6
魔力で操作されているのか、砂は流動的で危惧していたような砂にうもれたまま出れない、という事態にはならなかった。どんどんと沈んでいくのを感じながら暗闇の中で二人くっついて耐える。結界が割れなくても、酸素はどうなるのだろうと考えてしまうと背筋が寒くなった。
ずるり、と宙に放り出される。胃がせり上がる浮遊感に頭が真っ白になったが、地面に叩きつけられても結界は最期まで仕事をしてくれた。皿が割れるような音がして消えたが、二人にダメージはなかった。
「聖女さま・・・」
「く、暗いですね。ルプレーさん無事ですか」
その暗闇の中ではお互いの居場所もよくわからなかった。シーカは周囲に敵がいないかと不安になりつつも、魔法で杖の先に光を灯した。少し後ろへ向ければ、副隊長としてついて来てくれたルプレーがそこにいた。眩しそうにしかめっ面をしていたが、シーカに怪我などの様子がないことに安心したようだった。他の護衛はそもそもあの沼のような砂地へたどり着く前に散り散りとなった。逃げた先が魔王の塒だったのはいいことなのかどうなのか。
足元はもう砂ではなかった。落ちてきた天井も不思議なことに普通の石材のように見える。視界は明瞭ではないものの、一見普通の建造物の中に思えた。天井や柱を見る限り城よりは教会のような雰囲気を感じるが、荘厳さや神秘さはなく、なんともいえない不気味さがあった。
「あれだけ濃かった魔霧もないし、やはり地下なんでしょうか」
「不思議な場所、魔力噴出口はどこにいったのかしら」
首をかしげて足を進めようとしたシーカを、ルプレーが止める。慎重に行きましょう、と片手剣を腰から抜いて構えながら先導した。道・・・いや廊下は広く前か後ろしかない。剣を構えるルプレーのフォローのため灯りの位置を調整しつつ、壁に手を当てながら進んだ。壁は石の感触だけで、装飾もなにもなく、そして僅かに湾曲していることがわかる。
「やっぱり、ここ円になっているのね」
「ドーム状というようなことでしょうか」
「ドーナツ状かもしれない」
「どちらにせよ、迷路のようになっていないならば、このまま行けば中央へ行けると考えるべきですか」
「そこに魔王がいる、ということね」
シーカとしては自身も腰に下げた剣を抜いて安心したかったが、ここは護衛の顔を立てることにした。あまりに静かすぎる空間で、ふたりの足音だけが小さく響く。はぐれた時にすぐに気づけるよう、二人は可能な限り会話を止めぬようにする。
「魔王の部屋はモンスターハウスのようになっていると言われています」
「魔物が集団で固まっているの?」
「わかりませんが、記録に残っているものでは、部屋を開けると魔王以外のモンスターがいて、多くが逃げ出してしまったという伝説が・・・その逃げ出した魔物が繁殖したため現在人間の住処に魔物が出るのだと言われています。そして、前回の魔王討伐ではとある街を破壊したのは魔王の部屋から逃げ出した魔物だと言われています」
「なんだかとっても都合のいい事情だけ残ってそうな史実ね・・・」
あら、と上をみる。砂埃がぱらぱらと降ってきている。壁に触れている手に集中すると、わずかに振動を感じた。自分たちのように誰か降りてくるのか、と思ったがそうではないようだ。部屋がある。扉はない。そこからは明かりと、ひどい魔力の衝突が感じられた。
二人は無言で端へより、部屋を覗き見る。
そこにいたのは、鳥と狼。
見上げるほどの巨体。森に出現していた大型の魔物でもこのサイズはなかった。思わず口を閉め忘れるぐらいには、圧倒された。狼が唸り、吠える度に魔力が風圧とともに建物を振動させる。足がすくんだ。対抗するように鳥が甲高く威嚇の鳴き声を響き割らせ、耳鳴りがした。
(戦っている・・・二匹だけ?どちらかが魔王だというの)
