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前段と後段で時系列が違います。◇◇◇の上と下で、現在と過去を分けて書いています。
読みづらかったらごめんなさい。
〜現在、クルツの視点。妹がやってきた〜
ある日の昼下がり。
3ヶ月に渡る長期依頼を達成し、クタクタになって帰った僕は、定宿で朝寝坊を楽しみ、朝食兼昼食を宿の食堂でモソモソと食べていた。昨日までは依頼主の家に泊まっていたから、不自由はなかったけど、やっぱり気を遣ってたんだよね。慣れた寝床はよく眠れたよ。寝過ぎちゃったぐらいだ。
そこへ、妹のシーファが突然やって来た。
「お兄ちゃん」
僕が送った手紙を握りしめ、最後に会った時より格段に質素な、正確に表現するならボロ服を纏った妹は、か細い声で僕を呼んだ。真っ直ぐでサラサラが自慢だった蒼髪は傷んで碌に櫛も通していないようなボロボロ、僕と同じ茶色の瞳からポロポロと涙が溢れ、くしゃくしゃと顔を歪める。
「シーファ?」
久しぶりに会う妹は、僕の記憶よりも大分背は高く、髪も伸びて大人びているが、泣き顔は小さい頃とちっとも変わらない。僕は驚いて立ち上がった。
「え?シーファ?本当に?あれ、僕、疲れ過ぎて幻を見ているのかな?」
混乱する僕の胸に、幻の妹は飛び込んできた。
「お兄ちゃんっ、おにいちゃぁんっ」
シーファを抱き止めて、僕は確信した。あぁ、これは本物のシーファだ。だって、泣き方が一緒だもの。悲しいことがあると、我慢して、我慢して、家に帰って僕を見つけると、堰を切ったように泣くんだ。お兄ちゃんって言いながら。近所の悪ガキに石をぶつけられた時だって、その場では泣かずに帰ってきてから、泣き付いて来たっけ。
そんな事を考えながら、僕はいつもの様にシーファを慰めた。
「お帰り、シーファ。どうしたの?兄ちゃんに話してごらん?」
優しく声を掛けて、頭を撫でる。そうすると、シーファは泣きながら何があったかを話してくれるのだ。
でも、今回は違った。僕の腕の中のシーファが、グンと重くなる。
「シーファっ!」
シーファはそのまま、崩れ落ちる様に、気を失った。
とりあえずシーファを宿の部屋に連れて行き寝かせた。宿屋の女将さんがシーファの身体を拭いて、着替えさせてくれた。女将さんが呼んでくれた医者によると、過労と栄養失調が倒れた原因との事だった。
ベッドで眠るシーファは、僕の記憶よりも大人になっていたけど、簡素なワンピースを纏った身体は骨が浮くほど痩せていた。肌はカサカサで、艶がない。ほんのりとピンク色だった頬は青白く痩けていた。指先はアカギレでひび割れ、血が滲んでいる。
僕は混乱した。何故シーファがこんな姿に?ほんの3年前までは、贅沢は出来なかったけど、シーファは健康だった。服だって、あんな薄汚れたサイズの合わないボロボロの物ではなく、シーファに合った可愛らしい物を着ていた。ローザン王国の後ろ盾の元、貴族も通う学園に通っていたというのに、どうしてこんな貧民の様な格好で、僕の元に帰ってきたんだろう。
僕は眠るシーファの頭を撫でた。くっきりと隈の浮かぶ目元に涙の雫が残っていて、胸が締め付けられる。僕の大事な妹に、一体何があったんだ。
シーファを害するものは、僕が許さない。僕は、シーファの兄ちゃんなんだから。
その時、静かなノックの音がした。ドアを開けると、宿の女将さんだった。スープを持って来てくれたのだ。小さく切られた野菜がクタクタになるまで煮込まれていて、優しく温かな匂いがした。
「クルツ。妹さんに飲ませてあげて」
「女将さん…、ありがとうございます…」
僕が悄然と皿を受け取ると、女将さんの顔がキリッと引き締まった。
「なんだい、その情けない顔は。たった一人の妹が泣きながら頼って来たんだろ?兄ちゃんなら、ドンと構えて受け止めてやりな」
シーファを起こさない為にか、囁く様な声で叱られて、腹を肘で突かれた。僕はスープを溢さないようにグッと力を入れる。
「すいません…」
「シャッキリしなよ!女手がいるなら、遠慮せずに声を掛けな!」
女将さんはポンと僕の肩を叩き、静かに下の食堂に戻って行った。この宿に泊まる様になって3年になるけど、女将さんにはずっと頭が上がらない。気風が良くて豪快で、凄く面倒見の良い人なのだ。僕が冒険者になりたての頃は、色々な事を親身になって教えてくれた。
テーブルにスープを置き、ベッドに戻ると、シーファの瞼がピクリと動いた。ゆっくりと瞼が上がり、瞬きを繰り返す。
「お兄、ちゃん」
しゃがれた声で、シーファが呟く。身体を起こそうとしてふらついたので、僕はシーファを支えながら体勢が楽になるように、背中に枕を差し込んでやった。
「無理しないで良いよ、シーファ。疲れたらすぐに休んで。あ、スープ貰ったんだ、食べる?」
