街道2
太陽が傾き、景色の中に木が占める割合がいよいよ多くなったころ。
メグリの横で、朝に作った干し肉のサンドイッチを食べていたモモの触覚がピン、と伸び「ぬっ」怪訝そうな声が漏れた。
「どうした、モモ?」
「んんん〜?」
モモは首をかしげ、触角を動かし、すんすんと鼻で漂う匂いを確かめるようにして「……なんか、くさい」
次の瞬間には、ふにゃりと顔が崩れた。モモが本当に困ったときの表情だった。
「なんじゃろ〜。くさいっていうか、嫌な感じがする〜」
「くさい? 嫌な感じ?」
モモの言葉にメグリは意識して鼻を効かせる。
しかし強く香るのは周りの木や草花の蜜や葉の香りばかりだ。
「……そうか?」
「もう〜。なんなのじゃ〜。ご飯食べてたのに〜。わし、泣いちゃいそう〜」
モモはあげる、と言いながら、メグリの口に食べかけのサンドイッチを突っ込んだあと、荷台にひっこんで、ローブと寝具にくるまってしまった。
肉をあきらめるとはよっぽどだな背中を見送りながら驚く。
モモはミントやハッカの匂いなどが苦手ではあるが、
食事の際にそれらが香っても、食事を中断するほどではなかった。(大百足の名がすたる! と克服するためにチョコミントを十年以上食べつづけた結果、食べ比べ記事をサイトにアップするほどだ。最後までいやじゃ、いやじゃと言いながら食べ続けていたが、まんじゅうこわい作戦のように見えていた)
「大丈夫?」
思うより気遣う響きになったと、発した声が自らの耳に届き気づく。
付き合いの長いメグリにもあまり記憶にない振る舞いだったため、思ったより動揺しているらしいと自覚する。
しかしモモはうん〜。と気のない返事を返すだけだ。丸まった姿からのぞく触角が萎れていた。
心配ではあるが、原因も対処方法も不明な状態なので、窮したメグリはとりあえずと手綱を持ちながらモモの方に手をのばす。
おもったより近くに頭があり、髪に触れた。そのままかるく指であそばせながらなでる。
丸まったモモが移動してきて、手応えが変わる。触角の動き方からすると、続けてほしいということらしい。
ひとまず安心し、馬車は止めず、片手でなでながら馬車を進めることにする。
木立の中を行く二人が乗った馬車がゆるく曲がった道を抜け、先程より視界が開けた場所に出た。かすかに沢のような、水の流れる音が聞こえる。
ふいに馬と人の叫び声が聞こえ何事かと目をむける。
少し先、木が集まって薄暗く草が生い茂った茂みで、赤い服をきた人影と暴れる鞍のついた馬が見える。
人影は人の頭程度の大きさで、ブヨブヨとした腹に、恐ろしげに叫ぶ人の顔の模様が入った蛾のような虫数匹に襲われていた
「常元虫の巣の近くに立ち入ったのか」
常元虫は親虫の死体や人や獣の死体を餌にして育ち、
幼虫のあいだは地中で過ごし、成虫になると比較的大きい木を拠点に腹の先にある針で獣をしとめ
充分に肥え、餌を蓄えたところで、子をうみ、死んで餌になる。
元いた世界での常元虫がほぼ似たような生態で、あちらの世界では見ることはなくなったが、
この世界にもサイズが数倍の大きさではあるが、ほぼ同一の虫がおり、バミネネと呼ばれていたため、メグリもそう呼んでいる。なぜ大きいのかはメグリはあまり興味がない。モモに言わせれば『そういうもの』らしい
メグリは慌てる様子もなく、手綱をあやつり、馬に歩みを緩めるよう伝え、荷台に振り返り声をかけた。
「モモ」
「ん〜」
「どうやらトデンの森が近いようだ。常元虫がいる。それと人が襲われている」
「ん〜。うん?」
モモは話が見えないと行った様子で問い返す。
「カロには止まるように伝えたから、手綱を頼む」
「ん……えぇー!?」
メグリはモモの反応を待たず、頼んだぞとだけいい。尻の後ろに置いてあった黒漆塗り鮫皮黒糸菱巻き、紺石目地塗鞘の大太刀、舞草の銘が刻まれたそれを手にとり跳躍した。
