北の国 夜
指が凍えたように動かない。一本ずつ、時をかけ、柄から手をはなす。顔を上げた向こうの空に星が出ていた。
見回すとほうぼうに焔が残り、わたし達を照らしている。
近くの堀の水面にはまるい月がたゆたう。今日は満月だったと知った。
月とともに写りゆれる残火が、かがり火に見え、幼い頃の社の夜祭りも満月だったなと益体もなく思う。
一息して、腹に力を入れる。姫の腰を挟みまたいでいた足を浮かし、右足を軸としてまわるように体を退いた。
うつむくように息を整えようとしたが、体が重い。
どうにも息苦しくたえられなくなり、兜を外す。
髪が、汗と乾いた自らの血で肌にへばりついて気持ちが悪い。苛立ちを覚え、むしるように面貌を取り、胴の蝶番を無理に外し脱ぎすてた。
ようやく充分を感じ、あえぐように息を整えながら籠手を外す。ややあって傍らに倒れた姫を見た。
姫の心の臓を貫き立つ、朱く濡れた刃に写る火のゆらめきが美しい。
以前に聞いた、屍から精を吸い上げて美しく狂い咲く桜のことが頭によぎった。ひどく恐ろしく感じて、傷を広げぬように胸から小太刀を引き抜く。鮮紅の血と桜色のなにかがまじわって刃にまとわりつき、粘った。
小太刀を置き、体をずらし膝を揃えて腰を落とし、わずかでも傷つけぬように姫の頭を抱える。闇夜のように黒い髪が手からさらさらと落ちた。土と血、熟んだ桃のような香りが匂う。
抱えた頭を腿に載せ、乱れた髪を整え、口から溢れた血を指でそっとぬぐう。静かに眠ったような姿が愛おしくなり、頬をなでる。
指についた血はぬるく鮮やかで、紅のようなそれが欲しくなり自らの口に軽く塗る。のばすように上唇でかるくおおうとぬるりと唇が滑り、錆びを感じた。
少し気恥ずかしくなって、ごまかすようにしらずしらずのうちに口元が緩んだが、だんだんと本当に可笑しく思えてくる。自らが道化になったように思えてしまって。過去の自分の失敗をふいに思い出して笑うときに似ていた。
――しかし、あぁ、なんて――
「――あまりに、あまりにむごい仕打ちではありませんか。おたけ様……」
可笑しいと思っていたのに、自然に恨み言が出てしまい、驚く。
胸が潰されたと錯覚してしまうほど痛い。自らのおもいが口から出てしまわないように、胸がきつくきつく、管を締めていた。
「……なぜ、なぜ、わたしだったのですか……っ」
それでも、言葉が出てしまうと堰を切ったように、もう止まらなかった。
どうしてこうなってしまったのか。
他に道はなかったのか。
なぜわたしでなければいけなかったのか、
ぐるぐる、ぐるぐる、同じような言葉がとめどなく頭をめぐる。
抑えきれずあふれた言葉は雫となって頬を流れた。伝う涙がわたしの血と姫の紅をゆるゆると流す。
「このような、このように……!」
なるならば、と口にするのがはばかられて、喉で止める。
さだめだったと理解している。遂げてほしいと願ったのは姫で、遂げたいと願ったのはわたしだった。
それでもおもいがとめられなくて、こころが苦しくて辛く、このような責苦が続くのならばもはや――
「――おやおや。そうまでに気をおとすとは」
不意の声に、驚き、顔を上げた。
「……お、たけ様?」
白く雪のような肌、吊り気味の目。つい見惚れてしまったときに、ふいに目を合わされ、笑いあったあの時と同じ顔をして、
優しく、わたしに二人だけの名をつけてくださったあの時と同じ声で、
細く、抱きしめた時に折れてしまいそうと心配になった、あの時と同じ体を持った、
わるいゆめのようなものが、そこに立っていた。
「儂の牙で鍛えた太刀を佩いてまで、貴様がしとめたというのに、いやいやまったくひとの子とは」
愛いものであるなとそういうと、それは、にやにや、にやにや、知らない笑みをみせる。
あぜんとし、首をめぐらせた。
見れば、くりから、と銘を受け、姫のさだめを終わらせた小太刀が、
井戸水に墨をたらしたように、渦を巻き、どす黒く染まりつつあった。
「しかし、そこまで手を尽くし遂げたというに、そなたの顔ときたら!あんまり哀れで涙がでるわ。……ふふふ。くふふふふ」
『それ』は、裾で隠してこそいるものの、口を黒い三日月のように大きく広げ、肩を揺らして笑った。
何を笑っているのかわからなかったが、ただ、まずいという直感があった。
忍びとして、鬼として、いくさばの勘がそういっていた。
だというのに、なお体が動かなかった。
おたけ様はそこに、すぐそばに、お倒れになっているのに。
あるいは、もしや、という言葉が、剥がしても剥がしてもにじみ出てこびりつく。
「ふふ……いや、悪い悪い。軽々であったな。……どれ、詫びではないが、そなたとは永い付き合いになりそうじゃ。呪をかけておくのも面白かろうし」
それは口を閉じる。表情が消えた。すぅ、とこちらに一つ、歩み寄る。
「そなたをらくにしてやろう」
そうかと思えば、よく知っているかのように、染み付いているかのように、おたけ様と同じようにわたしに笑いかける。
「めぐり」
あぁ、こいつは違うと確信をした。これは怨霊だ。おたけ様を苦しめた、山を七つ半巻くという大百足の怨霊だ。
「このたびはよくおもいをとげてくださいました」
同じ面をしていても、同じ声をしていても、同じ体を持っていても、同じ笑みをわたしにくださっても――おたけ様はわたしをそうとは呼ばない――
知っている。この眼の前の怨霊は、今、ここで討ち倒さなければまた災いをなすと知っている。
なにより、ここで果たさなければ、託されたおもいを遂げることができない。
「おたけ……様……」
でも、それでも、わたしは、その時――
わらう。おたけ様のような、憎き仇だったはずのそれは。
おたけ様は笑う。
そのまま、慈しむようにわたしの体をだきしめた。肌が触れる。狂おしいほど、あたたかい。
「こんどが、わたくしが、そなたをえいえんにあいしてさしあげます」
――ただ、もういちどこの笑顔が見られてよかったと、そう、思ってしまった。
それから、私(達)は、従属し、絶望し、戦い、敗北し、戦い、敗北し、諦め、立ち上がり、圧倒し、空虚を感じ、妥協し、和解して、共闘して、少しだけ理解し依存し合い、
「おい!! モモ!! なんだあの青い光の輪は!?」
「ひゅー! ほんとに開いちゃった!! 儂ってスゲー!!」
「開いちゃったって……何を!?」
「え、ワームホールってやつ?」
「はぁ!? ……おいおいおいおい!! このままじゃ吸い込まれるぞ!?」
「当たり前じゃろ。そのために開いたんじゃから! いぇー! レッツ異世界転生! ……あっ転移か」
「どっちでもいい!! 早く、あれを閉めろ!! なに笑って……おい! しがみつっ、くすぐるなぁ! やめっ、やっ……あっっ!!!!!」
なんだかんだいろいろあって――異世界に来てしまったのだ。




