5
一日、一日悪夢がひどくなる。
行軍は順調とは言い難かった。森の中心は昼間で薄闇に包まれていて、屈強な兵士を不安にさせた。いくら魔霧を振り払っても効果は薄い。既にシーカや俺の手には負えないレベルだった。一時しのぎのために広範囲魔法は使っていられない。
昼間の進軍中に気が狂って逃亡するやつも出てきたし、魔物も強く巨大化したものが多くなった。中々しんどくなってきた、とため息が漏れる。目的地がはっきりしないというのがまた辛い。
この軍は魔王討伐の軍であり、目的地は魔王の根城。ただ魔王城とかがあるわけでも、巨大な巣穴があるわけでもない。ただこの森の中心地には肥沃な大地があり、そこにはこの魔霧の原因とも言える魔力噴出口があるらしい。魔力噴出口に魔王がいるから魔霧がこれだけ沸くのであって、いなければもっと薄い・・・というのが統計学的に導き出された結論。
(つまり、いない可能性も高い!)
ついでに魔力噴出口の詳しい情報はない!だってちゃんと森の中心に行ったことあるやつがいないからな!ばーかばーかこうやって戦う気満々で調査して、悪魔の封印解いてしまったりとかあるんだからな。永遠に続くボードゲームとか出てきたり人間に成り代わろうとする人形でてきちゃったりしたらどうするの。
(魔王が既に呪いみたいな理不尽な存在に乗っ取られていたらどうしよう・・・)
「お兄様、それは飲み水ですか?」
「まぁ浄化したから飲めるけど、これは撒く用」
「撒く?魔霧を消すのはキリがないのでは」
「まぁそうなんだけど、服とかにかけてやれば多少魔霧避けになるでしょ」
剣とか盾は錆びちゃうけども。霧吹きとか誰か持ってないですかねぇ、とよく備品を扱ってる人たちに聞いて回る。シーカも成る程っでは聖水作りを手伝います!と気合をいれて水の調達へ向かってくれた。備蓄の部隊ではなく近衛兵のほうへ向かったあたり現地調達するっぽい。そんなに逞しかったですかね貴女。
「お、霧吹きなら俺が持ってるぜぃ」
「まじすか、助かる~って静寂の鹿・ディアンさん」
「ありがてぇ。クレイドルの白鬼に認知されてるたぁ」
この人も参加していたのか、と驚いた。
ショットガンを扱い長髪に眼帯という中々クセの強い風貌が印象的で、何より冒険者としてかなり薹が立っていたため目立っていた。白髪や皺からはっきりと爺さんだと言えるが、その鋭い眼光やソロ任務でもかならず成功させて帰ってきているところから、決して舐めてかかっていい人物ではない。冒険者は短命な職業だ。任務で死ぬのは珍しいことではなく、生活が安定していればある程度で引退する。それが、この歳まで生き延びて未だ現役。それだけで尊重されるに値されるのだ。
「ん?白鬼・・・俺?」
「そうだろ、白魔法士クレイドルの鬼のほう」
「まってくれ、鬼?!おかしい、むしろ鬼を退治するほうなのでは?!この世の闇と脅威を抹消し続ける白魔法士だというのに鬼!」
「・・・その笑顔と鬼気迫る勢いでゾンビやらスケルトンつぶしに行くからじゃねぇかぃ」
なんだと・・・。白魔法士として優雅に葬っていたと思っていたのにちょっと前のめりすぎたか・・・。ディアンは呆れた顔だったが、すぐ面白そうに件の霧吹きを押し付けてくれた。俺の私物だから返せよ、と言ってそのまま踵を返した。が、そのまま行かせるものか、と引き止める。せっかく貸してくれたのだ。とっとと聖水をいれて許可もとらずにシュシュシュッと適当に吹きかけてやった。
「なんでぇ、こりゃ」
「水ですよ水~ありがたぁい水」
「ほぉ・・・少し呼吸が楽になった気がする」
「お、やっぱ効果ありますね」
