第二話 幽体
孤独なシーンを描いておりますので、どうしても台詞は少なめです。ご容赦ください。
都会の夜空で輝けるのは一等星だけだ。だけど実際には夜空には無数の星々が輝いていて、たまたま場所が遠かったせいで、本当は一等星と呼ばれている星よりももっと大きく、もっと強い光を放っているのに、他の光に隠れてしまっている星だってあるのかもしれない。
星にも寿命があるというのを小さいころに図鑑で読んだことがある。太陽の寿命はあと50億年はあるそうだ。本当かどうかはわからないけど、それまではこの地球も存在しているらしい。少なくとも僕が生きている間は、きっと地球がなくなることなんてないと思っていた。そして人類の英知をもってすれば、人間という種そのものが永劫の未来さえも体験できるのではと、淡い期待さえ抱いていた。
某年 ― 某所
夜空は満天の星に埋め尽くされ、その神秘的な美しさを初めて体験したとき、人は感嘆の声を漏らさずにはいられない。そしてその360度の大パノラマ芸術によって心を洗われるだけではなく、その内奥にある好奇心を掻き立てられ、壮大な世界に対する希望を与えられるのだ。
そんな星空を静かに見上げる女がいた。
彼女の髪は長くまっすぐに腰のあたりまで伸び、決して機能的とは言えないが良く織り込まれた生地で作られた白く長いローブを纏っていた。額にまかれた布は後頭部で結ばれており、何かの身分や役職のようなものの証であるようだった。
黒く済んだ瞳は、ただ星空を鑑賞していたわけではない。彼女は星を読んでいた。小さな子供が夢中で絵描きに没頭するような目で、真剣に、しかし楽しそうにひたすら星の位置と動きを観察し、その意味するところ、メッセージを受け取ろうとしていた。
不意に、彼女の頭上から東の方角にめがけて一筋の光が走った。流れ星だ。彼女の瞳孔が大きく開いた。その時、背後からひとりの男が近づいてきて声を掛けた。男の服装は女の物と比べると明らかに粗末であった。顔や体の一部に文字とも模様ともわからない刺青が入っていた。
「卑弥呼様、あまり夜風に当たりすぎるとお体に障りますぞ。そろそろ居室にお戻りくだされ」
「難升米か」卑弥呼と呼ばれた女性、つまりは邪馬台国の女王卑弥呼は振り返ることなく空を見上げたまま応えた。そして続けざまに、
「これより鬼道を執り行う。何人たりとも我が居室に近づけるではない」
と落ち着いた口調で静かに命じた。
「こんな時間にまじないを…?はっ、かしこまりました」
卑弥呼がいた場所は集落の中にある小高い丘であった。ここであれば星空や、昼間であれば雲の動きもよく見える。難升米はその丘を小走りで降りると、卑弥呼の居室の護衛だけは残して侍女などの人払いを始めた。先ほどの流れ星を見て女王が何かを感じ取ったのかもしれないと彼は考えた。
集落には大小さまざまな竪穴住居が密集していたが、その中にひときわ大きく珍しい木造の屋敷があった。そこが卑弥呼の王宮である。卑弥呼は王宮に入るとまっすぐに祭祀場に向かい、囲炉裏に火を起こした。銅鐸を木の枝で打ち鳴らし、土器の中から動物の骨をひとつかみ取り出すとそれらを火の中に投げ入れた。卑弥呼は何やらブツブツとまじないの言葉を一心不乱に唱え続け、それと重なるようにして燃え盛る炎の中でパチパチと薪や骨がはじける音が聞こえてきた。
小一時間は経過したであろうか、やがて火は鎮まり、先ほどまでは煌々として明るかった祭祀場は、動物の油で作られた蝋に灯された小さな光のみで仄かに照らされていた。
卑弥呼は焼け跡の中から火傷をしないように濡れた布を使って動物の骨を丁寧に取り出し、それらに入ったヒビや割れ具合を入念に読み始めた。
「こんなことが…!」
普段は冷静なはずの卑弥呼の口から驚嘆の呟きが漏れた。鬼道によって示された神託は卑弥呼しか読み取ることができない。だが狼狽を隠し切れない彼女の表情から、おそらく普段のまじないでは決して見ることのできない何かが示されていたのであろう。