鳥のほうが美しい翼を広げて威嚇し、そのまま宙へ飛ぼうとしたその瞬間、狼は懐へはいりこみ容赦なくその牙を首へ喰い込ませた。力の限り暴れる鳥と、爪を立てて押さえ込む狼。ドンッと床へ二匹が倒れ込んだ後、ゆっくりと鳥の抵抗は小さくなっていった。
(どうする・・・このまま退却したほうが)
狼が次にどういう行動をとるのかわからない。様子を伺いつつも一旦この場から離れるべきだと判断をして後ずさりをする。だがおそらくはその僅かな足音から、狼はピクリと耳をこちらへ向けた。バッとこちらへ顔を向けて前傾姿勢になった狼。
バレた、と思ったがまだ飛びかかっては来ない。ルプレーが小さくシーカへ指示をだす。
「聖女さま、この場よりは廊下のほうが狭く、あの巨体では動きにくいかと思われます」
「・・・いいえ、暗闇ではあちらのほうが上だと思うわ」
「その鳴き声!人間か!」
その声はシーカのものでもルプレーのものでもなかった。
低く特徴的な声、ぐるるると唸る音が混じる。二人は一瞬動きを止めてしまい、その間に狼は一気にその巨体を跳ねあげて距離を詰めた。猫がネズミを取るように、その前脚で獲物を押さえつけようとする。シーカはそのスピードに反応できなかったが、ルプレーが咄嗟にかばい、身代わりとなった。勢いよく鎧と地面が擦れ、ひどい音がした。
「ぐっ・・・!」
「ルプレー!」
瓦礫と砂埃が舞い上がり、目を眇める。シーカは素早く剣を構え、切りつけようとしたが大きな狼の鼻面が目の前にヌッと寄ってきて身を引いてしまう。床を蹴り、距離を取る。目の前の巨体からすれば一瞬で詰められる間合いだが、シーカには必要だった。
「魔王が喋るって本当なんですね・・・!」
「魔王!俺を魔王と呼ぶ!やはり人間だ!」
誰に話しかけたわけではなかったが、返事は目の前の狼からきた。どうみてもただの大きな犬だというのに、妙に人間らしい表情で面白そうに笑う。ゾッとした。
そうか、本当にくるのかと首をかしげて牙を見せつけてくる。ルプレーにのせた前足は体重こそかかってはいないが、爪が食い込んでいるのか、ひしゃげた鎧とこすれあう嫌な音を立てた。
「やめてっあなたは・・・!話ができるならしたいわ!」
「話、話!一体なんのだ、魔物を減らせ?気に入らない人間を襲ってくれか?くだらんなぁ・・・」
「ちがっ・・・」
ネズミを捕まえた猫のようにルプレーを咥えて放り投げる。ルプレーは受身をとったが、甚振るようにすぐに前脚で小突かれて倒れた。完全に遊ばれている。転がりながらなんとかルプレーは剣を構えたが、その腕は折れているのかうまく力が入っていない。それでも容赦なく狼は噛み付こうと大口を開けて迫った。
危ない、ダメだ。そう思いシーカは咄嗟に剣と杖、両方を構えた。真正面から受け止めに行くが、力ではかなわない。イチかバチかだった。
「黒き風をなぎ払い揺らがぬ祈りの朝を・・・朝凪っ」
傷つけはしないがカマイタチのような鋭い風が狼を貫き、黒い魔力を削りとる。薙ぎ払われた魔力は極うすくに霧散した。だが狼は一旦その場から飛び退き、興味深そうにシーカを見つめた。
「白魔法・・・魔王を倒しに来るのは勇者であったような」
「そ、そんな・・・」
「くそっ、とんでもない魔力ですね」
唸るように首をかしげる狼、その姿はまるで応えた様子はない。それは魔力をみればわかった、まとっていた魔力は一瞬削られたが、すぐに元に戻った。今も音が聞こえそうなほどに魔力は立ち上っていた。
「違う、おかしい。中央の魔力噴出口だけじゃなくて、魔王からも魔力が噴出してる!」
「そんな・・・!」
魔力の質も同じだ。そんなことってあるのだろうか、と浮かんだ疑問は、意外にも目の前の狼が答えてくれた。面白そうに、魔力噴出口の縁に前脚をかけて、喋る。
「それはそうだろう、俺はこの魔力穴で生まれ育った・・・この魔力を吸い取り成長したのだ。そして、俺の子もここで生まれ落ちるのだ!わかるか?この魔力の穴で子供を産み育てれば、俺のような強く逞しい存在になれる。だからこそ取り合いになるのだが・・・」