もう少し霧吹きがあれば水だけいれて各自でシュッシュしてねぇーとか言えるのだが、他にないだろうか。まぁ霧吹きじゃなくても適当に濡れた服とか来てくれるならそれはそれでいいんだが、と考え込む。ディアンは堪えきれずに笑ったらしかった。
「お前本当に死なずのカナリアの弟子なんだなぁおい」
「ババア様のこと知ってるんですか」
「おお、知ってるさ。炭鉱の死なないカナリア、辻ヒールの道楽貴族様だろ」
「俺あんまりババア様のこと知らないんすよねぇ、あっ霧吹きまだ持ってる人いたら貸してくれるよう言っといてくれません?」
「・・・毒ガス鉱山を一人率先して突き進み白魔法で鉱夫の毒を治しまくり、ついには鉱山の毒を浄化しきったファンキーで有名な貴族だぜぃ。しかも旦那が死んだらとっとと領地を出て国中回って勝手にヒールをかけまくってるって噂だった。ありゃぁ中々いい女だって思ってたが、弟子を取る腕も良いとはなぁ・・・・」
しみじみ、と言わんばかりの目でみられた。ババアさまカッけぇな。
ディアンは霧吹きなら冒険者共が持ってるはずだから声かけてやるよぉ、と言って去っていった。あれもイケオジの空気を感じる。
「お兄様~水を補給しましたぁ」
「ありがとー!今行くっ」
大量に聖水を作り、霧吹きで携帯できる状態にしたあたりで、近衛兵やデレル王子たちが待ったをかけてきた。無闇矢鱈に使用するのではなく、ここらで聖水があることを前提に進路や部隊を決定したいということだった。
「ここから先は先行する部隊と待機する部隊で別れたい」
「では尖兵が霧吹きを携帯するということで?」
「正気を失われては困るからな。魔物や魔王の所在が明確になれば報告に戻って一斉に突入する」
まぁ、それが無難か。正直このあたりは水場もあるしある程度の魔物もいるし、しばらくキャンプするに好条件だからな。この先は木々がより鬱蒼としていて、魔霧も相まってひどい暗さだ。
「二手に別れるならば白魔法士も別れたほうがいいだろう」
「そうですね、では私が」
「いや、先行部隊には聖女がはいる」
はぁ?と声には出さなかった。少人数でさらなる深い魔の森を駆け抜ける部隊となるだろうに、聖女がいくのか。妹にそんな無茶をさせられん、と抗議したかったが、その前にシーカが元気よく返事をしてしまった。おいおい、と視線をやれば誤魔化すように苦笑された。
「聖女だ、魔王と引き合うものがあるだろうし、白魔法士としての実力は確か。その上多少なりとも剣の腕がある。最適であろう」
「ふっ、聖女は行くのに勇者はいかないのか?デレル」
「・・・おや兄君、私が勇者とお認めになってくださるのですね。ですが王家への連絡や指示など色々ありますので」
もちろん最終的には参戦させていただきますよ、と気取ったような仕草で言った。
デレル王子の兄とやらは王子という身分に似つかわしくない形相でその背中を睨んでいた。なんとなく空気が悪くなったなぁと視線をうろつかせて解散のタイミングをうかがうばかりだった。絶対に魔霧が濃くなった。
「シーカ、なんで安請け合いしたんだ」
「だって、私お兄様より聖女らしいこと何もしてないし、それに落ち着かないの。待機するより進軍してるほうがいいなぁって」
「だからって、どんな危険があるかわからないぞ。所詮は魔物だって王子たちは思ってるが特定の封印方法じゃないとダメ、とかいう謎解きパートに入ったらどうするんだ。物理じゃないと、とか中々姿を現さずに影からチクチク無駄に凝ったギミックで殺しに来るやつだったらどうしよう・・・!」
「お兄様、お兄様」
次から次へと不安が湧いて出る。今まで自分はどんな死に方をしていただろうかと走馬灯のように前世たちが埋め尽くしていく。