額に汗をにじませ、卑弥呼は一度目を閉じゆっくりと深呼吸をした。そして再び目を開くと、誰もいるはずのない祭祀場の入り口に向かって声を掛けた。
「そこにおるのであろう?姿を見せよ」
暗闇の中に身を隠していたその者は思いもよらない呼びかけに動揺したが、少し考えて意を決すると、ゆっくりと卑弥呼に近づきはじめた。足元から徐々に光に照らされ、やがて蝋の灯りによって全身が暗がりから姿を現す。その人物こそ、この時代よりはるか遠くの未来で死んだはずの日比野嶺、僕自身であった。
1100年前 — 縄文時代
まばゆい閃光…質量欠損の連鎖によって生じた膨大なエネルギーの中で僕という存在は塵以下の微粒子レベルまで分解されていく。人間の死などあっけないものだ。だが嘆くことは無い。ただこの星と、いや宇宙とまたひとつになり、別な何かとして生まれ変わることもあるだろう。同じ人間とは限らないが、それを願うのはあまりにも高望みが過ぎるというものだ。
いずれにせよ僕の、日比野嶺の人生は終わった…
はずだった。
ハアッア!!カハッ…!!ガフッ!!ウッ~ッ…
呼吸困難!?苦しい…!苦しい?生きている??
意識がある??わからない、頭の中がグルグルしている…
なぜ核ミサイルの爆心地にいた僕が?
何も考えられない…いや、考えている?つまり生きている!
目もかすんでいて何も見えない、強すぎる光を受けてしまったせいだ。
耳も同様にやられている、鼓膜が破れていなければいいが…
落ち着け…落ち着け…
まずは呼吸を整えること、そして視力と聴力の回復を待つこと。
それまでは無理に体を動かさずに、あれこれ推測することもしない。
1分、数分かもしれない、あるいはもっと長い時間だったろうか、苦しかった呼吸が落ち着いてきたのに合わせるように、耳が聞こえるようになってきた。良かった、鼓膜は無事のようだ。
歌うような鳥の鳴き声が聞こえる。野鳥だろうか。心が落ち着くのどかな歌声だ。それだけではない、虫の鳴く声。そして川の流れる音…、僕はどうやら都心ではなく自然に囲まれた場所にいるらしい。
徐々に視力も戻ってきた。腕を伸ばすと自分の手がはっきりと見える。五体満足のようだ。僕は助かった!!何故かはわからない、でも助かったんだ!!
開いた手の指と指の間を、見たことも無い美しい蝶がひらひらと通り抜けていくのを見て、笑いが込み上げてきた。
「やったぞ翔、僕は生きている!」
叫び声をあげた。声だって出ている。完全なる復活、奇跡の生還だ。
わからない事だらけだが、状況はゆっくり理解していけばいい。それよりも猛烈に喉が渇いた。先ほどから川のせせらぎが聞こえている。今はただ水が飲みたい。まずはそちらの方に行ってみよう。
改めて辺りを見渡すと、どうやら僕は森の中にいるらしい。幸い人か獣が通る道端に倒れていたらしく、移動するにも不便はなさそうだった。
さほど苦労もせずに小川にたどり着いた。とても澄んだ水が心地よい音を立てながらとめどなく流れている。僕はもう我慢ができずに川の縁に膝をつき、清らかな水を飲むために両手で掬い上げようとした。そしてすぐに異常に気が付いた。
「何だよこれ…」
水は僕の手の中に一滴たりとも掬い上げられてはいなかったのだ。指の間から漏れたなどという話ではない、水が僕の手を通り抜けたのだ。僕はもう一度川の流れの中に両手を突っ込んだ。そして、川の流れが僕の手を、腕を、まるでそこに何も無いかのように通り抜けていくという異様な光景を目にした。水の冷たさも感じない。そしてもう一つ、水面に映っていたのは紺碧の空と純白の雲、そして周囲の木々たち…その中に僕の顔は無かった。
気がおかしくなりそうで、とにかく何か理由が欲しかった。僕の心が壊れてしまわないための理由が欲しかった。そして僕は安易にも、これは夢であるというありきたりな結論にたどりついた。
それから何時間歩いただろうか。とにかく人気のある場所に行きたくて、僕は森の中を彷徨い続けた。決してあてずっぽうに歩いていたわけではない。川を下るように進めばやがて開けた場所に出るだろうと思っていたが、高い崖の上から川は滝となって轟轟と音を立てて流れ落ち、僕は迂回を余儀なくされた。
