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恋愛初心者、恋をする  作者: 織田 智
プロローグ
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プロローグ

 ――最悪っ!


 ――最低最悪!


 山崎ほのかはぐちゃぐちゃの髪と、しわしわの服を更に振り乱して、同じくぼろぼろメイクの顔を鏡で見ながら一秒でも早くこの場から逃げ出すことに必死だった。


 昨日の夜から着ているこの服は、ナイトクラブに着ていく用で、言わば一張羅の勝負服だったのにも関わらず、太陽の下ではどうしてこう馬鹿みたいに見えるのか。

 自慢の細長い脚を見せるための短かすぎるスカートも、夕べはあんなにも自分に自信を持たせてくれていたのに、日曜の朝(もう10時になるけど……)の親子連れの人の波を切り裂くには心のHPを消費しなければならないものに変貌するのか。


 電車に乗るため、駅の構内を歩いている時にスマホから着信音が響く。それを手に取って表示されている名前を見ると、昨日一緒に夜の街を飛び歩いた友人からだった。


「あ、おはよー! 起きてた?」


 電話の向こう側からはほのかの気持ちなど微塵も察していない大学の友人赤井莉子の声が大ボリュームで聞こえて来た。昨日クラブで聞こえないからと、通話音量を最大にしていたことを思い出して、音量を調節しながら莉子の電話に応えた。


「起きてた。っていうか、今から電車に乗って家に帰るところ……」

「あ、そっかー。漫喫で寝てから帰るって言ってたもんね。一人にしちゃったから大丈夫かなって思ってさ。大丈夫だった?」


 ――漫喫!?


 自分の記憶を一生懸命掘り返すが、昨日の夜にそんな単語を言った記憶がない。だが、友人である莉子の話を聞くに、どうやら千鳥足だったほのかは酔っていて、タクシーで気分が悪くなるかも知れないから、漫喫で一泊してから翌朝帰ると言っていたらしい。

 とはいえ、まるで記憶にないのだ。


 友人と話を終えてから、20分程度で家に着いた。


 ――やばい、鞄の中身をチェックしなかったけど、ちゃんと持って行った荷物あるのかな?


 慌てて鞄の中身を玄関の前で漁りながら、先ずは鍵を探した。


 ――鍵。……ある!


 スマホとICカードはさっき駅で出したから間違いなく持っている。


 ――免許書。……ない!


 ナイトクラブに入るための身分証明用に持って歩いていた免許証が鞄の中から無くなっている。

 恐らく酔って失くしたに違いない。


 家の中に入ってから、もう一度昨日の出来事を振り返った。


 大学の友だちとふたりの内定祝いにクラブに遊びに行った。1軒目の場所はよく覚えている。そこから2軒目に移動してからテキーラのショットを何杯か飲んでから、記憶は彼方に消えてしまっていた。


「とにかく、免許証は失くしたって言って警察署に行って……」


 落ち着かせるためにさっきから独り言をぶつぶつとつぶやいているが、そうしなければ思い出したくないことまで思い出されてしまう。

 こんな風に黙っていると、記憶が悶々と湧き上がってくるのだ。






 ほのかが朝目を覚ますと、いつもスマホを置いている場所にそれが見つからない。おまけに激しい頭痛がして、口の中はカラカラだった。



「最悪……飲みすぎたかなぁ」とひとりごちると、ゆっくりと目を開けた。


 ーー知らない天井だ。


 半身起こしてから、部屋の中を3秒でぐるりと見回した。大きなキングサイズのベッドの横で枕を並べて眠っていたのは、見知らぬ男性。念のためもう少し顔をよく確認する。


「いや、知らないわ」


 見ず知らずの赤の他人であることを再確認すると、今度は自分が身にまとっているものを確認した。


 ぱんつ一枚。


 ーーいや、もっと着てただろ、私!