馬車が大きく揺れ、モモが少し宙に浮く。後ろから聞こえる抗議の声をメグリは無視した。
馬車の斜め前方に着地したメグリは、地を蹴り、駆ける。
わずかの間に間合いを詰め、一番手前の常元虫が羽ばたいたところへ踏み込んだ。
半身の姿勢から、左手で鯉口を切り、右手は柄を掴む。
胸を張るようにして、舞草を抜き放つ。
手首を返し、落ちる軌道は大太刀の重さに任せ、最後に少しだけ引くようにして、弧を描く太刀筋で常元虫を背後から切り裂いた。
黒と緑が混ざったような粘液が舞う。
男と馬の方を見る。馬は暴れ、常元虫も近づけないようで、男の方を囲んでいる。
男は片手剣を構えており、一体は仕留めたようで死体が転がっているが、常元虫のふわふわとした動きに慣れていないのか、今は近づかれるのを防ぐので精一杯に見えた。
メグリは大きく踏み込み、手首を返す。
呼吸し、左下段に構え両手で柄を持ち、体を独楽に見立てたように腰を回し逆袈裟に切り上げる。
大太刀の威力と、それを枝のように振り回すメグリの膂力で死の直線が引かれ、直線上にいた一体の体は衝撃に耐えられず破砕され鱗粉と羽のかけらが舞う、残るもう一体は上体が吹き飛び、半分が飛ばされながら地に落ちる。
首を巡らせ、耳をそばだてる。構え直し、警戒する
「……ふー」一息ついて、メグリは構えを解いた。太刀を右手で持ち男の方を見る。
「……」
男はメグリのことを目に入れる余裕も無かったようで、いきなり眼の前で常元虫が吹き飛んだのに驚いたのか目をむいていた。
恰幅の良い、中年の男でチュニックは鱗粉と草と泥で汚れていたが、仕立てがよく、朱に染められ、ほつれもない。
「怪我はないか?」
「……」
「おい」
「……ひっ」
軽い悲鳴を上げながら一歩下がった男をみてメグリはため息をついた。
……また怖がらせたか
少し傷つく。これで傷つくことに慣れてはいる
とりあえず腰につけていた赤と灰ともつかぬ色に汚れた布で太刀を拭う。そのまま歩いて鞘を拾い、舞草を収める。いまだ跳ねる馬にそっと近づきなだめ、落ち着かせた。
メグリの194センチという身長は前の世界でもかなり大きく、こちらの世界でもすくなくとも人間というくくりではそうそうはいなかった。
また、持って生まれた素質の上で、良く鍛え上げられた肉体は厚く、広い。
その上右頬からこめかみにかけて大きな火傷後があり、他にもいくつか細かい傷が残る。
刈り上げるなどして芸術的な肉体と合わせて、個性派女性モデルとして職を得ていた時もあり、己の姿は嫌いではないが、圧が強いということをメグリはよく知っていた。
こういうときはむやみに近づかず、一旦離れるのが経験則としては一番良かった。
「……はぁぁぁ」
男は人心地ついたのか、両手を膝をつき、ため息に近い深呼吸をする。
すうど深呼吸をすると、顔を上げ快活に言った。
「……いやあ! お強い! 驚きました」
「あぁ。怪我はないか?」
問をやり直したメグリに、男は自分の姿を確認しながら、おかげさまで無事なようですと笑った。
男の視線がメグリの髪色と舞草に向かうが、すぐ視線を外し片手剣を収めた。このあたりでは珍しい黒髪と、未だメグリも自分以外みかけない太刀ではあったが、問うのはやめたようだ。
男は苦笑いして降参とばかりにように手を広げた。
「多少心得があったつもりでしたが、久しぶりの実践となると別ですね。腰が引けてしまって」
「無理もない。常元虫は複数に襲われるのが常だからな」
いや、まったくと男は落ちた帽子を拾いながら頭をかいた。
「油断しました。預かっていた馬が逃げてしまって、店を空けるのもと悩んだんですが、逃がすわけにも行かないので追いかけたらこのざまですよ」
「店?」
このあたりに村や都市はなかったはずだがとメグリは聞き返した。
