舞坂前線基地の戦い
“異能”
それは人知を超えた力。
各国は、様々な能力を用いて襲い来る害物への防衛手段として、その力を利用できないかと考えた。そして、その力を数多の実験により液状化に成功させた。
それを人体に注入することにより、幸か不幸か人間に宿す事に成功してしまった現代科学の悪魔の産物。それが“異能”である。
勿論日ノ国も例外では無い。
日ノ国は、その体液を、異能の定着率の高いとされる若年層の人間、多くの場合は学徒に投与。
そうして生み出された、害物の異能を宿した学徒動員兵、通称“異能の学徒”により害物と人間との戦線は拮抗しているが、加速度的にその戦いは混迷を極めている。
今なお、太平洋沿いに点在する“対害物戦線基地”には、異能に目覚めた学徒が動員され続けている。
この“舞坂前線基地”もその内の一つである。
私が異能を発現した当初、上手く制御が出来ずに歩くこともままならなかった頃、異能の能力安定、恒常化を促す“訓練所”にて、同じ反重力脚の異能を持つ学徒から助言を貰ったことを、今でも昨日の事のように思い出す。
私の宿した異能の“反重力脚”とは読んで字の如く、重力に反発する脚の事である。
いざ地面に向けて足を蹴り出せば、まるで弾かれた紙風船の如く、体はいとも簡単に宙を舞う。しかし決して動きが緩慢という訳では無く、反重力を幾重にも発現させれば、岩をも砕く、鋭い足技を見舞う事も出来る。
私は学徒動員以前は、文学に励んでおり、理系の学問に関しては常識的な事柄しか知らない為、反重力、と言われても未だに全てを理解出来ていない。しかし、この力を意のままに操ることが出来るのであれば、一先ず理屈などどうでも良い。ひとたび蹴りだし害物と相対すれば、それを屠るのみである。自身が死なない為に。
私が反重力脚にて宙を蹴り進め、岸辺から届く電光の光が弱くなる頃、害物と接敵した。
小型が八体、報告通りであった。空を飛ぶ鳥の一団の様に、鶴翼の陣にて飛行しているのが確認出来た。
害物の殆どは音に強く反応する習性があるため、衣擦れ以外の音を立てる事の無い反重力脚での海上接敵の際は、潮風の音に紛れて先制を加えるのが定石である。
反重力脚の右足にて宙を素早く二度蹴り、弧を描くように体制を反転、空中で回転を加えると共に勢いと体重を乗せ踵からの一撃を加える。そこからさらに返す足で後ろの一体の害物へ攻撃を放った。体液が私の体に降りかかり、二体の害物の頭部にはくっきりと踵の軌跡が刻まれた。小型の害物であれば、概ねの異能を用いて一撃で倒すことは容易い。
残された害物はぎ、と小さく鳴き、一目散に浜辺へ向かって飛行を始めた。
先ほどの警戒飛行とは違い、目的に向かっての最高速度での飛行であった。小型の害物に顕著であるが、海上で異能の学徒と接敵しても本土へ向かおうとする習性を持っている。私はすぐさま踵を返し害物を追うが、反重力脚でもじわじわと距離を詰めるのがやっとであった。
まもなく舞坂前線基地が目と鼻の先の砂浜に到着しようという頃、前方を飛行していた害物の動きが途端に鈍くなった。ぎ、ぎ、と害物は唸り、見えない何かに絡め取られたかの様にもがいている。それは砂浜に見えるカゲヤマからの念力での援護だという事は理解に安く、後ろから追い付き三体の害獣を纏めて薙ぎ払うことが出来た。
それと同時に、左方を飛行中であった二体の害物の体が飛翔物によって貫かれる。同じく砂浜の弩級腕の二人により放たれた岩石であった。彼らはどこから集めたのか岩石を殴りつけ、さながら弾丸の様に、絶えず拳大の石を飛ばし害物を迎撃していた。
今回新たに舞坂前線に加わった三人、初めての戦闘にもかかわらず良い動きだ。これは、長く共に戦っていけるかもしれない。
私がふとそう思った時、害物の動きに変化があった。
先程までカゲヤマの念力により動きが縛られていた害物に、敏捷性が戻ってきている。砂浜に一瞬目をやると、カゲヤマの目は虚ろで、鼻、口から血を噴き出し、ゆっくりと膝をつく姿が見えた。
異能の暴走。初めての戦闘で、こういったことは珍しくない。適合する異能であっても、身体に馴染むまでは急激に力を使うと体が拒否反応を起こす。害物と名付けられた忌まわしき敵の力をその身に宿すのだ。どのような事が起ころうと不思議では無い。
そして、そのような状態となったカゲヤマを見て、同じく砂浜のナカネとササキは弩級腕による岩石の投擲を止め、大丈夫かと叫び、血塗れのカゲヤマに近づく。
余りにも無防備な三人の姿に、私は焦りと絶望を感じた。彼らの反応は至極全うであった。仲間が倒れたら当然駆け寄る。ただ、ここは戦場なのだ。
「害物から目を逸らすな!」
私が砂浜の三人に向かって叫び、反重力脚で宙を蹴り、残る一体の害物に迫ったが既に遅かった。
カゲヤマの念力から解き放たれた害獣は従来の速さを取り戻し、砂浜に固まる三人へと肉薄する。
今回の様な小型の害物の多くが持っている異能。それは“自爆”である。
赤黒いその体はみるみる内に膨張し、空気を入れ過ぎた風船のように破裂し、爆音と共に砂浜を抉った。
散乱する肉片と砂埃。生臭い匂いが鼻に付き、耳鳴りが気持ち悪い。一瞬の出来事に、私はその場から動くことが出来なかった。次第に砂埃が止み、状況が見えてくる。
カゲヤマ、ササキは糸の切れた人形の様に砂浜に倒れている。見たところ、爆発における傷は見受けられたが、大きな身体的損傷はない。しかし、ナカネの姿が無かった。
よく見れば、爆散した害物の肉と混ざり、人間の肢体が砂浜に散乱していのが確認出来た。おそらく、ナカネが身を挺して二人を庇ったのだろう。
新人三名は、戦闘前の情報共有の場で今回の害物の説明を受け、接近を許したら最後と分かっていた筈だ。練達した異能を用いなければ近距離での爆発など躱すことは出来ない。しかし、初めて害物と対峙したのだ。加えて仲間の一人が血を吹き出して倒れている状況で、冷静な判断など出来る筈は無かった。
“戦闘終了の報が龍眼偵察員より入った。クニエダ、状況を述べよ”
私のとんびコートの内ポケットに入っている受信機が、ざらついた上官の声を届ける。
「……害物八体の内、七体撃破。一体は自爆。学徒ナカネ、カゲヤマ、ササキ三名を巻き込み、確認済の害物は征伐されました。負傷した学徒の内一名、ナカネは害物と共に爆散、残り二名の状況確認後、帰投します」
“ご苦労。救護を向かわせる。クニエダは舞坂基地に帰投後、報告に来るように”
ぶつ、と機械的に受信機からの声は途絶えると同時に、舞坂基地から発せられていた電光が落とされ、辺りはいっぺんに静かになった。
私は、暗く、深い太平洋の水平線へと目を向ける。薄っすらと遠方に見える、巨大な建造物。船なのか、要塞なのか、巣なのか。分かっていることは少ないが、あそこから、未確認災害生物“害物”が出現しているという事は間違いない事実である。
いつまで、こんなことが続くのだろうか。この状況を目の当たりにしても、心がざわつく程度に成ってしまった。血生臭い匂いを洗い流すように、舞坂の海岸に風が抜ける。