「魔力を吸う・・・成長、つまり魔王って・・・」
「成長しなくなったここの主。それだけだ。
この穴から噴出される魔力が減り、お前ら人間のいう魔物の少ない平和なひと時はここで次代の魔王が育っている証拠でしかない!」
じゃぁ今の状態は、魔王が長年吸い取って減らしていた魔力が、今溢れかえっている・・・本来の状態。それが真実だというなら、ここで魔王を倒すべきなのか。いや、倒したとして別の魔物がここを繁殖地にするだけ。
「さぁ俺を倒してどうする?」
考えがまとまらない。だが、こうして真実をしれたことは決して悪いことではないだろう。
「じゃぁ今からあなたはここに子孫を?魔王であるあなたを殺さなくても勝手に魔力は減るのね?」
次代の王が育まれるとしても、子供や卵ならば対処できる。今この場で魔王をたった二人で倒せるとは思えない。なんとか説得しなければ、と震える声を絞り出した。
それを、目の前の狼は嘲笑った。
「何もしないから逃がして欲しい、か?浅薄!お前らを生きて返せば今度は大群を率いてこの場を荒らすことはわかりきっている!それぐらいには人間を知っているさ」
頭をわずか低くした狼、その予備動作にルプレーは剣を握り直したが、対抗できるかわからない。シーカも、もう説得は無理だとわかった。逃げるべきだ。タイミングをはかる。
「俺が責任もって食い殺してやろう」
3、2、1、
「浄めの風」
突如の轟音、耳鳴りがした。
だがシーカの耳には確かに雑な詠唱破棄をした白魔法の術が聞こえていた。そしてこの突風。逃げようとタイミングを図っていたシーカもルプレーも、飛ばされないように踏ん張り、視界を確保しようとした。砕け散っていた瓦礫が巻き上がり、肌を掠める。
「お兄様・・・!」
「よかった・・・死んでないな!」
こんなとこでも縁起もないことを言う!お兄様だ!
似合わないタバコを咥えながら兄、スピノザは、魔王である狼とシーカの間に立ちふさがってくれた。そんなスピノザの首根っこを引っつかんで後ろへ下げたのは、見たことない男の人で、冒険者だろう。
「あんま前に出過ぎんなや、おいそこの騎士の兄ちゃん前衛頼むぜぃ」
「・・・承知した」
「この犬なんだ?!ていうか全然魔王城っぽくねぇし四天王も凶悪な罠とかも全然なかったんだが?!」
「うるせぇすぐに体制整えるぞ、お前は後ろだ」
ほら、聖女様もなと促されたがシーカは剣を構えたまま動かなかった。ため息をつかれたが、白魔法の強力な風に吹き飛ばされた魔王である狼は、すでに大きな図体を起こしている。身体を揺すって瓦礫などを落としていて、まるで効いていないのは見て取れた。
だが、なんだか緊張感が切れてしまった。兄はこんな時でも、やれあれが不安だこれが怖いと言っている。昔からそうだ。怖い怖いと怯える姿が逆に余裕があるように見えてしまって、ホッとしてしまう。
「増援・・・本当に、人間は一匹みたら・・・」
「ゴキブリみたいな言い方されてる」
本当にお兄様はそういうところ・・・。
スピノザの言葉は無視してルプレーは狼から視線を外さずに三人に指示をした。
「食い止めますので、冒険者殿、聖女様と白魔法士様を護りながら撤退願いますか」
「おいおい、食い止めるってお前がかぃ?」
「これでも王国騎士、切り札ぐらいはあります」
「おい待て、出口があるかどうかもわからねぇのに動き回れってのか」
「魔物が出入りしてるのですから必ずどこかに・・・」
「ルプレーさん、一緒に戦いましょう」
「そうだぜぃ、運任せにバラけるより纏まったほうがまだいい」
そういって冒険者・・・ディアンは牽制するように狼へショットガンを発砲した。だがその巨体を身軽に跳ねさせてすべて避けられる。着地したところをルプレーが剣を振りおろし、爪で受け止められた。素早くシーカも逆の前脚を狙って崩しに行く。