曇ったような空を仰いで嘆けば、シーカは宥めるように肩をやさしくたたいてくれる。するっと手を取ってマッサージをするように撫でてきた。何をしているかわからなかったが、こんな短い期間だけですでに妹の手は肉刺ができて俺よりよほど戦士の手になっていた。
「お兄様がどうしてそんなに色々不思議な心配をするのかわかりませんけども、でも私白魔法も剣も扱えるようになりましたの」
「うん、すごいな。剣の才能があったなんて知らなかった」
「それでお兄様の憂いは晴れませんか」
「うん、それとこれは別。なんだったらそういう凄い能力持ってるんだぜ、希望の光だっていう登場したら次の瞬間死んでそうで嫌」
「それは、困りました・・・」
眉を下げてシーカは悩むように唸ったが、何か思いついたのかすぐに笑顔になった。ごそごそと胸元を緩めてチェーンを引っ張り出す。見覚えのあるネックレスだった。なぜなら俺も同じペンダントトップをブレスレットにして、今も腕にある。
「お兄様の作った魔道具!一回こっきり結界魔法。危なかったらちゃんとこれを使いますからね、安心してください」
「シーカ・・・絶対だぞ?出し惜しみするなよ?使ったら俺のブレスレットが連動するからな」
自分の力作を持ち出されたら、しぶしぶ納得せざるえない。いや、結界の力は信じているが一回こっきりってやっぱ危なくない?なんで数回発動できるようにできなかったかなぁ魔法石がもたなかったんだって、あぁ土壇場になって反省点がめちゃくちゃ見つかるぅ~
「お兄様、絶対無事に戻ってきますからね!」
「すごく嬉しいけど、フラグっぽいから力いっぱい言わないで・・・」
だが気持ちは嬉しい。
俺はちゃんといってらっしゃい、と笑って送り出せた。
■
杖をくるりと回して魔霧を払う。それに周囲の人間がホッとした様子で深呼吸をしだす。俺の扱いが本格的に空気清浄機じみてきたな。思わず笑ってしまう。
待機命令が出ている現在、士気はあまり高くない。洞窟みたいに狭苦しくないだけマシだ、と冒険者などは言うが、それでも悪夢を見せる魔霧の中、あちこちに魔物がいる神経を張り詰めたままの状態、時間の感覚もおかしいとくれば屈強な男どもも中々にしんどそうだ。
俺も正直しんどい。昼間でも薄暗いという現実、木々の間から悪魔じみた魔物が覗いてたりするのも、人間が集団で集まっていることも、俺の不安を煽る。このまま集団ヒステリー起こしたりするんでは、とか誰か一人が悪魔にとりつかれたりするのでは、という枯れ尾花がチラチラと脳裏をよぎる。なにぶん、俺の支えでもある白魔法を常時、全体にかけるというわけにもいかないのがしんどい。自身が魔力切れで肝心な時に倒れていたりしてはいけない。
(シーカ・・・)
一応護衛がいたけど、それでもなぁ・・・、と深くため息をつく。気持ちが暗くなるのも魔の森だからだろうか。そもそもこの森にいる動くものは全て魔物に分類されるのだ。そこらでうろうろしている小さい小動物みたいなやつも黒いし赤目だし、こちらを監視しているようで気味が悪い。知能が高いとすればありうる話だ。
「白魔法士さまが随分参ってんなぁ」
「ディアンさん、まぁ俺ビビリなんで」
「それは意外なことだなぁ、ここらの魔物どもは頭がいいから逆に安心だぞ」
「え、そうですか?」
「知能が高いからこそ、わざわざ集団にちょっかい出してくるやつがいねぇの」
成る程、警戒して見張ってくるが無策に襲撃してくるほどアホではないと。だとすれば安心、と行かないのが俺なのだがディアンさんは気を使ってくれたのかもしれない。そもそもディアンさんの泰然自若とした態度は周りでうろたえている人間には頼もしく、安堵を与える。
