帰還、イナリ特務官来訪
一九四三年、六月十九日。舞坂基地、先の戦闘に於いて異能の暴走、意識不明状態に陥った学徒一名が意識を取り戻す。体液の注入無しでの“重複発現”の兆し有り。“特班”への誘致を行う。以下、回想。
泣き声が聞こえる。数名に囲まれたその中心で、何かが蠢きながら泣いていた。その蠢くものは何をするでもなく、自身の身体を震わせている。なんとなくではあるが、これは夢だとうっすらと理解した。私は昔から夢を夢と自覚するのが早かった。しかし、自分の思い通りに動くという事は少ない。
夢の中の自分はやや俯瞰の視点で、少し離れた位置からそれを眺めている。人影が邪魔で、中心で泣きながら蠢くものが丁度見えない位置に居るようだった。夢の中の私は、何故だかその蠢くものを酷く怖がっているにも関わらず、姿を鮮明に見たいという気持ちに駆られ、遠巻きから人と人の隙間に目線をやった。
蠢くものはふと顔を上げ、私と視線が合った。その瞬間、私は奇妙な喜びと底知れぬ恐怖で叫び声を上げる。同時に、蠢くものを囲んでいた人々が、私の方を一斉に振り向いた。
体が一瞬、硬直した。
はっと目を開けると、見知った天井と薬品の匂いが鼻につく。ここが何処なのかと、一瞬遅れて把握した。舞坂基地の医務室だ。
「起きたねクニエダ。うなされていたけれど大丈夫か?ここが何処だか分かるか、僕が誰だか分かるか?」
視線を寝台の脇に移すと、トノサキは読んでいた本を音を立てて閉じ、眼鏡を上げてこちらを見ていた。
その問いかけに答えるため起き上がろうとしたのだが、異変に気が付いた。体が動かず、身動きが取れない。首だけ動かして自分の身体を見下ろすと、まるで簀巻きの様に、布団ごと麻紐によって寝台に括り付けられていた。
「あぁ、トノサキ、大丈夫だ。意識はしっかりしている。身体も問題無さそうだ。それにしても、これはどういう状況だ。何故私は寝台に縛り付けられている。いや、それよりもあの戦闘で大王烏賊は無事に征伐出来たのか?負傷者は出たのか?私は何日眠っていたのだ?舞坂基地は無事か?」
私が起き上がろうとしても、寝台と固く結ばれた麻紐がこすれる音がするのみで、どうにも動くことは叶わない。
「異能が暴走したって言うのにもう人の心配か。クニエダらしいな。まあ落ち着いて、この紐は今から解いてやる。順番に状況も伝えてやるから」
トノサキは喉を鳴らしながら笑いをかみ殺し、寝台の麻紐を解きながら現在の状況の説明を始めた。
「まず、先の戦闘から説明しようか。クニエダが特攻を仕掛けた後、大王烏賊に出来た隙を突いてツジの大戦斧により両断されて戦闘は終了した。戦闘結果だけ言えば、クニエダが負傷したのみ。加えて、お前は四日寝た切りだったが、あれから害物の襲来は無い」
それを聞いて、私は安堵した。あの戦闘では皆疲労の限界であり、あれ以上戦闘が長引いていたら如何なっていたか分からない。それこそ、私以外の班員の異能の暴走も十分あり得た。かつ、あれから害物の襲来が無いとなれば休息が取れる。私の負傷のみで済んだのであれば、安い代償である。
「おいクニエダ、今安心しただろう。無事に害物が征伐出来たって。問題はここからなんだぞ」
麻紐を解き終えたトノサキは、半ば呆れた様な表情でため息をつきながら言った。寝台からの拘束が解かれた私は、首から順番に凝り固まっている体を伸ばす。やはり、四日眠っていて鈍っているという事を除けば、体に異常は無さそうだ。
「それは安心するだろう。私以外の負傷が無いのならば結果として御の字なんじゃないか?」
他に何があるというのだ。しかしトノサキは、またも溜息をついた。
「分かってないなクニエダ。僕は“戦闘結果だけ言えば”って言っただろう。問題はその先なんだからな」
トノサキは下がってきた眼鏡を指で押し上げると、若干言いよどみながら会話を進める。