寂しい。心臓を、心を、まるで水分を含んだスポンジを力いっぱい絞るような力で締め付けられているのを感じていた。絞り出された感情は涙となって僕の頬を伝った。
何かの間違いではないかと、僕はまた空に向かって手を伸ばし指を力いっぱい広げてみた。先ほどと同じ種類の蝶が舞う。僕はそれをつかみ取るように手を握りしめた。蝶は拳の中から何事も無かったかのように抜け出ると、木々の間を抜け遠くへと行ってしまった。
これは夢。夢でないとしたら、僕は普通じゃない何かになってしまった。
生きてなどいなかった。
足が止まった。あの時と同じだ。覆しようのない絶望を突き付けられたとき、僕はもう前に進めなくなる。あの時は体が限界を迎えていた、今は心が限界だ。もう前を見ることも嫌になって、俯くことしかできなかった。沈んでいく、深い深い沼の底へと。
だがその時、異様な獣臭と息遣い、そして草をかき分けるような音が伝わってきたことで、僕の意識は悲嘆の沼から突如として強制的に現実へと連れ戻された。
身をかがめ、音がする方向を警戒しながらじっと見つめていると、草陰から姿を現したのはなんと途方もない大きさのイノシシであった。僕が知っている巨大なイノシシはニュースで見た150cm程度の雄の個体だった。しかし今目の前にいるのは2mをゆうに超える超大型のイノシシだ。馬鹿げているにもほどがある。
イノシシの目がギロリとこちらを見据えたかに思えた。鼻息がどんどん粗くなっている。野生動物と対峙したときの対処法など本で読んだ知識しかなく、実際にその場にいても知識の通りに体が動くとは限らないものだ。そうか、だから避難訓練が必要なんだ。いやいや、今はそんなことを考えている場合ではない、どうにかして逃げないと!
少しずつイノシシが迫ってくるが、急に逃げ出すと相手を刺激して襲い掛かってくるのではないか、そう思うと逆に体が動かなくなってしまった。あと1m、50cm、10cm…僕は巨大イノシシの鼻先で突き飛ばされるのを覚悟して目をつぶった…、が、何の衝撃も無かった。目を開けるとイノシシは僕の体をすり抜けて背後へと歩いていく。尻尾が僕の腹に吸い込まれたところで僕は後ろを振り返った。
「人だ…人だ!」
驚きのあまり二度言ってしまった。僕のその反応は半分正解だったと言える。確かに振り返った先に見えたものは人間の姿をした存在であった。7、8人の男の集団だ。しかしその見た目は、期待していたものとかなり異なる情報を多分に含んでいた。
まず彼らは弓矢と石斧、槍らしき武器を持ち、こちらに向かって構えていた。そして身に付けている衣服も僕が着ているデザインとは全く異なる。そう、言ってしまえば「古代人」が身に付けていそうな…採寸がガバガバで体にフィットしていない感じの、植物の繊維を編み込んで作られたような素材の上に、さらに獣の皮を被せたような出で立ちだった。
イノシシが警戒していたのは僕ではなく、向こうにいる原始の狩人たちだったのだ。原始は言いすぎたかもしれない。なぜなら彼らの文化レベルは僕が学校で、日本史で学習した『縄文時代』のそれそのものであったから。
キリキリ…と植物の弦が張力を増していく音が伝わってきた。矢じりの先端がイノシシ、つまり同じ方向にいる僕に向けられている。
「やめ…!」
僕が言い終わる前にヒュッと風を切る音とザクっという音がほぼ同時に鳴り、僕の頭に刺さった、いや、正確には僕の頭を通り抜けすぐ近くにあった木の幹に刺さった矢がビィーンと震えていた。外してるじゃないか。
そこから先は壮絶だった。猟銃を持たない文明の狩りが命がけであることは授業で習っていたが、実際に目の当たりにすると凄惨な交通事故現場に居合わせたような気分の悪さだった。おそらく最初にイノシシの突進を受けた男は即死だったに違いない。その隙をついて数人の男が石斧で獲物に殴りかかるが、規格外の巨体を持つモンスターがそれだけで倒れるはずもなく、暴れ狂うイノシシの反撃に腕や足がありえない方向に曲がり、折れた骨が皮膚を突き破り大量に出血している者もいた。
