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前段と後段で時系列が違います。◇◇◇の上と下で、現在と過去を分けて書いています。
読みづらかったらごめんなさい。
~現在。クルツの視点。大神殿への帰還~
今日は快晴だ。
モジス国に出立するに相応しい、気持ちのいい朝だった。
「シーファ…」
まだ夜も明けきらない内から、我が家に押し掛けてきたのはアルフだ。旅姿のシーファに、不安そうな顔をしている。しっかりとシーファの手を握り、別れを惜しみまくっていた。
「ちゃんと、ネール王国に戻ってきますよ、アルフ様」
シーファはそんなアルフを、クスクス笑いながら易々とあしらっている。シーファ、そんな寛いだような安心しきった顔をアルフに向けるのはやめなさい。兄ちゃんの方が落ち着かないからね。
シーファが一度、モジス国に帰ると明言した後、アルフは正式にシーファに求婚した。シーファは、アルフの事は気になっているけど、今は結婚のことは考えられないと返事は保留したんだって。相手は王太子だし、保留なんて出来るのかと心配になったけど、待てないのなら、いつでも求婚は撤回してくれて構わないと言ったら、アルフはいつまでも待つとの返事だったらしい。いつまでも待ちぼうけしてればいいと思う。
その求婚以降、アルフは吹っ切れたのかシーファを怒濤の如く口説いている。側に誰がいようとお構いなしに、甘い言葉をバンバン囁いている。こんな恥ずかしいセリフを次から次へとよく思いつくなと、最近では感心するようになった。
「約束だよ、シーファ。帰ってこなかったら、私が迎えに行くからね?」
「ネール王国の王太子が直々に迎えにきたら、シーファがお前の婚約者だと思われるだろう?絶対にヤメロ」
とんでもない事を言い出すアルフに、僕は特大の釘を刺しておいた。本気でやりかねないからね、コイツは。
「つれないな、お義兄ちゃん」
「そっのっ、呼び方ヤメロって言ってるだろ!」
シーファが僕らのいつもの喧嘩を笑いながら見ていた。最近のシーファは、昔のようによく笑うようになった。それも、アルフとユリア様のお陰だと分かっているんだけど。でも、腹立つんだよなぁ。
「クルツ様。道中の無事を祈って、その、お守りをお作りしましたの。あの、ご、ご迷惑でしたでしょうか?」
ユリア様が、プルプル小動物みたいに震えながら、顔を赤らめ、小さな布袋を差し出す。ユリア様の瞳の色と同じ紫の袋には、シンツ神様のシンボルマークが刺繍されている。とても綺麗だ。
「あ、ありがとうございます、ユリア様」
最近、僕はユリア様の顔がまともに見れない。だって、こんなに綺麗で可愛くて優しくて温かくて、そしてやっぱり凄く可愛い人なんて、僕の人生で初めてなのだから。
「あ、の。クルツ様とお揃いのお守りを、わ、私も持っているんです」
頬を染めて恥ずかしそうに見せてくれた小袋は、僕の瞳の色と同じ明るい茶色で、大事そうにユリア様の手に握られている。それを見て、僕の頭は嬉しさに爆発しそうになった。
「ふっ。この場合、どっちがお義兄ちゃんとなるのかな?やはり年上の俺の方が義兄だろう」
アルフが鼻で笑いながら妙な事を言ってきた。どっちが義兄?何を言ってるんだ?!ユリア様に失礼だろう?
「何の話をしているんだよっ!」
「ふんっ、いつまでも自分の気持ちを誤魔化している意気地なしは、義弟で十分だ」
「僕は誤魔化してなんかっ!」
「あのっ!!」
また喧嘩を始めそうになった僕とアルフを、ユリア様が強めの口調で遮った。じろりとアルフの事を一睨みして、僕の方に笑顔を向ける。
「どうかご無事で。お帰りを、お待ちしていますね」
ユリア様の笑顔に、ほんの少し、寂しそうな色が見えるのは、僕の願望だろうか。
そんなユリア様を見ていたら、僕の口から、スルリと言葉が溢れていた。
「ユリア様」
茶色のお守り袋を握りしめた手を、僕は両手で包んだ。
柔らかくて、小さな手だ。胸が詰まって、痛く感じるぐらい、温かな手だった。
僕は何故か、初めてシーファを抱き上げた時のことを思い出していた。腕の中の小さくて柔らかな存在を、僕の全てを賭けて守ろうと誓った時のことを。
あの時と同じような、でも少し形を変えた想いを、僕はこの目の前の女性に持っているのだ。
「帰ったら、大事なお話があります。僕が帰るのを、待っていて、くれますか?」
緊張で舌を噛み切りそうだったが、僕は願わずにはいられなかった。僕の言葉に、綺麗な紫の瞳が大きく見開かれる。
ユリア様は暫く固まった様に動かなかったけど、やがてじんわりと瞳に涙が潤んだ。あぁ、なんて綺麗なんだろう。
ユリア様は滲んだ涙を拭うと、はにかんだ様にフワリと笑った。
「お待ちしています。早く、帰ってきてね?」
恥ずかしげに小さく、破壊的に可愛く返された言葉に、僕の心臓はバクバクと煩く動き出した。千年トカゲを倒した時だって、こんなにドキドキしなかったのにっ!