「大王烏賊を突き破ったクニエダは海中に突っ込んでいった。反重力脚の異能の暴走、足には鉄靴を履いているお前だ。意識が無ければ海面まで上がれるはずはないだろう。さて残った異能の学徒はどうしたでしょうか」
トノサキは呆れ顔で続けた。先程まで眠っていたおかげで回転していなかった頭に、嫌な予感が過る。
「ここから大救出劇の始まりだ。しかも、各員疲労で暴走寸前の異能を目一杯使ってな。オミカワは使用も限界だろう右目の異能で海中深くに潜ったお前を探索、オギウエも異能を使って髪の毛を海中一杯に広げて探索、ツジ班長は帰投しようとする潮騒丸の船員と胸倉を掴み合って時間稼ぎ。それで、オミカワが運良く海中のお前を発見、オギウエの髪の毛を身体に巻き付けて、ツジ班長がそれを引っ張り上げた。心肺停止状態のクニエダに必死の処置をしながら、潮騒丸は限界以上の速度で舞坂基地に帰投した」
その時の状況が手に取る様に頭に浮かぶ。
考えが甘かったとしか言う他無い。害物征伐に於いて最善の策を取ろうと考えた結果がこれでは、異能の学徒を率いる班長として余りに陳腐だ。班員の命を危険に晒すに等しい行動であった。
「……私の行動が甘かった。力も足らなかった。班長としてあるまじき行為であった。すまない」
「馬鹿野郎、すまないじゃない。もう少し自分の事を鑑みろ。その次に周りの事もだ。お前の様に、戦いに於いての死は仕方が無いと割り切っている奴らばかりでは無いんだ。思い返せ、舞坂基地の異能の学徒は、仲間の危機だとすれば今回の様に無茶苦茶をして助けようとしてしまう奴等ばかりだろう。その辺りをちゃんと自覚してくれ。余り心配させてくれるな」
トノサキは、消え入りそうな語気で締めくくった。
害物征伐の事のみを考えての行動であったが、短絡的な思考であったと言わざるを得ない。このような結末は無論本意では無かった。結局、班員を異能の暴走の危険に晒したのだ。
「悪かった、以後気を付ける。トノサキにも迷惑かけた」
「その言葉、まずあの三人に掛けてやってくれ。軍令違反でカナモト少尉から罰則を受けているんだ」
「罰則?」
ツジ、オミカワ、オギワラ。以上三名の罰則の次第では、舞坂基地の防衛にも関わる。
「朝飯抜きだ。ツジ班長がいて助かったよ。あの人の抜群の征伐数の前では流石のカナモト少尉も懲罰房には入れられないからな」
私の想像よりはるかに軽いもので、少しばかりざわついた心に平穏が戻る。
トノサキの顔にもようやく笑顔が戻った。しかし、はたと真剣な顔に戻ると、真一文字に口を結んで、私を力強い眼力で睨みつける。
「話はこれで終わりでは無いぞ。クニエダ、お前が寝ている間、反重力脚の異能に異常が出た」
トノサキは更に神妙な面持ちとなり、私を見つめた。この様な様子になることは珍しい。
異能の異常とは何なのだろうか。私は寝台の上で両足を軽く動かしてみるが、別段変化は無いように感じる。
「異常とは何だ。私が寝台に縛り付けられていた事と何か関係があるのか」
「ああ、お前の異能だが、無意識化での“反重力脚”と“膜”発現が顕著に起こる様になったんだ」
「無意識化での発現?」
「ああ。意識の無いにも関わらず、反重力脚が発現し続けていたんだ、膜も一緒に。いくら寝かせてもいつの間にか宙を漂ってしまうから仕方なく寝台を床に釘で打ち付けて、そこに縄で縛り付けてようやく落ち着いたという訳だ」
やや声を抑え、トノサキは続ける。
「それに、その状況を聞きつけた軍部の動きがどうにもおかしい。寝ているお前を入れ代わり立ち代わりで科学者やら学者やらが取り囲んで、今日の朝、ようやく解散したんだ。確実に一異能の学徒への対応では無かった。噂によると、“異能の学徒計画”の関係者ばかりだったそうだ」
トノサキがそう言った途端、医務室の扉が大きな音を立てて勢い良く開いた。
