31話
「由香里ちゃーん、三國センパーイ。起きてください」
深夜2時を過ぎた頃、飲んでいたみんなが潰れだした。旅館の仲居が敷いてあった布団に雑魚寝の状態で3人が眠りについてしまっている。
流石のチーフも大きなあくびをひとつすると「寝るか」と言って空いている布団に横になったが、4人に3つの布団を占領されては真木の寝るスペースが奪われてしまっている。
「しょうがないですね。私たちの部屋から布団を運びましょう。手伝ってください」
ほのかもかなり酔っていたが、なんとか意識を保とうと頭をふるふると振るった。かくいう真木もかなり飲んでいたので、目が完全に座っていた。
なんとか布団を運び出して男性陣の部屋に敷いた後、そのまま横になるのかと思いきや真木が部屋から出ていこうとした。
「ちょっと酔い覚ましに散歩に行ってくる」
そう言って薄暗い廊下を歩いてどこかへ行こうとした。
「いやいや、こんな夜中にどこ行くんですか!?」
若干千鳥足の真木を追いかけてほのかも廊下を走った。彼女が真木を追いかけたのはほぼ無意識で、何も考えずにただ追いかけたという方が近かったかもしれない。
少し歩いた小高い場所に外湯があると、入館した際に説明されていたのでそこを目指して歩いていた。どちらかがそうしようと言ったわけではないが、必然的にそうなった。
玄関先に備えてあった旅館の下駄を履けば、カラコロと石畳を打つ子気味のいい音が響く。
どれぐらいか歩いた後に、旅館裏手の岡の上に建てられた外湯に着いていた。時間も時間なので人の気配は殆どなく、海岸沿いに広がる温泉街の夜景と、真っ暗な海が広がっているだけだった。
「酔い、覚めました?」
「そうだな」
少しスッキリした頭で夜の風を浴びれば、穏やかな気持ちになった。
「あ! 先輩。足湯に浸かりませんか。夜風は少し冷えますから……」
そういって真木の手を引いて、東屋に設置されている足湯にふたり並んで座った。真木が左側に、ほのかは右に座る。オフィスでの配置と同じだ。
海風が少し冷たくて、温まる足元とは違い肩が少し冷えた。何気なく腕を擦ると、「そんなので寒くないのか?」と彼が訊いてきた。
旅館の浴衣を来ていた真木と違って、ほのかが着ていたのはセットアップのルームウェアだ。袖が短い部分に寒さを覚えていたことは否めなかった。
「へーきですよ。そのうちじんわりあったまってきますし」
「そうか?」
会話がないまま流れる水音が響き、遠くの方で街の光が揺れる。
「ショウコさんって人とは何で別れたんですか?」
会話が無いままだと何か話さなければならない気になって、ずっと気になっていた事をここぞとばかりに訊いてみた。
真木は顔色を変えないまま、少し思い出すように視線を落とす。
「他に男が出来たから、別れようって言われた」
――うひゃ、修羅場。
気になっていたものだから質問してみたが、その答えを聞くと案外あっさりしているものだ。
「去年のクリスマス前にそんなことがあった」
「クリスマスですか? でも何度かその後も会ってたんですよね?」
別に知る権利も義理も無いが、気になって次々と知りたくなる。
「縒りを戻そうって言われて何度か会った。でも、やっぱり冷めてたことには変わりなかったから、ハッキリもう会わないって言ったけど……この話は前にもしたな」
——もう会ってない……。
気になっていたことのひとつが知れて、妙にスッキリした。
それに好きな人がいるにも関わらずキスをしたり、触れてきたりする意味が理解できないので、彼がそうでなくて良かったと心底思った。
「私、先輩がまだその人のこと好きなんだって思ってました。でももう会ってないって聞いて、安心したというか。その、良かったです」
「良かった?」
「その……もやもやましたので。妬いてたんですかね?」
——ん? 何言ってだ、私?
恥ずかしさの余り、それを払拭するように足元の湯をばしゃばしゃと波立てる。でもそんなことをしても言葉は取り消せない訳で……。
「やっぱり忘れてください。私、先に旅館に戻ってます!」
たまらずそう言いながら大きな波をひとつ立てて、逃げるようにその場から離れようとした時、不意に手をぎゅっと握られた。
握られた彼の手は熱く、それが伝わってほのかの心臓は早鐘を打つ。
重ねられた手を振りほどくことも出来ずに、引きとめられるままそれをふたりの間に置いて、静かに座り直した。
「…………好きだと思ったから」
「え?」
「好きだと思ったから、キスした。でも嫌だと思われてたらどうしようかとずっと気になってた」
ふたりの空いた隙間を埋めるようにほのかが真木の方ににじり寄り、頭をぽすっと彼の肩に寄せた。
「嫌なものぐらい嫌だとハッキリ言えます」
「俺が前の彼女と別れて間もないのに?」
「それを言うなら私も長年の片思いがやっと終わったところです」
また無言の時間が訪れたが、今度はこの時間が心地よく感じられた。
「やっぱり肩が寒いです」
繋がれていた彼の右手が彼女の肩を抱き寄せると、少しだけピックっと緊張した。だが、そうなったのも一瞬のことで、温かい温度が手のひらから伝わると安心を覚えた。
真木の左手がほのかの頬に触れると、視線が合う。またちりちりとした痺れが全身に駆け抜ける。そして真木の唇が「ほのか」と小さく形作られたかと思うと、それはすぐに彼女の中へと押し込められていた。