コクリと頷くので、僕はスープをシーファの側に運んだ。スプーンで掬って飲ませてやる。まだ赤ちゃんだった頃や、大きくなっても寝込んだ時は、いつも僕が食べさせてあげていたから、シーファも素直に口を開いた。
「美味しい…」
「宿の女将さんが作ってくれたんだ。食べられる分だけで良いから、食べてね」
お医者さん曰く、シーファの栄養状態から長く食事が足りない状態だったので、一度に沢山の量を食べさせてはいけないのだとか。まずはスープなどの身体に負担の少ないものから食べさせる様にと言われている。
シーファは時間をかけてゆっくりとスープを食べた。皿の半分ぐらいしか食べられなかったけど、少しだけ顔色が良くなったのでホッとする。
元の通り身体を横たえて、僕はシーファを見つめた。どこかボンヤリとしている妹に、不安を抑えながら、そっとその細い手を握った。
「シーファ。何があったのか教えてくれる?」
◇◇◇
〜クルツの回想。僕の妹が聖女になった〜
僕とシーファは孤児院で育った。
両親は僕が4歳、シーファが1歳の時、隣村に畑で採れた野菜を売りに行く途中、魔物に襲われて死んでしまった。親類も居なかったので、僕たちは孤児院に行く事になった。
孤児院での暮らしは決して楽ではなかったけれど、衣食住を確保されていたし、優しい院長先生に読み書きや計算を教えてもらえたので、居心地は良かった。妹はその時、孤児院の中でも一番小さかったから、皆にとても可愛がられていた。
それからシーファが8歳になるまで、僕らは孤児院で育てられた。孤児院にいられるのは12歳までだったので、僕は一足先に孤児院を出て独り立ちする予定だったのだけど、なんとシーファの方が先に孤児院を出る事になった。シーファに、癒しの力があると分かったからだ。
癒しの力とは、怪我や病気を癒す力だ。癒しの力をもつ者は稀であり、発現した者は、教会に保護される。癒しの力は昔、シンツ神が愛し子を守る為に与えた力の一つと言われていて、癒しの力を持っている者はシンツ神に愛された存在らしい。
シーファは実は生まれた時から癒しの力を持っていたけど、僕もシーファも癒しの力が保護の対象だなんて知らなかったから、普通に孤児院で暮らしていた。癒しの力はどうやら貴族などの身分の高い人に発現する事が多くて、貴族の間では常識だったけど、僕らの様な田舎の平民はそんな事を知る機会がなかった。僕も村の人達も日常的な怪我や風邪をひいた時によく治してもらっていたっけ。便利だと思っていた。
とはいえ、癒しの力を持つ者は希少ではあるが、全くいない訳ではない。癒しの力を持つ者は神殿に保護され、神官や巫女として育てられる事が多い。そんな中、シーファの力が特別だって分かったのは、たまたま力を使ったところを教会の人に見られたからだった。僕らが住んでいた村に教会はなかったけど、偶に遠くの街から神官や巫女がやって来て、シンツ神様のありがたいお話を聞かせてくれるのだ。その時、薪割りでウッカリ手を切ってしまった隣のおじさんの怪我をシーファが治したところを、神官さんにバッチリ見られてしまった。その上、癒しの力だけでなく、聖女しか行えない浄化まで一緒に発動していたらしい。
神官さんは「い、い、い、い、癒しの力!?こんなに強い力は初めて見た!そ、そ、それにこれは浄化!!ま、まさか聖女様っ?」としばし呆然とした後、シーファに向かって突然平伏した。ビックリしたよ。いつも穏やかに優しくお話ししてくださる神官様が、泣きながら地面に頭を擦り付けているんだもの。何が起こったのかと思った。
そしてすぐに、シンツ教の大神殿で一番偉い、大神官ジル様が僕らの村にやって来た。ジル様は真っ白な神官服に身を包んだ大柄の優しそうなお爺さんだった。
ジル様から、シーファが数百年に一度現れると言われる聖女である可能性が高く、これから大神殿で暮らさなくてはならないと告げられた。
最初の神官様にも話を聞いた時から、別れの予感はしていたけど、やはり言葉にされると堪えた。大神殿は僕が住むローザン王国の西、シンツ教の信仰が厚いモジス国内にある。簡単に会いに行ける距離ではない。シーファも涙目で僕の背中に隠れ、ブンブンと首を振って拒否している。
「大神官様。妹は内気で人見知りなんです。僕も一緒に行くことは出来ませんか?下働きでも何でもしますからっ!」
一か八かそう願ってみたけど、大神官様の答えは否だった。大神殿は神官か巫女しか暮らすことが出来ず、食事の支度や掃除の仕事も全て修行の内なので、下働きを雇う事はないらしい。
「住まなければいいんですよね!じゃあ僕、冒険者になって、モジス国に行きます!毎日シーファに会う為に、大神殿に通いますっ!」
「それは構わないが…。クルツ、大神殿は険しい山の頂にある。一番近い麓の村でも、大人の足で半日は掛かるし、凶暴な魔物もウヨウヨいる。とても通う事など出来ないよ」
大神官様が申し訳なさそうにそう仰ったが、僕は笑顔で答えた。
「大丈夫!僕、村で一番足が速いからねっ!」