列車に揺られ
一九四三年、六月二六日、晴れ。九州へと向かう列車の中でこれを書く。
昨日、日ノ国害物情報局より入電あり。九州へ未確認の強力な害物が上陸したという報であった。害物が前線基地の防衛線では止まらず、上陸をしたというのは二年前の本土決戦以来の出来事である。それほど強力な害物が出現したというのだ。
それにより本部より全前線基地へ、九州大分、熊本に渡る特別防衛線への招集命令が下った。舞坂基地からはツジ班長、オミカワ、オギウエ、私の四名が選出され、列車に乗り遠路を行くこととなった。私の他三名は戦力的に申し分無いだろうが、私は差し詰め本部詰めの龍眼偵察員としての任だろう。今回、サクラダは留守番だ。大層悔しがっていたが。
九州は一度は訪問したかった場所ではあるが、叶うのであれば害物との戦闘ではない時に行ってみたかった。
舞坂基地としては、現状一番の戦力であるツジ班長も抜けるので防衛面も心配であるが、一応の上官である石頭のカナモトの命なので従うしかない。
また、クニエダが居なくなってから六日が経つ。イナリ特務官の突然の来訪と共に姿を消し、事後報告として“特別任務につき別働とする”との一報が本部より届いてそれきりだ。
こんな時だからこそ、クニエダが私を含む隊員の精神的支柱であった事が良く分かる。冷静でいて班員を気遣う彼の言葉に、知らず知らずの内に励まされていたのだと今回の緊急招集で自覚した。こういった事態の時にこそ、彼の落ち着いた言動を頼りにしたくなる。そうとは言うものの、別働任務で居ないのであれば仕方が無い。
一点気になるのが、舞坂基地に着任してから別働任務など一度も無かったのにも関わらず、何故急にそんな任務に就くこととなったのかという所だ。異能の暴走も確認されていたし、軍部の不自然な検診もあり、終いにはイナリ特務官がクニエダを名指しで訪ねて来た。
何か裏がありそうだと邪推するが、一学徒兵のおよび知る所では無い。無事を祈る他ないだろう。
学徒招集、そして異能の学徒となってからも続けてきた日記ではあるが、九州の前線基地に行ったら書く暇があるのだろうか。可能であれば、今まで続けてきた事ではあるし、私自身の記録として書き続けたいものである。
「おいトノサキ、せっかくの列車の旅なのに何を書いているんだよ。手紙か?暇なんだ、何か楽しい話でもしてくれよ」
丁度日記を書き終えた時、ツジが配給のサツマイモをほおばりながら退屈そうに話しかけて来た。
件の緊急招集により、舞坂前線基地の僕、ツジ、オミカワ、オギウエは、九州へ向かう列車の中に居る。
「未確認の強力な害物が出現して九州宮崎前線基地が全壊。現在宮崎にて進行を停止している害物を征伐するために僕らが集められているんだ。そんな呑気な事を言っている場合ではないだろう、ツジ。あと、もう少し静かに話せ。この列車にも、宮崎前線基地の関係者が乗っていないとも限らないじゃないか。知り合いが逝った人の前で列車旅だ、暇だ、などと言えるのか?」
「ああ、それはそうだな。これからは気を付けるとするよ、すまなかった。とは言っても俺が暇なのは変わりがない。トノサキ、龍眼偵察兵のつながりで、今回の九州に出た害物の事とか、何か知ってるんじゃないか?教えてくれよ」
隣に座るツジは、ずいと肩を寄せて僕に迫る。こいつは僕の注意を理解しているんだろうか。
各前線基地の偵察兵には特別な通信機が与えられており、本部を介さずやり取りが出来るようになっている。名目としては、異能の学徒による情報共有による前線維持活動の一環という事だそうだ。しかし、そこでやり取りされた内容は、一度所属基地の責任者を通してのみ他の異能の学徒への共有を許可されているというなんともちぐはぐなものではあるが。