「おっと、トノサキ君。そこから先の話はこちらでクニエダ君に伝えさせて貰おう」
ぴんと糊の付いた、綺麗な軍服を纏った人物がそこに立っていた。害物情報局のイナリ特務官が、穏やかな笑顔を見せている。
「異能や害物の事であれば私の領分だ。餅は餅屋という事で、ここは私に譲ってはくれないかな」
「イ、イナリ特務官。何故ここに居るのですか」
イナリ特務官は、その名前通りの狐の様な細い目でトノサキを見つめ、穏やかな笑顔を浮かべると、部屋の隅に置いてある椅子を音を立てて引き摺り、私の寝台の足元に置いて上品に腰掛けた。
トノサキはと言うと、突如現れた上官に蛇に睨まれた蛙の様に硬直し、仰天している様子だった。無論、私も同様である。
イナリ特務官は年の頃は私やトノサキと同じであるが、立場が大きく違う。国軍直属の害物の情報を扱う、“害物対策省”所属だ。各国で出現した害物の情報を取り纏め、出現傾向を予想し、対策等を各前線基地に伝えている。その情報共有の為の所謂“勉強会”も、このイナリ特務官が舞坂基地に来て執り行っている。謂わば軍部の出世街道を行く精鋭であった。舞坂前線基地の一所属員である我々と比べると、天と地程立場の違いがある人物だ。
かつ、異能の学徒から見れば、一等特別な人物である。なぜなら“異能の学徒”計画における、最初期の実験により異能を宿した人物でもあるからだ。異能の学徒が全国に配置される以前の、本土に侵攻していた害物を一斉征伐した“本土奪還作戦”では、大きな戦果を挙げた人物の一人である事は周知だ。
そのイナリ特務官が、“勉強会”でも無いのに舞坂基地に来ているという事がまず驚きであった。そして、個別に異能の学徒と会うという事も、今まで私は聞いたことが無い。
「用事ならある。戦友の見舞い、そして世間話をしに来たんだ。それとトノサキ君、その特務官というのは止めておくれ。仰々しくっていけないよ」
イナリ特務官は無邪気に笑う。
「それで悪いんだけどトノサキ君、ちょっとクニエダ君と二人で話したいから席を外してくれないか」
その言葉を聞いた途端トノサキは勢いよく立ち上がるとイナリ特務官と私に敬礼を向ける。
「分かりました、それでは自分はこれで失礼します。クニエダ班長、お大事になさって下さい」
そう言うと、トノサキは機敏に医務室から出て行った。イナリ特務官が居るからと言って、わざとらしい程の行儀の良さである。この気持ちの良い敬礼の様な行動を、少しでもカナモト少尉に向ければ円滑な関係が築けるだろうに。
「さてとクニエダ君、先の戦闘の報告を聞いたよ。君は異能の練達の域に達している。自己保有型の異能である反重力脚に膜の発現をさせることが出来るのだろう。何時頃から出来る様になったんだい?」
イナリ特務官はその長い脚を組み、ゆったりとした口調で私に問う。
「はい、反重力脚に膜を纏う事象は二ヶ月程前の戦闘時から稀に出現していました。いずれの戦闘でも膜の発現は一瞬だったのですが段々と扱いに慣れ、直近の連戦にてその効果を実感した次第であります」
有体に現在の状況を説明すると、イナリ特務官の顔が明るくなった。
「素晴らしい。自己保有型の異能を宿した者が膜を発現する事は過去にも数件のみ発生している珍しい事象だ。国としては、その発現方法の解明を進めているんだ。他の者にも同じように発現させることが出来れば大きな戦力増強になるからね。それでクニエダ君、今日私が舞坂基地に来たのは他でもない、君にお願いしたい事があって寄らせてもらったんだ」
お願い、とは何なのだろうか。無論上官からの命とあらば、返答は一つしか許されていない。
「勿論、私に出来る事であれば」
「膜の発現をした自己保有型の異能者は強力だからね、所属の変更をお願いしたい。“異能特殊任務班”という言葉、耳にした事はあるかい?」