 酔いつぶれて眠ってしまっただけで、ぱんつの中身は無事そうだ。無事だと信じたい。

 間違いがあったということはなさそうだ。ないと信じている。


 床に脱ぎ捨てられているブラジャーと、シフォンワンピースを着る。この間僅か1分。

 そして床に散らばった荷物をかき集め鞄入れると部屋を後にした。


 目を覚ました瞬間はどこかのホテルの一室かと思ったが、どうやら隣で寝ていた男性のマンションのようで、自分が住んでいるアパートよりもずっと広い部屋だった。ベッドルームからリビングに抜けて、重い扉を開けると、いそいそとその場を立ち去った。去り際に表札の名前を確認しようと思ったが、名前は空白になっていて確認することができなかった。


 標識を確認しながら地下鉄に飛び乗る。この時に友人の莉子から電話がかかったのだった。間もなくして地上線に乗り換えること2駅で自宅のマンションの着いた。時間にして20分。ご近所さんでもなさそうだし、先ほどの男とはもう二度と会わないことを願う。

 自宅に帰るなり洗面所に向かった。そして身に着けていた服を脱いで、鏡に映った自分を細かくチェックする。手前味噌だが、170センチの身長にCカップのバスト、顔は並みでもプロポーションには自信があった。

 いや、今見るべきはそこでは無くて、あの謎の男の痕跡がどこにも残っていないことを確認するために鏡の前に立ったのだと思い直す。


 体は特に何の異常もなさそうなので、少し安心できた。そして今朝起こった数時間前の出来事を何度何度も反芻しながら、リラックス効果があるアロマバスに浸かるが、アロマの効果は全く感じられなかった。




 2日後の月曜日、残り少ない大学での講義に出席するため、というよりも友人に会うために大学へ向かい、校内のカフェテリアで友人の莉子と土曜のナイトクラブでの話しをすることにした。


「あのさ、莉子。実は私土曜の夜に満喫で泊まるって言ったんだけど、本当は違ったの」


 突然友人からカミングアウトされて、莉子は豆鉄砲をくらった鳩のような顔をした。


「え!? なに!? それってどういうこと?? 誰かとどっか行ったの!?」


 文末を特殊文字で埋めながら、ほのかが次の言葉を発する前に山のような質問をする。


「それが……分からないの」

「なに? どんな人と一夜明かしたのか覚えてないってこと?」

「言い方! ……本当に何もなかったと思うんだけど、どうやらクラブに持って行った私の免許証もどこかで落としたみたいだし」

「わー。それって、もしその見ず知らずの男の家に忘れてきてたら、本名も住所もバレちゃうじゃん」


 友人の莉子は不安を煽るが、言っていることは間違っていない。


「一応今朝から警察所に届けに行ったけど、なんかもう最悪だよ」


 学校のカフェテリアで辛気臭そうに頭を抱えて、内定祝いとは言え、記憶をなくすまで飲みふけったことを後悔した。が、もう後の祭りだった。


「もうすぐ卒業なのに、お前は何をそんなに腐れた顔してるんだよ?」


 ほのかの背後に立って、彼女の頭を小突いたのは同級生で同じ文学部の田村春都(にったはると)だった。その横には飯塚幸也(いいづかゆきや)も一緒にいる。幸也は工学部だが、4人はいつも仲が良かった。

 


「それがさぁー」


 そう話し出す莉子に「ちょっと!」と目線で口止めをする。莉子の目は「分かってる」と言わんばかりにほのかが免許証をクラブに忘れてきたことだけを話した。


「まぁ、しょうがないだろ? 別に二度と発行してもらえないものでもないんだしさ」

「幸也、アンタ就職先一緒になるんだからしっかりほのかのこと見ててあげなさいよ」


 そう言われて幸也は「こいつの天然は今に始まったことじゃないし」と付け加えた。


「まぁ、就職先では部署も違うし、迷惑かけないわよ」


 そういって少し膨れて見せる。


 来月から働くことになった西浦クリエートで、ほのかはデザイナーとして、幸也はウェブエンジニアとしてそれぞれ内定が決まっていた。

 就職先が決まっただけでも嬉しいが、幸也と同じ就職先というのも更に浮足立たせていた。


 大学に入ってからいつもこの4人組で一緒だった。ほのかは誰にでも分け隔てなく優しい幸也を好きになるのに時間はかからなかった。2年の時に一度付き合ってほしいと告白したものの、幸也はそうは見られないといって振られている。それからも今まで通りの友だちの付き合いはしているが、ほのかはまだ幸也のことが好きでいた。


 もう望みなしなことは分かっているが、いまはまだ近くにいられるだけでも幸せを感じていた。


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