恐らく、それを守っている学徒の偵察兵は少ない気がする。僕でさえ、カナモト少尉に話を通すかは内容により五分と言ったところだ。
そのため各前線基地の偵察兵は、一般の学徒より様々な情報に触れる頻度が高い。
今回の件も各地の異能偵察兵から無線が入っていた為、知らない訳では無い。あくまで噂という事を伝えてから、僕の知っている情報を話す。
「今回の害物は炎を使うらしい。それが並では無くて、閃光が走ったかと思えば、宮崎前線基地の周りを含めて焦土と化したとの事だ。宮崎基地所属の兵士、異能の学徒は事前に撤退をしたのだけれど、半数近くはその炎に巻き込まれたという情報もある。これは今まで出てきた害物とは訳が違うらしい。観測名は“健磐龍命”と名付けられた」
「“健磐龍命”ね。害物が神の顕現とでも言うのか。阿蘇の人々の怒りを買うぞ」
ツジは眉間に皺を寄せ、腕を組みなおし座席に勢い良くもたれ掛かる。そういえば、学徒動員前、ツジはこのような歴史や文学を研究を行っていたと聞いたことがある。この名前に何か思う所があるのだろうか。
ぶつぶつと文句を垂れるツジの脛に、向かいの席から蹴りが入る。
「いてっ!おいオミカワ、何するんだ!」
「ツジ、ぶつぶつ煩い。周りに迷惑だろうが」
対面に座るオミカワから繰り出された蹴りにより、大げさに痛がるツジ。
クニエダが特別任務とやらで姿を消した後、オミカワはずっとこの調子で不貞腐れている。見ていてとても分かりやすく寂しがっているのだ。しかし恐らく、本人はそれを隠そうとこんな態度になってしまうのだろう。不器用な奴だ。
「オミカワ、クニが心配だからってそうカッカしないでくれよ。もうちょっと素直に寂しがればいいのに」
「なっ……!そう言う事じゃないから!私はツジの声が煩いって言ってるんだから、クニエダの事は今関係ないでしょう!頓珍漢な事を言わないでよ!」
「何ぃ、だれが頓珍漢だって?」
ツジも知ってか知らずか、オミカワの踏み入れて欲しくない所をすぐに突く。クニエダが居れば即座に方向修正をし、笑い話で終わるこのやり取りも、居なければ永遠に続く泥沼だ。
また、カッカしているオミカワはいつもの乱暴な言葉遣いも改まる癖があり、それも相まって最早微笑ましくも思ってしまう。
つい、その様に笑みを零してしまった僕に、オミカワははっとした表情を見せ、そのまま睨みを効かせる。
「おいトノサキ、何笑ってるんだ。私の何処が面白かったんだ、言ってみろよ」
どうやら自分の口調が戻ってしまった事に気が付いたのだろう。オミカワはいつもの若干乱暴な言葉使いに戻ると、耳と顔を真っ赤にしながら問いかけてきた。
「まぁまぁ、ツジさんもオミカワさんも落ち着いて。ほら、外の景色を見て下さいよ。綺麗ですねぇ」
僕が返答に困っていると、オギウエが助け舟を出してくれた。
二人の喧嘩からは的を外したその言動にツジもオミカワも毒気を抜かれたようで、大人しく座席に座りなおし、ふいと窓の外を向いた。
正面のオギウエに小声で礼を言うと、笑顔を返してくれる。
オギウエは舞坂基地に配属されて日は浅いが、良くやってくれていると思う。
戦闘では“怒髪衝天”の異能を用いてその黒髪を自在に操り、時には鞭、時には槍として、幅の広い戦闘方法で害物征伐に励んでいる。海上移動も、本人曰く“アメンボの要領”で可能としており、ツジ班の戦力増強に一役買っていることは間違いない。
また、その毒気の無い柔らかな口調、そして端正な顔立ちで舞坂基地の全兵士、学徒から好かれている。
