夜の宿2
お風呂回
「あれ、何だ。来たのか」
モモは不服だと言わんばかりに口をとがらせた。
「……ひとりで飲んでも面白くないもん」
「馴染んでたし、ああいうところで飲むの好きだろ」
「儂はそういうことを言っとるんじゃないの!」
いーっとしながら、モモは棚に脱いだ服を乱雑に突っ込んだ。たたんでほしいと思ったが、エールの約束を反故にしてしまったようなものなので、メグリは口に出さず、モモに謝る。
「わるかった。こっちおいで。洗ってあげる」
「あったりまえじゃろ。メグリが洗わなくて誰が洗うんじゃ」
何を当然のことをと言わんばかりのモモに、メグリは声を出して笑ってしまった。
「ははは。それはそうだ。……あっ、櫛を持ってきて。棚の上に置いてある」
モモが櫛を探してこちらに来る間に、メグリは火箸で火蜥蜴石を湯からすべてとりだして、平たい石に載せた。モモは熱い湯が苦手だ。ぬるいぐらいで丁度いいだろう。
「ここに来て」
メグリはトントンと自分の前の床を叩いて示す。
モモは素直にメグリの前で膝立ちになった。
眼の前の体はとても華奢だ。最初にモモの肌に触れる時は、壊してしまいそうな気がして、いつもすこし怖くて、指の動きがわずかにぎこちなくなる。
触角に当たらないように気を付けつつ、何度か丁寧に木櫛を通し、櫛に絡んだ毛を落とす。白い毛がはらはらと落ちる。
全体的にすき終わった後、メグリは自分のときより、更にぬるめにした湯を頭に掛けた。ぶるりとモモの体がふるえる。
先ほどと同じように青い瓶から洗髪剤を手に取り、なじませる。
「目、つぶって」
「うん」
メグリはモモの頭を、自分の頭を洗うときより、さらに髪と肌に傷をつけないように気を払いながら、揉むように洗う。
下に落ちる髪に手を通した。先程メグリが頭を洗ったときとは違い、するりと指が通る。
「触角、どうする?」
「洗って」
触角の根本に、指の先から包むように触れ、辿った。
モモは縮こまるように身をすくめ、口から押し殺しきれなかった声が漏れる。触角を洗うときは、触れてはいけないところに触れてしまうような、罪悪感と嗜虐が入り交じる感情が湧く。
お湯でゆっくりと泡が残らないようによく流した。モモが顔に張り付いた髪を剥がす。
今度は橙色の瓶から同じように液体を取り出し、あわだて、モモの背中に泡をつける。
モモの背中と脇腹を洗っていると、骨の形がよくわかる。上から下に手を動かすと波打つような手応えがあり、モモはくすぐったそうに体をよじる。怨霊なのに、姿どころか骨もはっきりとしていて不思議だ。
前の方はモモに自分で洗わせて、メグリはモモに背中をお願いすることにした。
相変わらずスゲー体しとるの、とモモは言いながら楽しそうに洗ってくれた。
普段から鍛えている上、舞草を振る機会が増えたので、体はあちらの世界にいたときより大きくなったろう。
あとはお互いの体を洗いあいっこしたりして、少しじゃれ合う。
どうせ二人で入ったらお湯があふれてしまうので、贅沢に湯を使って流した。
流し残しが残っていないことをお互い確認し、大桶に体を沈めた。
メグリが大きいので両膝を立てて座り、モモが足の間に収まる形になる。
滝のように音を立てながら、桶から湯が溢れ出た。
「「あー……」」
人の身を得てよかったのは、湯に入れるようにになったことじゃなとモモはつぶやいた。コームから聞いた山脈の麓にあるクラフトレアが頭に浮かぶ。温泉地らしいが、モモは入れるだろうか。
温泉の湯が熱い場合、どうしようかと考えていると、モモがメグリの左手の人差し指をつついた。
「ここの爪、ちょっと欠けとるな」
「ああ、そうなんだよな……。太刀振った時にやったらしい」
あちらの世界では舞草をもつ機会が激減してしまっていたため、いろいろな形にしてネイルを楽しんでいたりしたが、こちらの世界に来てすぐに、すべての爪をかなり短いスクエアオフの形にしてしまった。
メグリはこのところ、手の保護に手袋をつけるべきか悩んでいた。握りの感覚が大きく変わるため、決断できていない。
他にも普段からつける場合、気軽にモモを撫でられなくなりそうというのもある。かといって、戦闘になる度、都度つけ外すというのも億劫だ。
爪が割れると踏み込みや、舞草の振りにも大きく影響する。魔術師が爪を整える文化があるため、ネイル用品には困らないのはまだ救いと言えた。
手袋の素材やメンテナンスの事を考えている内に面倒になる。いつものことだ。
モモの髪の先が広がり、湯に浮かんでいたので、そちらに興味が移って、しばらく手で遊ぶ。
「メグリ」
「ん?」
「あたらしい傷、みせて」
モモが体を持ち上げ、ぐるりと体勢をかえた。モモは足の間で膝立ちになり、メグリの胸の上あたりに横顔を当てるように寄りかかる。
