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恋愛初心者、恋をする  作者: 織田 智
恋人初心者
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58話

 手で浴槽の角をしっかり掴んで片足を湯のなかにゆっくりと浸ける。泡の部分が風呂の高さより少し盛り上がっていたので、しっかりと体を包み込んでくれる。

 片方の脚で湯船の中に立つと、もう片方の足もゆっくりと引き寄せた。


 湯の中に静かに収まると、借りてきた猫のようにおとなしく膝を抱えながら小さく体育座りをした。

 最初こそ緊張したが、ここまで来てしまえばそれほど悪くないものだ。……というのもこの男の策略なのだろうか?


「悪く無いだろ?」

「悪くはないですが、お湯が少し熱いです。私は猫足、猫手、猫舌の三拍子揃った猫人間なので、すぐにのぼせそうです」


 ――のぼせそうな理由はお湯だけじゃなさそうだけど……。


 膝を抱えて座っていても、いかんせん狭い場所なのでどうしても彼の脚と、ほのかのがつかえてしまう。出来るだけ動かないようにしていたが、向こうが脚動かした時にするっと肌同士が触れて、ぴくっと反応してしまった。


「あんまり動かないでください。そしてもっと小さくなって座ってください」

「はい、すみません」


 まさに「&」という文字を象ったような形で対面になって座っているが、会話も続かず落ち着かない。泡に身を包むために肩まで熱々の湯に浸かっているので、5分もすればすぐに出たくなってきた。


「先輩まだ出ませんか? だいぶ長湯ですけど……?」


 ――”それほど悪くない”なんて思ったけど、やっぱり嘘です。ごめんなさい。もう出たいです!出して―!



 出来れば真木にはもう退散していただくか、自分が先に上がるかしたい。熱さで頭がぼーっとしてきてきたように思える。


「先に上がる?」

「先に上がりたいので、また目、閉じててくださいね」


 そう言って浴槽から立ち上がろうとしたとき、体を支えていた腕が泡で滑ってバランスを崩した。


 「ひゃぁ!」と言いながら再びお腹から水面に叩きつけられる体。その体制で倒れこむと真木の体にダイブすることになるわけで……。

 更に悪いことに、大きく波打った浴槽から水が外に溢れだし、上に乗っかっていた泡がそれと一緒に流れ出してしまった。貴重な白いもこもこが禿げていく。


 どきんどきんと、うるさい心臓。


 とりあえず状況を整理すると、彼の体に抱きついたまま固まって動けなくなっていた。


 むにっと密着する胸。彼と彼女の右の耳どうしがくっついて、ほのかの右手は真木の左の肩をがっしり掴んでいた。浴槽の縁を掴んでいた左手だけは彼に密着することなかったが、その左手の支えがなければさらにふたりの空間が埋まってしまうだろう。

 最善の方法でこの非常事態から逃れようとするが、立ち上がるためには別の部分に体重をかけなければならない。


 ――いやー! ラッキースケベの神さまはこんなところでいい仕事しなくてもいいのよ!


「大丈夫か? どこも打ってないか?」

「大丈夫です……が、大丈夫じゃないです。恥ずかしくて死にそうです」


 出来るだけ上手く肌が触れていない場所をかいくぐって重心を移動させてから立ち上がろうとした。体を引いてなんとか胸の密着から逃れたが、それにくっついてくるように真木も状態を少し起こした。


 そしてほのかの頭をもう一度寄せるとほのかの唇が覆われた。


 あんなに恥ずかしくてどうしようもなかったのに、キスをすると少し警戒心が薄れる。頭がぼうっとするのは湯あたりのせいもあるかもしれないが、きっと彼がそうさせているのだろう。


 あんなに熱かったお湯がだんだんと冷めてきて、背中がひんやりとさえしてきた。


 ――ん? おかしくない?


 どうやら転んだ拍子に留めてあった栓が引っこ抜かれて、湯かさが着々と減ってきている。腰のことろまで湯が減ってしまった時にようやく気づいたほのかは、唇を放すと同時に慌てて真木の目を両手で覆った。

 なけなしの白いもこもこはもうほのかの体を覆い尽くすほど残されていない。


「見たでしょ!」

「どうやって見るんだ」

「もう出ます!」

「はいはい。見ないから気を付けて出ろよ」


 滑りやすくなっている浴室の床を慎重に、かつ急いで出ていき、後ろ手に戸をぱたんと閉めた。


 ◆◆◆


 お湯が半分になった浴槽でひとり残された真木は頭を抱える。


「道のり長げぇ……」


 独り言が風呂場に反響した。

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