特に驚いたのが、異能を宿していない兵士でさえ、オギウエには非常に親切であるという事だ。同じく容姿端麗と言える顔立ちのオミカワがあのような言動をしている為に相対的に評価が上がっている節はあるが、所詮男なんてものは美女に弱いのだとつくづく思い知った。
加えて、舞坂基地の異能の学徒の間では、衝突が起こった際、今回の様に緩衝材として話の軌道修正をしてくれることが多分にあり、僕は戦闘以外でも非常に頼りにしている。
「ところでトノサキさん、結局現在の九州の戦況はどうなっているのですか?私は軍に配属になって間もないですが、本土内に防衛線を張るなんて聞いたことも無いです」
オギウエが僕に問いかけると、それを聞いて、窓の外を向いているツジとオミカワが視線はそのままにぴくりと反応した。やはり、なんだかんだと言いながらも気にはなるのだ。恐らく、オギウエもそれを見越しての質問だろう。
僕は声を抑えつつ、かつ窓際に座る二人には届く程度の大きさで、知っている情報を共有する。
「まさしくこれは未曽有の緊急事態だ。まず宮崎基地の八名が征伐に向かい生死不明。それを受けて、宮崎前線基地の偵察班は本部に連絡を入れたんだ。帰って来た返答は、後の処理は本部で行うので連絡を待て、との事だったそうだ。その後しばらくして、本部より宮崎前線放棄の命が下され、宮崎前線基地の全兵士が退避。そして“健磐龍命”が宮崎上陸、その攻撃により基地を中心として一里の範囲が焦土と化し、現在は移動を停止している、と言うのが僕が知る限りの戦闘録だ。そこで、これ以上の侵攻を許さないために、大分、熊本を中心とした防衛線を張る事となったのが今回の招集の経緯だね」
話し終えると、いつの間にかツジとオミカワもうんうんと頷きながら話を聞いていた。
「トノサキ、今の話で疑問があるんだけどさ。宮崎基地の異能の学徒が敗走したことを偵察兵が本部に連絡したんだろ?そしてあとは処理するって報告が上がったのに、次に本部から来たのは退避命令。本部は何をしていたんだよ」
ツジは先ほどの喧嘩など嘘の様にあっけらかんとした様子で質問をしてくる。
「そこに関しては何も分からない。ただ、“異能特別任務班”に処理を依頼したんじゃないかという噂はあるね」
「ああ、時々噂になる秘密部隊か。強力な異能を持ち合わせた集団だろう?」
ツジはそう言うと、腕を組んで背もたれに向かって大げさに肩を預ける。
「しかし本当にあるものなのかねぇ。もしあるんなら、そんな奴等でさえその害物の征伐に失敗してるって事じゃないか。そう思えば、そんなものは無いと思った方が精神衛生上良いだろう」
ツジの言う事は尤もだと僕も思う。
しかし、太平洋沖に害物の巣が出現し、昼夜問わず各国に害物が襲い来る状況下では、絶対の安心など無いのだ。何が起ころうと不思議では無い。
「今更何をどう討論しようと、僕達が九州に行き“健磐龍命”の征伐をするという事実に変わりは無いんだ。到着したら忙しくなるぞ。僕はここらでひと眠りさせてもらうよ。」
僕はそう言い、学帽を目一杯下げて光を遮断した。
ツジは何か言っているが、もう聞く気は無い。
偵察任務に就き、様々な情報を耳にしている自分だからこそ分かる事実もある。
今回の九州征伐任務。日ノ国二度目の本土決戦。
これは、史上稀にみる大損害を日ノ国に与える事となるだろう、と。
各前線基地で害物の襲来を撃退する枠組みを作っているのにも関わらず、その各前線基地から選り抜きの異能の学徒の招集。防衛線が薄くなるのは誰の目から見ても明らかなのにも関わらず、招集を余儀なくされたこの事実。
僕は、恐怖に自分の膝が笑うのを必死にこらえ、ただ列車の揺れに身を任せる。
クニエダ、早く帰って来てくれ。
誰にも知られぬように膝小僧をぎゅっと握り、只現実から逃げるが如く、自身に睡魔が襲うのを待った。