「ちなみに、少人数に分かれたらどうします」
「群れから離れた野生動物はただの獲物だろぃ」
全然気は使ってなかった。
頭からシーカのことが離れなくなるだろ。じとっとした目で見つめるがディアンさんは気づかないのか気にしてないのか、胸元からパイプを出して葉を詰めだした。
それを見て、自分の胸元にもタバコらしきものがあった、と思い出す。友人がくれた悪魔祓いの煙草。ふと気持ちが落ち着かないのでそれに火を点けてみようとした。
「白魔法士殿!!」
周りの人間を掻き分けて走り込んできたのは近衛兵だったと思う。ただ事ではない様子に反射的に立ち上がる。こちらへ、と誘導する近衛兵に着いていけば、王子達など上の人間の作戦室扱いされているテントだった。
勢いのまま足を踏み入れれば、そこには上官と王子たちが円陣となっていて、一斉にこちらを振り返った。
「きたか、白魔法士」
「ご用件は・・・そちらの兵士の治療ですか」
デレル王子が一歩ずれてくれて、取り囲んでいた兵士の身体が見えた。全身の痙攣と、過呼吸。そして医師が何人かで背中の傷口を押さえて止血をしていた。すぐに杖を振る。怪我を治すにしても先ず汚れを落とさねばならない。傷口にまとわりつくような魔霧も飛ばす。そして止血。筋肉の痙攣を正常化、状態をみつつ順番にかけていく。
傷口は開いたままなので、医師が素早く針と糸で縫っていく。麻酔もない状態なので、兵士からはうめき声がしたが、呼吸は既に整っている。些かリズムは早いが、酸素は回り始めただろう。
「傷自体は治ってませんので、大人しくするように」
「いや、助かった。・・・ご報告を・・・」
苦しそうなままに、無理やり身体を起こして、王子達に跪く。
「聖女部隊は魔王の塒を目前に壊滅状態となりました」
予想はついていただろう。この兵士は確かに送り出した聖女率いる先行部隊にいた。怪我の痛みに呻きつつも報告してくれた詳細は、上層部の頭を悩ませるものだった。
デレル王子の読み通り、引き合うものがあるのか、それとも白魔法士だからなのか、聖女シーカは魔霧の濃い方向がはっきりと分かり、塒と思しき場所へたどり着いたという。その場所は蟻地獄のように円形にえぐれた砂場で、確かに中心に魔力噴出口があった。息苦しい中、シーカを中心に範囲魔法をかけて進んでいたらしいが、円形に入った瞬間、空から魔物に襲われ、部隊は散開してしまった。
目の前で聖女の補佐としてついていた女性兵士は真っ二つになった。シーカと他二名ほどはまとまって魔物を相手取っていたのを確認し、彼自身もそちらへ合流するつもりだったらしいが、その前に応援要請と報告のために逃がされたとのことだった。彼は、聖女を除いて一番の年少だった。
聖女は剣をとって応戦していたらしい。
「地図を」
「経過時間と、場所はわかるか」
慌ただしくなる中、俺は憮然とせざるえない。
死んだのかどうかもわからない。死んでいる可能性が高い。慎重を期すべきだ。そんな言葉が自分の耳を通り過ぎていく。
魔王と出会ったわけじゃないだろう。おそらくこのあたりにいる普通の魔物だ。
殺意増し増しのギミックの館に入ったわけでもないし、チェーンソーもった男が追っかけてきたとか、とってもかわいそうな怨念の塊が呪いの連鎖をつないできたとか、悪意の塊でしかない謎の生物に襲われたとか、そういうものではなくて。
この世界での日常ともいえる魔物と、命のやり取りをしている。
「・・・・・!ブレスレットが」
自分の腕をみやれば、ブレスレットが光っていた。連動しているのはシーカのペンダントだ。結界を張った。ということは、生きている。靄がかかっていた思考が晴れる。そうだ、何をしている。今もシーカ戦っているんだ。