騒乱を聞きつけた仲間の集団が犬を連れて加勢したことによってイノシシが逃げ出してしまったが、彼らも熟練の狩人でこのあたり一帯は彼らが熟知した絶好の狩場なのだろう。イノシシの逃走ルートに落とし穴を仕掛けてあったのだ。見事に罠にはまったイノシシは穴の中に突き立てられた先端の尖った木の枝のようなものが体に刺さり、身の毛のよだつような大きな叫び声をあげた。しかし縄文の狩人たちはそれぞ好機とばかりに槍を突き立て、石斧で殴り掛かった。死闘の末にイノシシは倒れ、縄文人たちは集落の家族たちが1ヶ月は食べるのに困らないくらいの肉を手に入れた。
僕はその一部始終を、ただ傍観しているだけだった。狩人たちの誰も、僕の方を見向きもしない。僕は彼らにとって存在しない者だった。
その後、僕は狩人たちの凱旋についていくことにした。確かめたいことがあったからだ。彼らが縄文レベルの生活をしているとして、果たして本当に僕は縄文時代にタイムスリップしたのか。それとも核戦争が起こったことによって文明が崩壊し、一度リセットされた世界に目覚めてしまったのか。それを知りたかった。
縄文人、仮にそう呼ぶが、彼らの集落は意外と近いところにあった。ただ、道不案内な僕がひとりでたどり着けるような場所ではないのは確かだ。
狩りの成功に喜ぶ者もいた。家族を亡くし悲しむ者もいた。戦死した狩人の家族たちは集落のはずれに穴を掘り、死者の手足を折り曲げるようにして埋葬した。いわゆる屈葬だった。死者が蘇って悪さをしないようにとする意味があると聞いたことがある。でも土をかけられている死者の姿はどちらかというと母親の胎内にいる赤ん坊を僕に連想させた。もしかしたら、死者が新しい命となって生まれ変わってくることを願ってのことなのかもしれないと僕は思った。
集落のはずれにある貝塚、母親に土器の作り方を習う子供たち、麻袋のようなものに山菜や木の実を入れて持ち帰ってきた女性…。集落の様子を見て回りながら僕は熟考した。
いよいよ僕の中でいくつかの答えが出かかっていた。
まず僕は、まごう事なき縄文時代にタイムスリップしてしまったという事。もし核戦争後の世界であるならば、生き残った人たちの生活レベルが落ちたとしても文字の文化は継承されているはずだ。しかし彼らにはそれが無い。言語はあるようだが、僕には何が何だかさっぱり意味が分からない。
そして僕は、おそらく幽霊のような魂か精神だけの存在になってしまったということ。僕は彼らを認識できるけど、逆は無い。誰も僕の存在に気付いてくれない。そして僕は彼らに、いや一切のものに触れることができない。孤独な存在…いや、存在という言葉も当てはまらない、かな。ただ孤独だった。
数日後 ―
認知と思考しかできない僕は、縄文人たちの生活を眺めながら、今後どうするかを考え続けた。
また新たに判明したことがある。僕は腹が減らない。この時代に来た直後は喉が渇いたと感じたが、あれは核のエネルギーに焼かれていいくときの瞬時の残存意識がそう錯覚させていただけで、実際には喉も乾かない。これは得なのかどうなのか怪しいところだ。人生において食事は大きな楽しみのひとつだ。物に触れることもできず、飲食を必要としなくなった僕はその楽しみを丸ごと失ってしまったことになる。ついでに言うと、呼吸困難も僕の思い込みだったようだ。
移動に関してだが、僕の移動速度は便宜上、生前の僕が歩いたり走ったりするのと同じように移動できるようだ。浮いたり、物体をすり抜けられるのはわかったが、瞬間移動というのはできないらしい。
そして眠ることはできるが眠らなくても体力を消耗しない。つまり生命体が活動するための物理的営みというか機能を完全にオミットした状態と考えていい。