ルプレーが横薙ぎにされ、シーカへぶつけられたが、倒れた二人が攻撃される前にディアンが再び発砲、シーカたち二人にはスピノザの白魔法で治癒される。体力と気力が回復し、すぐに立ち上がった。
いい連携だ、悪くない。だが、決定打が足りない。前衛であるシーカとルプレーの攻撃も、ディアンのショットガンも効いていない。スピノザの白魔法も魔力を削れてはいても物理的なものではない。
「ジリ貧・・・!ルプレーさん切り札とか言ってたの、必殺技的な?!」
「え、えぇ!強力な斬撃・・・ですがそれを使うと!私は気を失います!」
「お兄様、守護結界はどれほどで?!」
「よっしゃ一瞬で張ったる!ルプレー好きな時に行け!」
タイミングを見定めるためにルプレーを見つめる。いくら強力でも当たらなければ無駄だ。だが向こうも馬鹿ではない。仕掛けてくるとわかっていて無警戒に突っ込んではこない。
むしろ距離をとって魔力をまとった咆哮が飛ばしてきた。威嚇というよりその大音声での鼓膜への攻撃だ。魔力が物理を伴って肌を傷つけてくる上広範囲。息が詰まる。
「ぐっ・・・防戦一方、近づかないとっ」
「ば、バリアぁ~・・・」
音の衝撃に吹っ飛ばされかけ、ディアンに首根っこを掴まれているスピノザが呂律の回らないまま守護結界で四人を囲んだ。もはや詠唱破棄どころか守護結界の名称さえ間違っているのだが、それでもきちんと魔法が発動するのだから、シーカは呆れた。頭が痛くなるほどにこの兄は白魔法に関してはでたらめだ。
何度目かの咆哮で、効かないとわかったのか、イラついたように唸っていた。
「粘るな、人間・・・本当に、食いでがないくせに手間ばかり・・・!」
そのイラつきでより力がこもるのか、速さが増して飛びかかってくる。
気を失うであろうルプレーに強力な結界を作るために余力を残して、この結界自体は多少脆く作っているだろう。きっと狼の爪には勝てない。大ぶりな一撃、結界を消した瞬間に四人は散開、床はえぐれて瓦礫が散った。
シーカは避けるタイミングで狼の懐に入りこみ、急所を狙ったが手応えはない。
「酸性の弾があるが、効くと思うかぁ?」
「地味に効く、に一票。フレンドリーファイアに注意だな」
「横腹狙うから、囮やってくれや」
「はいっこのまま囮いきますっ」
「すみません、では体勢が崩れたところを俺が」
言葉を理解する魔王の前で大きな声で囮を宣言するなシーカ、とスピノザは思ったが、希望的観測で狼は自身の巨体でなぎ倒す瓦礫の音で聞こえてない、ように見受けられる。たぶん。狼は後ろ足で壁を蹴り、狙いを定めにくくしつつ迫ってくる。噛み殺そうと大口を開けて、シーカへ狙いを定めていた。
その牙でもって噛み殺す、かと思ったがその口から黒い炎が噴き出しシーカを包んだ。ルプレーもスピノザもまずいと思ったが、ディアンは冷静に土手っ腹へ酸性の弾を打ち込んだ。
だが、その硬質な毛皮に阻まれることを想定して、畳み掛けようとしていたシーカとスピノザは、黒い炎の対処に手を取られている。ディアンは苦渋の決断で全弾を立て続けに放った。そのおかげか、強酸のおかげか、皮膚まで届いたようで狼は動揺した様子を見せた。
「水面にゆれる風たちぬシダの滴の落ちる時、我が命」
ルプレーの詠唱で剣が青い光が覆い、魔力が漲る。
「天衝」
剣から延びる青い魔力はその名の通り天へ届く。巨大なそれはそのまま振り下ろされ、狼に届いた。だがこの攻撃が効果的だったか考えるよりも前にルプレーの必殺技は天井に届いてしまっていたがため、決壊し大量の砂が流れ込んできた。狼も、どちらかというと技よりも天井を破壊したことに驚いた様子があった。
「まっじかよ・・・!ちょっ集合!!!」
ルプレー以外の存在が皆この予想外の事態に慌てた。このままでは埋もれる、全員に結界を張るためにルプレーの元へスピノザは駆け寄った。ディアンも足をとられかけたシーカを投げ飛ばして号令に従う。結界を張り、そのあと地上へ出る手段を講じることができるのは、スピノザだ。