「シーカはまだ生きてます、俺も救助へ行かせてください!」
額を突き合わせて話し合いをしているらしい中へ俺も前のめりに突っ込んでいった。不敬など知るか。俺の妹だ。神妙な顔をしているデレル王子。もう一人の名前も知らない王子の兄は嫌そうな顔をしてこちらをみた。
「・・・いや、撤退する」
言葉を失った。
「なにを、なにを言うんです王子」
「懸命な判断だな?デレル、だが戻ってなんと報告する気だ。聖女を失ってなんの成果もなくとんぼ返りしてきたとでも」
「魔王の塒は突き止めた。地図を埋めれたのは成果になる。この魔霧の濃さと部隊の壊滅、塒の様子からしてなんらかの対策が必要になることを思えば」
まるでこちらの言葉を聞こえてないかのような素振り、まるでシーカ達を諦めるために必死に成果を書き並べているかのようだ。ふざけてる。何が成果だ。
「お言葉ですがっシーカは!今も結界を張って耐えているはずだ!助けに行かなくて何が勇者なんですかっ」
「愚弄するか、だが君は貴重な白魔法士だ。君がいなければ全軍にダメージがいく。撤退もできないんだ、わきまえることだ」
「だあああ!ふざけやがって俺がいなけりゃ撤退できねぇってんならここで待ってな!」
杖を両手でもち力任せに地面をついた。えぐれた場所から旋風が起こりテント全体を包み込む。テント内にまで漂っていた腐臭にも似た濃い魔霧は散っていく。渾身の結界だった。
「おう、このテント内は魔霧も魔物も通さねぇ聖域だ!これが消えたら俺は死んだと思って撤退でもなんでもしろ!聖水は大量に作っといたから頑張れ!じゃあな!」
「あっ、おいクレイドルの・・・!」
大股でずかずかとテントから出ていき、最低限の荷物を取ってすぐに出発する。テントの外で聞き耳をたてていたらしいディアンさんが自然と横に並んでくれていた。お互い無言であったが、どうやらついて来てくれるらしい。
「あんたショットガンだろ・・・」
「白魔法士は遠距離扱いになんのか?」
「・・・前衛がいねぇー」
思わず笑ってしまった。地図は見てきたが、流石に奪ってくることはできなくて不明確だし、非力な白魔法士と中距離攻撃の年かさの冒険者の二人だけで魔王の住処へ突っ込もうって、無謀もいいところだ。
「怖いんじゃないのかぃ」
自称ビビリだろと、ディアンさんは笑う。俺はただ頷いた。機械的に足を動かしていく。もちろん今も怖い。死にたくない、寿命まで生きたい。それが本音だ。そう思うならば逃げたい心に従って命を守るのが正しい気もする。
「怖いものは逃げると追いかけてくるから」
不安も、恐怖も、罪悪感も、ありとあらゆるほの暗い感情は、逃げれば逃げるほどに追いかけてきて、まとわりつく。自分自身と向き合って、現実と向き合って、立ち向かうということは、なんと勇気のいることだろう。迷いなく、正しい姿。妹の笑顔が思い出された。
「いま怖いのは、妹が死ぬことなんで。ていうか妹が死んで俺を祟に来たらめちゃくちゃ怖いね、モンスターとかになられたらもっと怖い。ダメダメ、行きましょうディアンさん!あのおっとりお転婆女は俺たちがたどり着くまで生きてるはず」
「前のむき方が特殊だねぃ」
了解、とディアンさんはやっぱり面白がるように笑った。
そして、俺が獣道沿いに進もうとしたのを止めた。急いでいるのに、なんだと思っていると提案があると言う。
「その前に聞くが・・・死んでたらどうすんだ」
魔王を倒すか?と首を傾ける。その表情は俺らじゃ無理だと思うけどな、と言いたげで、それは俺も大賛成だ。俺は魔王を倒す使命感で王子に不敬を働いてまで塒へ行くんじゃない。生きているだろう妹を助けに行くのだ。