いつもひんやりとしているモモの体から、今は熱を感じた。
「ここの傷、すこしおおきい」
右頬とあごのあたりに新しくできた、グリフォンの爪による切り傷にモモは指をあてた。
切り傷は既にかさぶたになっている。モモはやわやわと傷の周辺を噛むようにつまんで、はなしてを繰り返す。傷を直接は触らないようにしているのがわかった。『噛まれたところ』に甘痒さがにじむ。
「ちょっとえっちな気持ちになるのう」
「……なんで」
モモが笑い、メグリの胸に振動として伝わった。水面が揺れ、小さな波が次々と桶の縁にあたり、返っては消える。
「儂、メグリがひどい目にあってるなって思うと、ぞくぞくする」
「それ、何回か聞いたけど、いつか裏切られるんじゃないかって怖いんだが……」
「さて、どうじゃろな。儂はひどい目にあったメグリをよしよしするのも好きじゃから」
裏切ったらよしよしできなくなるじゃろ? といいながら、モモは首の方向を変えて目をつぶった。左耳がメグリの胸の中心に当たる。
しばし、二人の呼吸と、心臓の鼓動が混じり合った音のみが響く。触角がさわさわと肩に当たりこそばゆい。
水面が静寂を取り戻したころに目を開けたモモが、視線の先にある、メグリの左胸の上部から肩にかけての古傷に指を添わせる。
「これ、なんのときの傷か覚えておるか?」
「いつのだっけか、それ」
くふふとモモは楽しげにし、続いて秘密じゃと古傷に軽く爪を立てられ、口付けられる。その動きがじわじわと、這い登るように繰り返された。
這い登る動きが、傷の端までたどり着き、そのままメグリの首にモモの両腕が回された。濡れた白髪が肩にかかる。髪から滴るぬるい雫が、肩からわすれてしまった傷を伝い、水面を揺らす。
「……メグリの傷は、儂だけが覚えておればよい」
メグリの耳元でモモはささやく。ぞわりとメグリの背が震えた。牙で首筋をゆるゆると噛まれて、生暖かい血を流し続けてしまっているような錯覚を覚える。
モモはメグリの鎖骨に両手をそえて、自らの体を支えた。下から上目で覗く顔は吐息を感じられるほど間近だ。
濡れてはりついた前髪が、モモの顔を隠している。隙間からメグリの顔を写す、どこまでも黒い瞳が潤んでいて、いつの日か見た髪色のようだと思った。
唇が柔らかな感触を得た。ゆるく求め、応じられ、求め返される。
モモは体を離し、いたずらっぽく笑った。
「ふふ。のぼせてしまいそうじゃの」
「……そろそろあがるか」
モモはそうじゃのと、にまにまとしながら、メグリの頬をなでた。そうかと思えば、勢い良く立ち上がり、ぽんと手を打つ。
「そうじゃ! 楽しくて忘れてたけど、儂、ご飯の途中じゃったわ! ここの肉料理けっこういけるぞ!」
モモはあっという間に大桶から飛び出して、メグリに手を差し出した。
メグリは先程までの雰囲気が霧散したのを感じ、深い呼吸をして、モモの手をとり立ち上がる。逃げられたような惜しさも感じるが、見逃されたような安堵もある。
メグリは入り口に向い、棚から持ってきたリネンの布でモモの体と頭を拭いた。
自分の体も拭いたあとに、香油の瓶をあけ、モモと自分の髪になじませる。
「モモ、化粧水。手出して」
「ほい」
モモが差し出した両手に、化粧水を出して、自分の二人で手になじませに顔に化粧水を染み込ませる。
紐で閉じた水色の陶器を開く。中には植物油でできた保湿用のクリームが入っている。
「顔出して」
「んむ」
クリームを手に取りモモの額と鼻、頬、あごに乗せた。自分の顔にも載せた後にモモに陶器の蓋を閉めてもらい、二人で顔に塗り込む。
「なんか、こっちの世界、妙に化粧水高いんだよな……」
「ふーん。なんでじゃろな。難しいのか? つくるの」
モモの右頬にクリームの伸ばし残しがあったので、メグリは親指でのばした。
「グリセリンとか成分の抽出とかちゃんとやると難しいのかな。よく知らんが……。ヘチマとか生えてればなぁ……」
「あー、ヘチマ水な。懐かしいのうそれ」
メグリは棚の下段に目をやり、着替えが自分の物しか無いことに気づいた。
「着替えは?」
モモは、しまったという顔になる。
「……持ってきとらん」
「持ってきてやるからちょっと待ってろ……」
「えっ、ここで待つのか儂? ……暗いしちょっと怖いんじゃけど……」
そんな事言ってもしょうがないだろうとメグリは服を着る。モモはちょっと寒いし心細い……とまた湯に入ってしまった。
また拭かなきゃいけないじゃないか。というかいろいろやり直しでは……? と呆れながら、早く戻ってきてねと、闇夜の一人きりを怖がる怨霊を残して、メグリは部屋に向かった。
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