意識を失ったルプレーを囲み、結界を張り、四人は砂に埋もれていった。魔王と称される狼もまた、瀕死の状態で砂に覆われ姿は見えなくなっていった。
蟻地獄のような擂り鉢状の砂が急に早く流れ、蠢く。サラサラとした砂が盛り上がり、黒い巨体が姿を見せた。前脚でもがき、うまく這い上がってくる。その姿はほんの少しだけ小さくなっているように見えた。
ぐるるる、と唸る途中で咳き込み砂を吐き出す。あたりを見回し警戒する様子をみせ、何かに気づいたように跳躍して距離を取った。円状の対面から、小さく砂が舞い上がった。そして大きく息を吸う音と、砂を吐き出し咳き込む音がする。
「げっほ!くっそ、今世では砂丘遊泳することになるとはなぁ!」
「あー、くそっ酸素がうめぇ、魔霧だってのによぃ」
スピノザが叫び、次に動きにくい上着やらを全部捨てて身軽になったディアンが腰半分を埋もれさせつつもがいていた。ぐっと右腕をひっぱり上げて、気絶しているルプレーを引っ張り上げた。視界を見回し、正面にまだ狼が存在することに顔を引きつらせた。
「おいおい、奴さん完全復活してねぇかぃ」
「いや、小さくなってる。ありゃ回復に魔力を相当使っただろ」
向こうも足場が不安定な場所だ。一足飛びにこちらへはこないはず、と思えど、ディアンは銃弾もなければ、そもそも武器も邪魔だったので捨ててきた。スピノザは結界を全員に張りつつ登ってきたので杖はまだあるが、直接的攻撃呪文は白魔法の専門ではない。
とりあえず戦力外となるディアンは、お荷物となったルプレーを片手になんとか安全なところまで離脱することに決めた。スピノザは上着を砂の上に敷いて、なんとか砂に沈まないように足場を固めた。目の前の狼を警戒しつつも気にすることはいまだに上がってこない妹、シーカのことだ。
まさか埋もれたまま窒息してるのか?ギリギリまで結界を張っていたし、そう距離が離れるはずはないと思うが、と考えている間に、狼の足元でモコッと山ができる。
「ぷはっ・・・・うりゃっ」
飛び出したシーカは狙っていたかのように狼の首を狙う。剣は美しく振るわれた。弾かれるかと思ったが、頑強であったはずの皮膚は傷つき、シーカからしっかりと距離をとる狼。恨めしそうに睨みつけてくる様子に、先ほどよりよほど弱体化していることを理解した。
「魔力噴出口が塞がれていますからね!もう回復は無限ではありませんよ!」
「シーカ!俺の白魔法で削る!」
シーカはその軽い体重でもって砂場を駆け抜けた。倒すなら今だ、スピノザは枯渇しそうな魔力を調整する。正直体力があまりないスピノザは結界を張ったまま砂の中で全身運動で上がってくる行為に、今すぐ倒れこみたいぐらいの疲労感をギリギリ耐えている。いまだに息が上がったままだ。それでも、スピノザは今までにない爽快さを感じていた。
「人間、人間ごときが、俺の巣を、子供達・・・殺す、殺す」
「ご立腹だぁ、チャンスだぞシーカ」
ちょこまかするシーカに、白魔法で魔力を削ったり狼の攻撃を結界で阻むスピノザ、余裕を失い、言語さえ怪しい狼に畳み掛けるべきだと判断する。
「こういう真っ向勝負みたいなのさぁ!好きだわ俺」
「お兄様の好きなもの、はじめて聞いたかもしれません!」
「そうだっけ?」
「ええ、怖いもの、嫌いなものはいっぱい聞きました」
シーカはスピノザの前に立ち、剣を構える。思い出すのは先ほどのルプレーの技。聖女だの言われたが、白魔法の腕は兄のほうが上、だが剣の腕はきっと自分のほうが強い。剣に魔力をまとわせる。きちんとした魔法ではないが、しないよりはマシだろう。
「怖いですか、お兄様」
「そりゃね、怖いよ。生命体としてよくわからないのは怖いさ。なんだよアイツ狼の見た目なのに魔力削る度にちっさくなってる。俺たちの恐怖心の象徴ですとかなら切れるぞ」
「お兄様が何におびえているかわかりません。何に憂いているかもわかりません」