「死んでたら、俺が白魔法で成仏させてやる」
白魔法士であろうと魔霧が勝手に浄化されるわけではない。大きな深呼吸はひどく息苦しさを感じさせた。
俺の回答は、ディアンさんにお眼鏡に適ったのかもしれなかった。
「おーけぃ、じゃぁこんな道じゃなくて、まっすぐ進むぞ」
人の手のはいらない森はジャングルのようなもので、獣道、この場合魔物の道以外は元気に下草が生えている。慎重に進んでいたが、ディアンさんは道を外れて粗雑な足取りで草木を踏み分けてズンズン進んでいった。
慌ててその背中を追いかける。視界にかかる枝を避けきれずに細かい傷がついてしまい、妙にヒリヒリと痛かった。こんな小さな傷を治してはいられないが、こういう傷ほど気になってしょうがない。
「ディアンさん?!」
視界が開けた、と思った瞬間目の前にあった背中が消えた。足元は崖になっていて、落ちたのか、と焦って覗き込めば、岩がうまく段差になっているのかバランスよく立っている。というかこちらに一言もなく、そのまま次の取っ掛りになる部分へ狙いをつけて、うまく下へ降りていっている。
(こんなボルダリングじみたこと俺にやれってことですか)
え、まじで?躊躇している間にもディアンさんの姿は小さくなっていく。冒険者とはいえこんな移動法普通じゃないだろう。舌打ちを一つして、覚悟を決めてディアンさんが足場にしていた岩へ、滑り落ちるようにして移動した。結構な高さだ。
置いていかれるのはまずい。へっぴり腰に斜面にすがりつきつつ飛び移っているものだから、はがされた砂や小石がボロボロと落下していく。先に地上へ着いたらしいディアンさんが咳き込みつつ、土埃を払っているのが見えて、ざまぁみろと思った。
「ほぼ滑落だなぁ」
「魔物と戦ってもないのにボロボロですよ俺」
ようやく安定した地に足がつけれて全身の力が抜ける。足は痺れているしガクガクだ。休憩したいところだが、そんな悠長にしていられない。根性で立ち上がって、先を急ぐ。崖から向こうは、もはや森ではなかった。砂地の多い草原だ。
「砂漠、までは行きませんが」
「魔力が濃すぎて砂と岩で構成されてるなぁ」
魔物の種類も変わってそうだ。
そう考えた瞬間耳元でひゅんと音を立ててナイフが通り過ぎていく。まったく反応できずにいると、どうやら俺の目の前まで迫りきていた魔物の首に刺さったのがわかった。足元に落ちてきたそれは錆びた色をした鳥型の魔物だった。異様に鋭いくちばしは、あの勢いで飛んでこられたら俺の身体にそれこそナイフのように突き刺さっていただろう。
「あっぶねぇ・・・ナイフも」
耳を抑えてぼやいた。
いきなり死ぬところだった気がする、と気づくと心臓がバクバクとうるさく活動しはじめた。
「気を抜くなよ、こっからは大型な魔物より癖のある魔物が多くなりそうだ」
「ありがとうございます」
雑にナイフを引き抜いて回収したディアンさんはとっと先に進もうとする。それはいいが、その方向でいいのかよくわからない。迷いない足取りのようにも思えるが、魔霧は視界を不明瞭にし、深呼吸もままならない。鼻も馬鹿になっている気がするし、俺は迷子になる自信しかない。
「景色的には見通しいいはずなのに・・・これちゃんと目的地に向かえてるんですか」
「目的地は魔力噴出口だろうが、ならより霧の濃い方向へ行けばいい」
「結構当てずっぽうじゃん・・・」
