4話
「真木先輩って拗らせてるよね」
オフィスでひとり呟いたのと同じセリフを、つい同期にも言ってしまった。入社して初めての週末、ほのかが所属するウェブデザインチームと、幸也が所属しているウェブ開発チームと同じフロア同士合同の歓迎会が、小さな居酒屋で行われていた。この2つのチームは共にウェブ開発部として同じフロアで仕事をしている。
入社したのが火曜日で、そこから怒涛の3日間を送ったほのかはようやく訪れた週末に、早くも安堵していた。
2日間でマスターしろと言われていたソフトウェアをなんとか使える状態のみで、今日から仕事を回された。他の同期を見るとまだ丁寧に指導されている最中だ。
とはいえ、白紙の状態からデザインを進めるわけではなく、ある程度形が決まっているデザインの細かい配置や色合いを決める作業を担当した。その後ブラッシュアップは別のデザイナーなり真木なりが行うので、とにかく経験を詰めと言われた。
やっと3日。入社初週にいきなり残業は予想していなかったので、今後の事を考えると上手くこなせるか心配になる。
「真木はこの会社では結構な古株で、7年前にこの会社に入ったらしいよ。人付き合いは苦手だし、口下手っていうのもあって真木の下に付いた後輩はあんまり続かなかったなぁ」
「岡本チーフ」
話しに混じってきたのはほのかの先輩チーフである。
「今年29って言ってたけど、あんまり遊んでもなさそうだしさ。飲みに誘ってもたまにしか乗って来ないんだよね。仲いい人もいるみたいだけど」
「友だちと仲良くしたり、後輩とかの面倒見るの嫌がりそうですもんね、真木先輩」
「嫌がるというか、同期にまでビビられてるみたいだし。仕事は出来るんだけど、損な性格よな」
ほのかはふーんと言いながら真木をちらりと見た。一瞬目が合った気がしたが、直ぐにほのかの視線は真木の奥にある幸也へと注がれていた。
ほのかの思い人である幸也の隣には、彼と同じ部署に配属された同期の女の子が座っていた。少し猫目で冷たい印象を持たれがちなほのかとは逆で、お姫さまタイプの華奢な女の子。
胸にもやもやっとしたもの抱えながら、自分の前に注がれている日本酒を一気に煽った。
——近くで見ていられるだけでいいって思った。だけど、他の女の子と仲良くしてる姿など見たくないのだよ!
夜も更け、そこそこいい時間になった時に「二次会に行く人は次あそこな」と声がかかった。ほのかもこの後は特に予定も無いし、時計を見るとまだ終電には時間がある。
半数は帰るようだし、ほのかもまた酒で失敗する前に帰ろうかと思っていた。と、そこに歓迎会で仲良くなった同期で同じチームの由香里から「行かない?」と声をかけられた。
「うーん、私は……」と言いかけたところでほのかは見てしまった。二次会に向かう流れの中で静かにふたりきりでフェードアウトしていく幸也とあの女の子。おそらく駅まで送って行っただけだろうけど、心臓がえぐられるように辛くなってきた。
「由香里ちゃん、私やっぱり帰る。ごめんね、何だか気分が悪くなってきたからさ」
「え? マジで? 誰か男の人に駅まででも送って行ってもらいなよ」
「いや、そこまでじゃないから。ホント、ごめんね」
ほのかは何に誤っているのか分からないぐらい、由香里に何度も「ごめん」と言った。その「ごめん」は「妬いてごめん」とか、「勝手にひとりで辛くなってごめん」とか、なぜかそこにはいない幸也に対してだったのかも知れない。
表通りから一本裏に入ったところにお気に入りの半地下バーがある。店内の雰囲気も薄暗くて、いつも大好きなジャズが流れている。
そこにひとりで入ったほのかはバーテンダーに「エスプレッソマティーニとチェイサー」といってオーダーした。
口当たりはいいが、かなり強い酒だ。
バースツールに座ってぼーっと音楽を聴いていると、男性がひとり声をかけてきた。彼女もその声の主に一瞬目を配る。
だが、その目線は直ぐにどこを見るでもなく、方々に散った。
「ひとり?」
「だったら何ですか?」
冷たい声で一蹴する。
「男にでも振られたか?」
そう言われ、今度はムキになってその男の方を睨みつけるように見た。
「もう! 真木先輩には関係ないでしょ!」
お気に入りのバーで声をかけてきたのは、特に会いたくもなかった真木だった。
「大体何で先輩がここにいるんですか。追いかけて来たんですか?」
「たわけが。たまたま来たら山崎が居たんだろうが。ここは俺が気に入ってるバーだから、二次会に行かずにこっちに来てたんだが、お前もか」
ここはほのかも好んで飲みに来る場所で、薄暗い照明と、何よりジャズ音楽が彼女にとって最高の場所だった。
「ちなみに先月泥酔した山崎と会ったのもここだったけど、覚えてなさそうだったもんな」
自分の行動パターンは意識があろうがなかろうが変らないようだった。
「覚えてないです。今日も酔おうと思って来たので、ひとりにしてください」
そう言ってグラスに残ったコーヒーの味がするマティーニを飲み干した。