私はイナリ特務官の口から出た言葉に大いに驚いた。“異能特殊任務班”。本当に実在したとは。
異能の学徒の間でまことしやかに噂される、眉唾物の話。
強力な異能を宿した者、多大な戦果を挙げたもの、異能に関わる特別な技能を持つ物。そういった者たちは国と連携しながらも独立した、秘密裏に活動する組織に誘致され、通常の征伐以外の特別任務が課される。
そんな噂話であったが、以前その存在を感じる出来事があった。
半年程前の雪の日。その日は害物の襲来も無く、通常任務である基地周りの哨戒や装備の点検などを恙無く行い、いざ寝所でうとうと寝入りそうになった頃であった。
舞坂基地の監視塔で偵察任務を行っている筈のトノサキが真っ青な顔で枕元に立っていた。何事かと声を掛けると、今まで感知したことの無い程強大な害物反応が太平洋上に発生したとの事だった。
通常の襲来では無く、一前線基地での対応が難しいと偵察兵が判断した場合、まず本部に無線にて連絡を入れ、他基地の学徒と連携し征伐を行うのが常である。しかしトノサキがその連絡を入れた途端、本部からは偵察をすぐさま止め、舞坂基地の全隊員にその報告をすることを禁じられたと言うのだ。このような異常な対応だったため、不安になり私の元へ来たとの事だった。
とは言え本部の命令とあれば従わなければそれも問題だ。しかし私はトノサキと共に監視塔に上り、何かあれば直ぐに対応出来るようにと、本部に無断ではあるものの引き続き監視をする事とした。
今までに感じた事の無い強大な害物の反応を感知しているトノサキは、膝を抱えて震えながら、龍眼で見える状況を私に逐一報告していた。
しかし暫くするとトノサキは勢いよく立ち上がり、太平洋の方向に目を凝らして凝視し始めた。何かあるのかと私も双眼鏡にて見てみると、遠くの暗闇の中に何度か閃光が走ったのが見えた。しばらく見ているとその閃光は数分後には止み、いつも通りの重く暗い暗闇へと戻った。
トノサキに状況を聞くと、何かがその害物と戦闘を行い、征伐したという。龍眼は害物しか探知できないため、詳しい状況は結局分からなかったのだが、害物はその閃光の度に反応が小さくなっていったそうだ。つまり何者かが謎の閃光を放ち、害物を征伐したのだろう。トノサキも見たことが無い様な強力な害物を、近隣基地に知らせずに、である。
その時もトノサキと話したのだが、国は前線基地以外にも異能を使う兵士を保持しているのではないかという結論に達した。それも秘密裏に、加えて強力なものを、である。
それが何なのかは今まで推測の域を出ていなかった。そして、日が経つにつれてその事すら記憶の奥にしまわれていたのだが、今日理解した。特務機関は実在するのだ。
「本日付けで君の所属は異能特別任務班だ。とは言え所属しているという事実は秘匿されるから、舞坂基地の所属と兼任だ。了承して貰えるかな」
「勿論です。私の力が役立つのならば」
私の力が役に立つのであれば、言うことは無い。
「流石クニエダ班長、気持ちの良い返事だ。もう少し驚いてくれた方が面白かったのだけれど、まあ良い。それはそれとして、君の異能に関して、先立って解決と解明をしなければならない事象がある」
イナリ特務官は私の返答を待たずに突然立ち上がったと思うと、目にも止まらぬ速さで私の首筋に触れた。一瞬遅れて小さく鋭い痛みを感じる。
彼の手の中には、中身が空の注射器が握られていた。
次の瞬間、私の視界はぼやけ始め、音が遠くに聞こえる。意識は混濁し、自身が寝台に倒れたのか姿勢を保てているのかすらあやふやである。
私に向けて何か言葉を発しているのは分かるが、何を言っているのか頭の中が濁りはっきりと聞き取れない。
しかし、唯一聞き取れた言葉があった。
“君はどちらだ”
私の意識は、闇へと落ちた。