僕はまともに声も出せずに、ユリア様の手を握ったまま、カクカクと首を縦に振る事しか出来なかった。
周囲から、揶揄う様な生温かい目が向けられていたなんて、全然気付かなかったよ。
豪華に飾り立てられたネール王国の紋章を冠した馬車に、シーファが乗る。沢山の神殿兵たちと、ネール王国の騎士達に厳重に守られ、聖女は第二の故郷であるシンツ大神殿を目指すのだ。
僕は黒毛の馬に乗り、馬車の一番近くに付いた。馬車の窓が開き、シーファが嬉しそうに顔を覗かせた。久しぶりの里帰りだもの。楽しみだよね。先に帰ったジル様も、首を長くして待っているはずだ。
「クルツ。気をつけてな。シーファを頼むぞ」
アルフが馬車と僕を見比べて、僕に堅い声で命じた。不安を隠せず、強張った顔をしている友に、僕はニヤリと笑ってやった。
「そんなの、当たり前だろ、アルフ」
この僕が側に居て、シーファにかすり傷一つ負わせるはずが無い。
「僕はシーファの兄ちゃんなんだから!」
◇◇◇
〜過去。ジル大神官とアーツ。大神殿への帰還〜
ジルとアーツはシーファやクルツに先立ってモジス国に向けて出発していた。
本当なら共に帰りたかったが、ネール王国に移住を決めたシーファとクルツは、細々とした手続きがあり、直ぐに立つのは無理だったのだ。
「さぁて、ローザン王国は許されるかね?」
ジルは物憂気に馬車の窓枠に片肘をつく。その行儀の悪い姿は、とても大神官には見えない。
「許される事もあるのですか?」
馬車に同乗していたアーツは、驚きに目を見張る。彼の中で、もはやローザン王国は神の道から外れてしまった国だ。助かる術などないと思っていた。
「シーファがシンツ神様に、ローザン王国の民への加護を願っただろう?多分、何らかの慈悲は賜るだろう。ただ、今のローザン王国としてそのまま残るのは難しいだろうなぁ。名が変わるか、国を分かつか、一切を残さず滅びるか」
神職にある者とは思えぬほど、冷たい顔でジルは呟く。時折、ジルはこんな表情を見せる。常にシンツ神と共にあろうとする大神官は、人よりも神に近い存在なのかもしれない。人としての情よりも、神の酷薄さを身にまとっているのだ。
アーツはもう何年もジルとの付き合いがある。普段は気さくで親しみやすいジルだが、こういう時は恐れに似た近寄り難さを感じる。
「今後の事は、あの王弟の心根と手腕に掛かっているだろうね。シンツ神様の怒りを鎮め、その上で国を維持するなど、並大抵の事では務まらんよ」
そこまでの器量があの王弟に備わっているのか。今はまだ誰にも分からない。
アーツは重苦しい気持ちになった。
ローザン王国は、確かにシーファを虐げた憎い国だ。しかし短い間ではあるが商会を開き、様々な人と関わった。悪い時もあれば、商人をやっていて良かったと感じることもあった。罰が当たったのだと、単純に割り切れることでもない。
「まあ。人は神の慈悲なくとも、生きることは出来よう。恩恵に慣れ切っていればいるほど、その道は過酷であろうがな」
「さようでございますねぇ…。私の様な凡人は、ただただ、皆様のご無事をお祈りするのみでございます」
いろいろな思いを込めて、アーツは熱心なシンツ神教徒らしく、神の慈悲を願う。罪人でも真摯に心改めれば、シンツ神様は必ずお許し下さると信じたかった。ジルは微笑み、アーツの心根の善良さを喜んだ。
「それにしても。はぁ。あの子たちは、あの調子じゃ、短い里帰りになりそうだねぇ」
ジルは大仰にため息を吐く。
彼を落ち込ませているのは、出立前に見た、シーファとアルフ、クルツとユリアの仲睦まじい様子だった。
「ジル様、最初から分かっていたでしょうに。クルツ様が家を購入なさった時点で、諦めていたのでは?」
笑いながらアーツに揶揄われ、ジルは唇を尖らせる。
「そりゃあね、護人が居を構え聖女を据えたのだから、ネール王国はシンツ神様のお選びになった地なのだろうと思ったさ。だけど…モジスの方が大神殿に近いじゃ無いか。クルツが道を整備したから王宮からも通い易いのに」
拗ねた物言いは、普段は絶対に見せないものだ。長い付き合いで気心の知れたアーツだからこそ、ジルは本音を見せる。
「まあ、仕方ないだろうね。モジス国には聖女と年の近い王族もいないし、護人と釣り合う年の子もいない。シンツ神様の思し召しとはいえ、見事に世代をズラしてくれたものだよ」
もしも聖女がモジスで擁されるべきならば、必ずモジスの王族にシーファと釣り合う年の子が生まれていただろう。モジス国にはシーファより上にも下にも、10歳以上離れた王族しかいなかった。
「あーあ。ネール王国の王太子は、可愛気がないから好かんのだよ」
「ジル様はシーファ様のお婿さんなら誰でもそう仰るでしょうよ」