だろうな、とスピノザは思った。シーカはまっすぐに狼を見据えている。その強い眼差し、小さな背中はしっかりと伸びていて、庇われている状態を情けないと思うよりも頼もしいと思わせてくれる。ホラー映画のヒロインたちは、強くたくましく、美しい。ふとそんな彼女たちを彷彿させた。
「ですがそのすべてを切り捨ててあげたいと思ったのです。お兄様、私の剣は、強いですよ!」
駆け抜けいくシーカは、笑っていた。大人しくて優しい、少しだけお転婆の妹は、大きく跳躍して狼の目を切り裂いた。うめき声、血を流す変わりに魔力が飛び散り霧となる。
「おいこいつ倒されたら霧状になったりして誰かの身体乗っ取るとかないよな?!続編を匂わせる終わり方しないな?!やるぞ?!」
「いいからやれぃ!」
落ち着くための独り言だったが、遠くからディアンに怒鳴られた。あんだけ元気なら俺とルプレー両方担いで帰れるだろ。そう思って全力で杖に魔力を込めた。
「聖域〈サンクチュアリ〉」
砂に突き立てた杖の先から波打つように聖域が展開されていく。普通の結界の上位互換みたいな魔法だが、聖域の範囲に入れば確実に全てが浄化される。俺が、一番好きな白魔法だ。
魔霧が掻き消え、竜巻のようにうねる。魔王とされた狼は踏ん張って耐えようとして、その身体の魔力を削り取られるのをわかった瞬間聖域の範囲外に出ようと逃亡を撰択した。もちろんそれを許すシーカではない。
「お兄様と、私で、勝ちます・・・!」
魔力を削られ脆くなった前脚に剣を突き立てた。狼は呻き、暴れ、吠えた。だが練り上げた魔力も白魔法により消滅し、巨体はどんどん小さくなり、途中から水分を失ったミイラのようになっていく。萎んだ狼は、聖域に完全に飲まれた時に、砂に紛れるようにして物理的に崩れ落ちていった。
「・・・魔王」
風に吹かれてこの蟻地獄の砂の一つとなっていく狼の死体に、シーカは戸惑うようにして剣をしまった。聖域は完全になされた。その中でシーカは小さくごめんなさい、と祈るように言葉をこぼした。
■
魔王だと普通の魔物と死に方が違うのか?と考えたあたりで意識を失った記憶がある。これまた俺死にましたわーとか思ったら死んでなかった。目を覚ましたらベッドの上だった。どこだここ、と見回してる間にディアンさんとルプレーさんが見舞いにきてくれてホッとする。
どうやらディアンさんがなんとか砂に埋まりそうな俺を引っ張り上げてくれたらしいです。感謝。まじでルプレーさんと俺を担いで、シーカが魔物に対応して拠点まで戻ってきてくれたっぽい。
「お前さんが王子を脅しつけて聖女奪還を強行したってことでそこそこ問題になってたぞ」
「はぁ~まじですか、腰抜け王子様はどのような沙汰を俺に?」
「ラッキーだな、デレル王子と対立してるツィ王子が一緒だったから事実がそのまま国に伝わっちまったのが問題でお前はお咎めなしだぜぇ?」
どういうことだ?って首をかしげてると聖女を先行させておきながら聖女の救出さえしなかったという点、俺にこの結界の中なら安全だから、といわれた通り結界に引きこもってたこととか、その辺が全部情けないエピソードとして広がってしまったらしい。どんまい。
「しかも魔王だの勇者だの言っておいて、真実は魔力噴出口が全ての元凶ですからね、今いっぱいいっぱいなんですよ、城の方」
「ルプレーさん、魔力噴出口はあの後調査いったんですか?」
「いえ、聖女・・・シーカさんとスピノザさん両者に同行してもらいたいということになりまして・・・ただ現在砂に埋まっているとしてもまた元に戻るでしょうから魔物よけを作って、魔力をうまく運用できるよう施設を作るとかが妥当じゃないかという話です」
「まぁあの濃い魔力浴びてりゃどんな弱小魔物でも魔王になりますし、放置は無理ですか」
