72話 - ①
6月になり、今月からはいよいよ始まる結婚ラッシュに備えるため三國絵美歌は銀行で新札の一万円を3枚引き出していた。
中学時代の友だち、高校、大学時代、そして社会人になってからの知り合いはもっと大変だ。絵美歌は今年27。年齢も年齢なので、人生で周りの結婚が最も多い時期だと言える。
なのにこちとら彼氏いない歴2年。去年は仕事が忙しすぎて合コンもあまり行けなかったので、寂しい1年だった。挙句の果てにあんなに忙しかった中で自分の後輩と先輩が付き合うことになっているなんてどうして想像できただろう。
完全に後輩に出し抜かれてしまった。
絵美歌は引き出したばかりのお金が折れないように手帳の間に挟んでから少し遅めの時間に会社へと出勤したのだった。
「おはようございまーす!」
オフィスのガラス戸を開ける前に自然に口角が上がり、目尻が下がる。彼女は元気が取りえなのだ。それ故大きな声で挨拶することを心掛けている。その実メンタルがごりごり削られていようが、生理でお腹が痛かろうが、この理念だけは入社当時から変わらない。
そして「おはよう三國さん、今日も元気だね」と岡本チーフから返事が返ってくる。……改め、元チーフだ。
「元気じゃないですよー! 今月は3件も結婚式あるんですよ! ほぼ毎週! お祝儀貧乏確定なんで、これは空元気ですよ」
PCのスイッチを入れて作業を始めると、タイミングを見計らって隣の席の由香里が声をかけてきた。聞けばどうやら新しいウェブサイトのデザイン案が整ったので確認してほしいとのことだった。
去年彼女にはウェブ広告を中心に仕事をさせていたが、今年からウェブサイトのデザインをもっとしていこうという方針になった。ウェブサイトの方が単価が高いのだ。
由香里は仕事に対する態度も真面目だし、デザインセンスもあるが、細かいところの手を抜きがちな癖があった。
早速その作業を確認し、やはり気になる箇所が1点あったので修正してから、再度見せるように指示をする。
――私も真木先輩くらい厳しくできたら由香里ちゃんももっと早くひとりで仕事ができるようになってたのかなぁ……。
去年何度も怒られている山崎を何度も見ながら「そんなに厳しく怒らなくてもいいのに」と思っていたが、結果どの部署の新人よりも早く仕事を任せられるようになっていた。
――新人をどう教育するかも結局は技術とセンスなのよねー。
とは言えスパルタスタイルは自分に合わない。自分は自分にできるやり方で指導していくのがベストなのだ。
「作業スピードもだんだん速くなってるし、この調子で続けてね。ただ、由香里ちゃんはやっぱり細かいところが苦手だから、クライアントのヒアリングノートをしっかり確認して最後の最後まで気を抜かないこと」
「分かりました。ありがとうございます」
――D・カーネギーも言ったじゃない。人を動かすには褒めること。その方が私には合ってるのよ。
そうこう考えていると、チーフの席から「山崎!」と呼ぶ声が聞こえた。「はいぃぃ!」と返事をして恐る恐る向かう哀れな仔羊。
「何このファイル? もう一回ちゃんと確認しろ」
「あぁぁぁ、渡すファイル間違えました! すぐ持ってきます!」
ぱたぱたと自分の席から別のUSBファイルを取りに戻る山崎と、スクリーンの隙間から見える鬼のような真木を並べて自分には無理だと再認識した。
昼休憩の時間になって、絵美歌は作ってきた弁当を机の上に広げる。SNSをチェックしながら学生時代の友だちがオシャレなランチの写真をアップしているのを見て羨ましくなるが、今月はそんな余裕がない。お祝儀で9万円の出費は確定しているのだ。
いいなぁと思いながらぽちぽちと操作していた手元のスマホに、背後から差し込んだ光が眩しかったので、ブラインドを引くために窓際に立った。
やれやれとブラインドの紐を掴んだ時、オフィスビルの下を仲良く並んで歩いている真木と山崎が目に入る。
「ねぇ、村上! 見て見て!」
少し離れた席で、絵美歌と同じようにボッチ飯を食べている村上を呼ぶと、同じように窓の外を覗かせた。
「仲いいなぁ、さっきゴリゴリに怒られてたのに。……前に交際宣言してから隠す素振りもなくて、朝も一緒に来ること多くなったもんな。そのうち結婚とか言いだすんじゃねぇの?」
「まさか……まだ知り合ってようやく1年でしょ」
「それは関係ないって。結婚なんてタイミングだろ」
――タイミング……。それを言うなら私にはまだタイミングが来てないのか、それを逃してるのか。
「あぁあー。私も彼氏欲しいなぁー」




