39話
土曜の朝、小さなボストンバッグへ泊りの為の着替えや化粧道具を詰め込んで、出かける準備をした。
別にどこか遠い土地に何日も行くわけではないので、最低限のものを詰めただけだったが、鞄を手に持ってみると案外ずしりと重たかった。
待ち合わせは11時半だったのでそれよりも早く駅に着くように行くと、泊まりの道具が入った鞄をロッカールームにしまい小さなクラッチバッグひとつだけ手に持った。
そうこうしているうちにほのかのスマホに電話がかかってきた。そのでスクリーンには”真木先輩プライベート”と表示されていたので、心臓をどきりと跳ね上がらせる。
「はい、もしもし」
「今着いたんだけど、そっちも着いたら連絡ちょうだい」
「あ、私も駅に着いてますよ。 ロッカーで荷物入れてるところです。待ち合わせの場所から一番近くにある……」
と言いながら場所の説明をしていると、肩をぽんと叩かれた。
「待たせたな」
受話器の向こう側と、実際の声の両方が聞こえてきて少しエコーがかかった。
そしてほのかは少し照れくさくなり、まともに見ることが出来なくなる。休日に待ち合わせをして彼と会うのは初めてなので、どんな顔をしたらいいものなのか分からないといったところだ。
とはいえ真木の方は仕事の時と服装は大して変わらないのだが、やはり職場での感じで会うのとは少し違った印象を受ける。
「映画楽しみですね」
駅ビルの中を歩きながら話しを振る。そうでもしないと間が持たなさそうだ。
「有名作家の最新作だからな。原作もまだ読んでなくて完全初見だから……楽しみだな」
こちらを少し見ながら、いつになく優しい笑顔を向けるものだからこれがあの鬼のような先輩と同一人物なのかと少々疑いたくもなる。
「ほうほう、仕事では鬼のような先輩でもこんなに優しい笑顔が作れるとは。少し得した気分です」
「仕事でも優しくしてるだろう。優しさ故の厳しさだ」
真木の本当の厳しさを知っているほのかは全くシャレになっていないと思うと同時に、せっかくの休日に仕事の話などするべきじゃなかったと後悔した。せっかくの雰囲気が台無しだ。
駅ビルの建物を抜けると、眩しさに目がくらむ。思わず光を遮ろうと目元に手をかざすと「大丈夫か」とさりげなくその手を掬ってきゅっと手を繋いだ。
――イ、イケメン!? いや、イケメン風!!
そのイケメン風の男を前にしてもう一度目がくらみそうになった。
―― 一日身が持つかなぁ……。
映画が始まる前に軽く昼食を済ませ、映画館に向かった。その映画館は前回行った場所よりも新しく、内装もきれいだった。
「では私、チケット買ってきますね。お昼も出して頂いたので」
チケットカウンターまで行こうとするほのかの腕を引いて「もう買ってある」とスマホを取り出すと、ひらひらと見せられる。この様子から、どうやらオンラインでチケットを購入していたのだろう。
――スマート! 何、仕事が出来るからってデートもこんなにスムーズに運ばせるものなの!?
「先輩ってやっぱ仕事できますね」
「今更か」
「お見それしました」
ふたりは案内された番号が付いたホールに向かう。
向かった先は……。
「カップルシート!」
しかも前の場所はサイドに衝立があるだけだったが、今回のはよりカップルの空間が確保されているシートだった。
「わー! 素敵! 先輩ありがとうございます!」
そう言ってほのかがはしゃぐと、真木は彼女を抱くような形で、反対側の肩をぽんぽんと叩いた。
とは言え肩を抱いたわけではなかったので、彼の手はすぐにすっと離れていく。離された肩が少し寂しい。
いよいよ映画が始まり照明が暗く落とされると、ほのかは真木の顔を少し覗き込むようにして「楽しみですね」ともう一度言った。
そして真木はふたりの間にあったほのかの手を取ると、ちゅっとそこに口づけたのだった。
まさかの行動にほのかは固まって動けなくなってしまったのだった。
——何!? ただの魔王だと思ってたのに、何このイケメン風王子様風魔王は!!
今回の映画も集中できそうにない。