厄介なのは精神活動のみは活発にできてしまうということだ。考えてみてほしい、もしかしたら僕は永遠にこの魂だけの状態でこの世界を彷徨い続けるかもしれないのだ。世界に一切干渉することもできず、自ら消え去ることもできず、何百年、何千年、とだ。究極の終身刑ではないか。もしこの先デカルトに出会うことがあるならば、『我思う、故に我あり』という言葉と僕の存在についてゆっくり語り合ってみたいところだ。
それに関連してだが、まだ確かめなくてはいけないこともある。それは僕が歳をとるかどうかということ。予想ではあるが、これは無いと思っている。そもそも生命活動をしていないのだ。肉体的に成長したり老化したりというのは考えにくい。
さらに、命の無い僕が、僕という存在をどのように終えることができるかということ。もし本当に幽霊ならば、除霊師のような人間を見つけたら祓ってもらえるかもしれないとは思う。弥生時代になれば巫女のような人物がいるのは知っているが、それまで何年待てばよいことやら。
そして最も重要なのは、このまま僕が20XX年まで存在できたとしたら、あの瞬間の僕とどのような反応を起こすのかということだ。幸いというか何というか、僕は歴史には干渉できない身だ。何も無ければいわゆる「日本史」をそのまま辿って行くことになるだろう。そうすれば20XX年にもう一度あの核ミサイルの爆発を体験することになってしまう。正直なところ、これに関しては全く想像もつかない。
あと謎として残るのは、「タイムスリップの原理」と言ったところか。聞きかじった知識で推論を立てるとしたら、核反応のエネルギーによって時空が歪み、疑似ワームホールのようなものが生まれてしまった、とか。さすがにSF小説の読み過ぎか。
「さて、と」
僕は旅をすることにした。この場所に地縛霊として住み着くことに意味は無いし、せっかく手にした数奇な運命を、少しでも価値あるものにするなら何か行動するのがよいと思ったのだ。
何日かこの集落にいたおかげで、ほんの少し彼らの言語について学ぶこともできた。かなり離れた北の地に大きな集落あるという話だ。もしかしたら、青森の三内丸山遺跡があった場所かもしれない。まずはそこに行ってみようかな。
その後はどうしようか。日本を離れて外国に行くこともできそうだ。エジプト文明やメソポタミア文明をこの目で見るのも面白そうだな。体の特性を利用して地面に潜り続けたら南米までたどり着けるか試してみるのも…いや、ずっと土や石に囲まれる旅は嫌だな。
宇宙へは…もし20XX年を過ぎてもこのままだったら行ってみよう。
いずれにせよ、永い、永い旅になりそうだ。
1100年後 ― 邪馬台国
「そうしてお主は、1000年以上の時を経てわしに会いに来たと申すか」
「…はい」
僕の話をずっと黙って聞いていた卑弥呼がようやく口を開いた。いや、よくもこんな突拍子もない話に女王が耳を貸してくれていると思う。普通なら途中で追い出されても仕方が無いと覚悟さえしていた。
女王とされる人物と直接目を合わせるのは気が引けたのだが、チラリと表情を見てみると思っていたよりも表情は穏やかだった。少なくとも怒ってはいないらしい。もしこの話を最初にした相手が織田信長だったら「たばかるでないわ!」と即座に首を斬られていたかもしれない。斬れないけど。
「僕の話を疑わないのですか?」
「嶺と申したか、お主、わしの鬼道を見ておったであろう。あれは八百万の神の血脈を受け継ぐわしが神託を授かるための秘術でな、星読みのさ中に天照さまよりお呼びの声がかかったので急いで神託を求めたのじゃ。するとはるか先の世より死者が訪れるというではないか。お主の話だけなら笑い飛ばしたであろうが、神のお告げとなると話は別じゃ」
僕にとっては神の声が聞けるという話の方が現実離れしているようにも思えてきたが、卑弥呼が大真面目な顔をして説明するものだから、一応の話として飲み込んだ。
「面白い話を聞かせてくれた礼に、お主にひとつ答えをやろう」
卑弥呼は僕の腰のあたりをすっと指さして言った。
「お主を過去に連れてきたのは、お主が腰からぶら下げているその石じゃ」
石?