まとわりつくような魔霧が気持ち悪い。服も湿って重たくなった気がするし、なんか呪われてる気分になってきた。絶対俺、片手じゃ足りないぐらい霧の中で殺されてる気がする。数えてないけどたぶんそう。普通はさぁ、濃霧ってあんまり体験しないと思うの。山とかじゃないとさぁ。そして俺は山で何度も殺されまくってるので。とっても大嫌いなわけで、今の状況結構トラウマが蘇りまくるやつです。
殺人鬼も妖怪も幽霊も都市伝説も山にキャンプしすぎなわけよ、海でサーファーとかやっててくんねぇかなぁ、まぁ海でも何回か死んでるけどさ。サメで一回、岩場で一回、洞窟で一回、船で一回・・・あれ、多いな。
「おい、一回ここらを浄化してみてくれねぇか」
「ん?お、おっす」
歩きつつも若干上の空だったところ、ディアンさんが声をかけられて肩を弾ませた。そんな俺に気付かなかったようだが、鬱陶し気に顔を歪めていて、どうやらどんどん濃くなり視界が悪くなっていくため、俺の白魔法を試しに使おうといったところのようだ。
杖を勢いよく前方に振り抜いて浄化を試みる。一瞬ぶわっと切り裂くように魔霧は消えたがそれだけだった。隙間を埋めるようにすぐに元に戻ってしまう。やはり焼け石に水か。
俺がため息を吐くのと同時ぐらいに隣から大きな舌打ちが響いた。かなりイラついている。方向は合っているだろうけども距離感やゴールが見えないのは冷静さを失ってもおかしくない。今のところ障害物らしきものや目立った魔物の姿もないが、それは景色が変わっていないことと同義だ。精神的にくる。
ディアンさんはパイプとマッチを取り出した。それをみて俺も懐に手を入れた。友人からもらった悪魔祓いの煙草だ。湿気ていないといいが、と一本だして口にくわえてみる。火種がないことが問題で、ディアンさんにマッチをくださいと言えば、感心したように頷いてから投げてよこした。
「どこのメーカーだ」
「さぁ?友人からもらいました」
きちんとした煙草でないことは聞いていたので、肺にはいれず、煙をふかしながら足を進めていく。ちらりと腕を確認すれば、まだブレスレットは光っている。シーカの結界は壊れていないと思われるが、どういう状態かわからない。怪我もなく、結界内に居てくれればいいが・・・。
「それ、一本くれぃ」
「ん?あぁ、いいっすけど・・・あれ、そういえば呼吸がしやすいかも」
「それ、悪魔祓いのハーブだろ、眉唾かと思っていたが中々便利だな」
吐き出した煙は、魔霧と混じり合って消えていくが、くわえたままでいると、どことなく息苦しさが消えている。一定の効果はあるのか、と思い友人に感謝の念を送っておく。届け。
足元には、既に雑草一つ生えていない。乾いた砂が妙に歩きにくく、足を取られてしまう。これは体力をすっかり奪われてしまう前になんとかしたいところだ。ふと何度目かの確認で腕をみれば、淡くともっていた光はなく無機質な石となっていた。
息を呑み、叫び声の一つでもあげようとしたが予想外の事態にそれもできなかった。
視線がガクンと下がる。足元をみれば足首まですっかり砂に埋まり、自重でさらに沈む。右足を持ち上げるために左足を踏みしめれば滑り落ちるように一段深くなる。悪循環だ。ディアンさんへ視線をやれば、同じような状態になっていたが、無闇に身動ぎせず現状を打破するために思考を巡らせているのが、視線の動きでわかった。
(まじで蟻地獄じゃねぇか・・・!)
ウスバカゲロウが魔王なんて笑えるな、と嘲笑を一つ。
「ディアンさん、こっちへ!結界はりますっ」
沈むことを覚悟で手を伸ばす。これ以上離れるわけにはいかない。ディアンさんは身軽に砂を蹴り飛ばして俺のもとまで飛んできた。腰まで沈んだ俺を引き上げようとして、やはり無理だとわかったらすぐに諦めて、離れないようにお互いを掴む。
俺のブレスレットがぶちりとちぎれた。