むしろ人間があの魔力を常に浴びていれば今度は魔人が誕生してもおかしくはない。とはいえ魔石なんかを大量生産できるとかもありうるのである意味で大層な資源となるだろう。そのへんの運用は王族様にお任せすることで、一庶民の俺の考えることでもないだろう。なんなら地下のあの場所をみるかぎり、元々人間の手が加わってたのかなぁとか思うので、歴史を調べればなんらかの資料ぐらい残っているんじゃないだろうか。
「はぁ~しかし、しっかり魔王復活フラグが立ってるなぁ、なんとか俺の白魔法で完全に潰したい」
「おいおい、それこそお前がいうフラグってやつじゃねぇのか?自分で立ててりゃ世話ねぇぜ」
「ディアンさん俺の扱いがわかってきたよね」
次世代に続くっていうなら俺が転生しない、米寿迎えて死んだ後とかにして欲しい。
俺はややこしい勲章の授与だのなんだのを体調が優れなくて・・・だのなんだの言って引きこもりたい気分だったが、ルプレーさんよりあなたと聖女の回復優先のために授与式を伸ばしているのが現状ですよ、といわれた。なるほど、すでに伸ばされていた。ちなみにルプレーさんもまだ万全の状態ではないので職務に復帰はしていないらしい。
「あ、そういえばシーカは?魔王倒したから聖女認定が強固になっちまった?」
ディアンさんとルプレーは顔を見合わせて、笑った。
「勇者としたらどうだって話になってますよ」
最初は私が勇者として認定されそうになったんですが、途中からは気絶していただけなので辞退いたしました、代わりに聖女に忠実に仕えたということで騎士として最高峰の称号がうんたらかんたらと少々興奮ぎみに喋りだして、ほう、なんかすごいんだなぁと聞いているような聞いていないようなアホの顔をさらしてしまう。
ディアンさんは少々呆れたような顔で一昨日からずっとこうだ、と言う。うん?一昨日って一昨日?え、まって俺そんなに寝てたの?あれからどんだけ経ってるの?拠点戻ってそっから行軍してって感じでは?
「四日目だ、拠点戻ってお前と聖女様を含む傷病人を先に魔法で城に帰すことなった。聖女様には王家の白魔法士がついたがアンタは最低限の怪我治したら放置でな」
「いえいえ、放置というかそもそも白魔法士には白魔法が効きにくいので、最高峰ともいえるスピノザ様には表面上の怪我を治す以外の手だてが施せなかったんですよ」
ディアンさんの悪意ある言い回しをすぐにルプレーが訂正する。どちらにしろ一番寝坊してたのは俺だ。確かに勲章だの王家の評判だの言うならそこそこ時間経ってるわな、気づけや俺。というより俺が寝てるこの部屋とベッド、どう見ても城では。この後、変に厄介なことにならないといいけど・・・王家の派閥争い、王家にだけ伝わる呪いだのなんだの・・・あーやだやだ怨念渦巻く城ってありうるじゃないですかー。
「そういや王家がこっそり吟遊詩人雇って今回のことを英雄譚として広めてるらしいぜ、クレイドル兄妹で聖女と勇者、二人の白魔法使いって」
「まじで?それ王家になんの得があんのよ」
「今回の従軍の正当性と、あとデレル王子が先に聖女として選んでいたことが重要のようです。詩のなかではデレル王子が命令して聖女を助けにいったことになっているようで」
「俺もお前も冒険者としちゃ名前が売れてたし、ルプレーは近衛兵だろ。そこそこ映えるメンバーだったってことだ」
「絵本にもなる予定らしいですよ」
「はぁ~やだやだ政争に俺たちを巻き込むんじゃねぇよ」
肩をすくめてため息をはいた。・・・その絵本はホラーじゃないんだろうな。違うだろう。だって勇者と魔王のあらたなる絵本だ。俺も妹も、生きている。ハッピーエンドか。そうか。俺はめでたしめでたしを迎えられたのか。いい世界。いい世界だな。
パタパタとした足音とともに扉が開かれ、そこからひょっこりと妹が顔を出した。怪我も不調も感じられない様子でなによりだった。
「お兄様」
「シーカ、いま最高の気分」
「どうですか、怖いものはもういませんよ」
「五歳児にいうみたいな口ぶりじゃん」
めでたしめでたしのその続きが、今から俺は見れるんだなと思わず笑ってしまった。
End