すっかり忘れていた。物に触れられない生活を長い間していると、何にでも無頓着になってしまうものだ。そう言われれば、と目をやると僕の腰にぶら下がっているのは、確かに例の島根に旅行に行った時に拾った石をストラップにしたものだった。いつの間に腰に引っかかっていたのだろう。
「どうしてこの石が?」
僕が尋ねると卑弥呼は呆れたように言った。
「わからんのか?その石こそ八尺瓊勾玉、神代の時代より伝わる三種の神器のひとつよ。正確にはバラバラになった八尺瓊勾玉のひとつ、じゃがな」
思い出した、確かにこの石は霊験あらたかな出雲大社を観光で訪れたときに拾ったものだった。だが、この三種の神器にそのような時空を超えるほどの力があると?僕のワームホール説の方が科学的であると思えるのだが、誤りだったというのか。いやしかし、僕よりずっと神代の時代に近く生きている日本史上最高のシャーマン、卑弥呼が言うのだから妙な説得力を感じる。しかしだ、仮にそうだったとして、
「でも、三種の神器って天皇家に大切に保管されているものじゃ…」
「その天皇家というのはお主の時代の王か?おそらくその王が所有する三種の神器は模造品であろう。そもそも神器は人の身に扱えるものではない。高天原に納められているはずの神器が葦原中津国に落ちておったというのが不可思議な話ぞ。それをお主が持っているというのもな」
「模造品…レプリカ…、僕が持っているこの石が本物…?」
本当に無意識に、僕の右手が吸い寄せられるように八尺瓊勾玉に触れようとしていた。もとより「物に触れる」という概念が僕の中からすっぽり抜け落ちていたはずなのだ。僕にとって当たり前のこと、1000年の常識、すべての物質は僕の体を通り抜ける…。
ああ!しかし、僕は勾玉をしかと握りしめていた。久しく忘れていた1000年ぶりに感じるこの感触。物に触れる喜び!
ゆっくりと手を開いた。確かに僕の手のひらに乗っていた勾玉は、深みのある色を湛えたまま仄かに光を放っていた。
「勾玉はお主を持ち主として認めているようじゃの」
卑弥呼は、どうしてか少し満足げに笑っているように見えた。
笑いたいのは僕の方だ。1000年だぞ。ずっといろんな場所を見てきた。たくさん歩いてきたんだ。何度も虚無感に襲われた。どこに行っても何も解決しなかった。それでも、ここに来て、卑弥呼に会ってようやく1歩前に進めたような気がしたんだ。やっと!やっと…!
「何じゃ?泣いておるのか?」
「笑っているんだよ!」
僕は必死に涙をこらえて強がってみせた。でもそれは無駄な抵抗だった。笑みと共に抑えきれない感情があふれ出してしまう。そう言えば人と話をするのも久しぶりだったな。人の優しさに触れるのも久しぶりだ。何から何まで…
「無理をするでない、嶺。お主はよく頑張った」
物語の中での整合性が崩れないか心配しながら書いているので、少し説明臭い部分が多くなってしまいました。次話からは少しライトな雰囲気になると思うので、どうぞ読んでいただけると幸いです。