顔こそ柔和な笑みをうかべ、相槌を打っているものの、
コームに見えない後頭部で、触角が巻いて結んで荒れ狂っていて。
まずい。これは飽きて限界が近い! と判断しメグリは話を変える。




