29話
「先輩」と言って真木を呼ぶ。暗くてよく見えないが、彼の黒い瞳には自分の姿が映っているのだろうかと考えてしまう。
そしてひとつ呼吸を置くと、再び口を開いた。
「ずっと聞きたかったんです。……どうしてキスしたんですか?」
少し恥ずかしくて、目が泳ぐ。訊くべきではなかったかとも考えてしまう。
訊いてから少し間が空くと、それが言いようのない気まずさを生む。早く何か言ってほしいと思わずにはいられない。
そしてその後、真木が言葉を発した。
「何? してほしいの?」
こんな時でも飄々としている魔王が憎い。一所懸命に質問したのにはぐらかされて、肩透かしを食らった気分だった。
「もう、いいです」
すっかり興冷めさせられて、立ち上がろうとして体を離した瞬間、彼の大きな手がほのかの腕を掴んだ。
一瞬の出来事で把握するのに時間を要したが、どうやら真木はほのかに唇を寄せていた。
最初驚きはしたものの、ほのかもまた真木の背中をぎゅっと抱き寄せる。そしてふたりは長いキスをした。
暫くの後、ようやくふたりの間に隙間ができると真木が最初に言葉を発した。
「お前は何ですんの?」
そう質問されて、少し自分の胸に手を当てて考えてみる。よくよく考えれば、別に付き合っているわけではないし、最初はされるがままに受け入れてしまっただけだ。
とは言え、別に真木に触れられるのが嫌なわけではなく、どちらかと言えば好きだ。
「……わかりません」
さぁっと、さざ波がひときわ大きく聞こえた。
「というか訊いたのは私です。質問を質問で返さないでください」
ほのかの頬をぶにっと引っ張って「何でだろうな」と適当にはぐらかすと、旅館に戻っていった。
ほのかの中では切り込んだ質問をしたつもりだったが、簡単にあしらわれてしまった。所詮彼女が手に持っていたのはただのエクスカリパーだったようだ。
ほのかはそのまま夕食会場に向かったが、押し倒されて頭から砂にまみれた真木はもう一度シャワーを浴びてからそこへ向かうと言う。
一緒に行くと変に思われるので、その方がいいとも思った。
「どこ行ってたの? スマホあった?」
戻ってくるなり由香里に訊かれる。それもそうだ、お風呂場に行っていると思っていたのに30分以上も戻ってこなかったので誰かに盗まれた後なのかもしれないと思っていたようだった。
ほのかは別のことに忙しかったので気づかなかったが、由香里からの着信も数回あった。
「ごめんね、電話何回もかけててくれたみたいだったのに。海岸で落としたのに見つかってよかったよ」
見つけたスマホを見せながら言った。
「えぇ! 海岸まで行ってたの? まぁ、見つかって良かったね」
ほのかが宴会場に着いたとき、食事はもうすでに始まっていたが、まだ何人かはこの場にいなかったので、ほっと胸を撫でおろした。
ほのかは由香里と岡本チーフの間に挟まれて座り、向かいには三國が座っていた。三國の横の席はまだ空いていたので、真木が座るなら恐らくその席だろう。
「お、マキちゃーん、遅かったねぇ」
チーフが風呂上がりの真木を見て向かいに座るように呼んだ。着ていた服も砂にまみれたせいか、旅館備え付けの浴衣を着ていた。
「どこ行ってたの?」
続けてチーフが真木に訊く。
「コイツがケータイを砂浜に落としたらしくて、一緒に探してました」
しれっと言ってのけた彼とは打って変わって、ほのかは飲んでいたビールでせき込んだ。
——何言ってだこいつ! 変に勘繰られちゃうじゃない!
彼の方に驚きの目を向けると、またも大したことが無さそうに反応する。
「連絡取れなくなったら仕事に支障が出るだろう」
「そうですけど……」
まるで自分ばかりがこの男の一言一句に踊らされている気がしてならなかった。