「お前だって、同じ気持ちだろう?」
「ネール王国の王太子殿下は、武功もあり、施政者としての能力も高く、親しみやすいと評判です。が、…あぁ、いや、どんな相手でも嫌なものは嫌ですなぁ」
ネール王国の王太子アルフの良い点を挙げていったアーツだが、結局はジルと同じ様に憮然として黙り込んだ。聖女として崇拝し、実の娘の様に可愛がっているシーファの相手など、どんな優秀な男でも、面白くはない。
「なぁ、アーツ」
その愉しげな声音に、アーツは瞬間的に嫌な予感がした。ジルがこんな声を出す時は、大抵、ろくでもない事の前触れなのだ。前回は、シーファの兄クルツに引き合わされ、この子が冒険者としてやっていけるように、手助けしておくれと丸投げされた。
護人の自覚がないクルツは、気軽に伝説の魔物を狩ったり、難攻不落のダンジョンを攻略したり、存在すら知らなかった鉱物を発見したりする。その後処理は、全てアーツが行ってきた。
クルツの齎すものを狙った、他所の商会からの横槍、他国の軍部の介入など。それを大神殿の助けを借りて、何とかやり過ごしてきた。お陰で、大商人と呼ばれるまでに成長できたが、アーツの苦労と胃の痛みはそれに比例して増えた。
「嫌ですよ、ジル様。その先は仰らないでください!」
アーツの抵抗も空しく、ジルはとんでもないことを口にした。
「私は、そろそろ大神官を引退しようと思っているんだ」
アーツの思考はピタリと静止した。ジルの言葉を、理解することができなかった。
「ほら幸い、後進は育っているし。私が引退すれば、すぐにシンツ神様のお声が聞けそうな子たちばかりだしねぇ」
確かに、大神殿には優秀な次代の大神官候補達がいるが、本人たちがジルのこの言葉を聞いたら、全力で否定するだろう。
「な、何を仰っているんですか。大神官はこの世でただ一人。歴代の大神官様方も、現役のまま引退されたなんて聞いたことありません!皆様、惜しまれつつも儚くなられて次代の大神官が誕生なさっているではないですか!」
「別に死ななきゃ辞められないわけではないんだよ?シンツ神様にお聞きしたら、次代がいるなら代替わりしても差し支えないと仰っていたし」
「そ、そんなこと、シンツ神様に直接お聞きしたんですか?」
「ほら、神託もあるよ」
ジルは懐から虹色に輝く書状を取り出す。先日見たばかりの神力でピカピカの神託に比べれば光り方は控えめだが、虹色のその書状は間違いなく神託で。
そんな有難い神託を。なぜ一介の商人であるアーツが、こんな間近で見せられているのか。バチが当たるんじゃないか、これは。
「止めてください、止めてください!っていうか、大神官様の進退なんて、私なんかが聞いていいお話じゃないですよね?大神殿の偉い方とか、モジス国の王族の方とかと、決めることですよね?私に言ってどうするんですか?」
「いやほら。引退してさ、ネール王国に移住するのも手じゃないか?お前も、息子達に後を譲って、奥方とゆっくりしたいなぁって言ってたじゃないか」
つい先日、一番下の息子が結婚した祝福を頂いた時に、チョロっと漏らしたアーツの願望を、ジルは全力で拾い上げる気のようだ。いや、確かに言ったけど。若い頃からがむしゃらに働いてきて、最近ようやく余裕が出てきたので、苦労を掛け通しだった妻にも報いてやりたいと思ってはいるのだが。
「一度婚約者選びに失敗して、シーファには苦労を掛けたからねぇ。次の候補者は、とことん見極めたいのだよ。だが、大神殿から離れられないと、それも叶わないからね」
それもあるだろうが、アルフが気に食わないジルは、全力で邪魔する気なのだろう。それに、アーツを全力で巻き込む気なのだ。
聖女を獲得できなかった上に、ジルまでネール王国に移住するなどといったら、モジス国から泣きつかれるのは必至だ。その対応を、アーツに丸投げする気のジルに、アーツは頭を抱えた。アーツはジルのお願いを断れたためしはない。
引退後の生活は、妻の意向を聞かねばならないが、アーツ以上にジルに傾倒し、シーファとクルツを実の子のように可愛がる妻に、否やはあるまい。三人の息子たちが成人してそれぞれに家庭を持ち、すっかり母親としての役割を終えてしまった妻は、毎日に張り合いがないと母性を持て余している。アルフ王子との結婚に悩むシーファ、まだまだ頼りないクルツの恋の相談相手など、全力でやりたがるに決まっている。アーツは妻のお願いだって断れないのだ。
「ジル様ぁ」
これから巻き起こりそうな騒動とその対応に、年甲斐もなく涙目になるアーツに、ジルは悪戯っぽく笑った。
「諦めなさい、アーツ。すべての出会い、起こりうる事柄は、神の御心によるものだからね」