男はえぇと頷き
「ここから少し行ったところに、馬車の荷台を利用して移動店舗を構えておりまして」
「ほう。面白い」
店が無事だと良いんですが、と言いながら男はメグリがなだめた馬にまたがる。
「もしよろしければ、おいでになってください。お礼させていただきます!」
全品無料とは生きませんが! と男は笑い、またがった馬の腹をしめる。
少し馬が嫌そうにし、男が軽く腹を蹴ってようやく歩きだした
メグリはやれやれと自分の馬車に戻る。
馬車は停止の合図を出したところからさほど離れていないところに止まっていて、メグリは馬車を引く栗毛馬――メグリはカロとよんでいる――を賢いやつだなとなでた。それほど付き合いは長くないが、よく意を汲んでくれる。
モモのことは主人とは認めていないようではあったが。
そういえばモモは大丈夫だったろうかと体を馬車に向けると
「なんか儂にいうことあるじゃろ?」
両腕をくみ仁王立ちしているモモがいた。
「体調はよくなったのか?」
「慣れた」
「そうか。よかった。……よくはないか。しかしおいていってしまってすまなかった」
「うん。そうじゃな」
「体調が悪いモモがいる馬車を揺らすなど人の道を外れた所業だった。それも謝る」
「うんうん」
「未だ馬車を止められすらできないモモに、手綱を任せたのは本当に愚かだった」
「そうじゃそ……お? なんじゃ? やんのかこら」
メグリはリーチ差を利用してモモの頭を手で抑えた。
モモは手の届かないところでシュッシュッとシャドーボクシングを初めて、メグリは思ったより元気そうだと安心する。
メグリはそのままざっと先程の経緯の説明をした。
モモはボディボディと言いながらパンチを空に切らせていたが、触角がメグリの顔の方向を向いていたので聞いていそうではあった。
「今回の仕事について、なにか知ってるかもしれん。話を聞きたい。店についたら例の聖女のふりをして先導してくれ」
「あぁ? 今いうこと? それ?」
「頼む。モモ。お前が先導したほうが、あの男もより詳しく話すことだろう」
「……どういうことじゃ?」
「私は先程あの店主に借りを作った。多少の信用も得たろう。それを率いるのが聖女となればさらに説得力が増す。それに」
今回メグリはモモが聖女に扮することによって、どれだけ旅がしやすくなるか試すつもりでもいた。予期せず事前にメグリが信頼を得てしまったが、ある心配事に対するリスクヘッジとしては悪くない。
「モモのような見目麗しい聖女が親身になって困りごとを聞いてくれるんだ。喋りすぎないやつはいない」
「……ふーん? 儂、かわいい? 喋り過ぎちゃう?」
「ああ、墓まで持っていくはずの秘密さえ差し出すことだろう」
「……しょーがねぇのう! ほんっとメグリは儂がいないとなんにもできないんじゃから!!」
こんなことで許すのはメグリだけなんじゃからね! などといって、モモは御者台にすわった。
早めにやる気を出してくれてよかったとメグリは内心安堵した。モモのやる気次第でどこが? どのように? どれくらい? と続くのだ。
メグリはモモの隣りに座り、手綱を持つ。
「ところでメグリ」
メグリの隣りに座るモモが見上げるようにし、メグリに声をかける。
「ん?」
「儂が別人のふりをしていたら、それは儂ではないということでいいな?」
「ん? ……あぁ? そうだな?」
妙な言い回しだなと思ったが、なりきりたいということだろうかとメグリは解釈する。モモはならばよいと納得したようだった。
「じゃあ聖女の練習をしながら行くか」
「んむ。こなしてみせようぞ」
聖女の練習とはなんなんだと、自分で少し面白くなって、少し口元を緩ませるメグリにモモは胸を張って返す。
頼もしいことだと思いながら、メグリは笑った。




