序章・バラク公爵家5
私は最初からベリー嬢こそが正義で、レイラ嬢を悪者だと決めつけて正常な思考が出来なくなっていたようだ。
私はレイラ嬢とは学年が違うので、殆ど顔を合わせたことが無い。交流する機会が無かったゆえに、面と向かって彼女に対して失礼な態度をとっていない事がまだ救いだった。
項垂れた私を見て父は言う。
「レイラ嬢も人間だ、一つや二つ仄暗い事もしておろう。だがな、少なくとも卒業パーティーで糾弾されるような事は決してない。仮に罪を犯したなら、その様な所で糾弾するのではなく、裁判にかけるべきなんだ」
その言葉を受けて私は頷いた。
「レイラ嬢に謝らなければ…」言いかけて、はっとする。サモエドの方を見れば、妹は不機嫌そうな顔で私を見ていた。
「レイラ様もお可哀想に。薄っぺらな謝罪で済まされるのですから」
私はぐっと唇を噛みしめる、「きちんと、行動で示そう!」と宣言した。
「それがよろしいと思います、お兄様」
「!」
久しぶりに聞いた『お兄様』だ。サモエドは…私を半分許してくれたらしい。
そしてその日、私達家族は久々に団欒を楽しみ、多くの事を語り合った。
その語らいで知ったが、父は悲しさを紛らわせる為に王宮に入り浸っていた、と私は思っていたが、実はそうでは無かった。
単に女主人(我らの母)が居なくなった事で分担していた仕事が全て父に圧し掛かり、忙しくなっただけだそうだ。そもそも全く屋敷に戻っていなかったわけでは無く、週に2度は夜遅くに戻り、朝早くに出て行く生活をしているそうだ。サモエドはきちんとそれを知っていた。
「お前は何故私が屋敷に戻っていないと勘違いしていた?」
「それは…私が屋敷に居る時に父上をお見かけしませんでしたし、父上が屋敷に戻らないのは母上を失って悲しいからだと使用人達が言っていたのを耳にしましたので、てっきり……」
「確かに私は日の高いうちに帰れることは滅多にない。だがそれでもサモエドはそのような勘違いはしなかった」
私は久しぶりに父を前にしてどことなくぎこちない空気しか出せないが、サモエドは微笑みながら父の隣に座っている。
それだけで妹と父は円満な親子関係が築けていることがわかった。
何だか疎外感だ。
そもそも私は学園の寮に入っているため、毎日は屋敷に居ない。だから気付かなくても仕方ないだろう。…しかし長期休暇中なら屋敷に居る…。
「父上は屋敷に戻った時、私には声をかけて下さいませんでしたが、サモエドにだけは声をかけていたのですか?……父上はサモエドのことを可愛がっているから」
我ながら子供じみた事を言ったが、父上はすぐに否定した。
「違う。眠っているのに起こすのは可哀想だろう。サモエドは自分で気がついたのだ。私の書斎のランプの油が日に日に少なくなっているから、不思議に思ったと」
それからはサモエドは夜更かしをしながら、父と少ない時間ではあったが交流を持っていたらしい。
しかし、ランプの油で推理、ね。
「サモエドは探偵にでもなるつもりなのかい?」
「いいえ。探偵になれるほどの才能は残念ながら私にはございませんし、なるつもりもありません」
特に謙遜した様子も無く、サモエドは言いきる。
「私は…お母様がお亡くなりになった時、お父様がとても悲しんでいらっしゃったから、どうにかして元気づけたいと思い、お父様の周辺を観察していただけなのです」
ああ、私は父の事など気にしたこともなかった。サモエドが父に溺愛されているのは、単純にサモエドが母に似ているからという理由だけではなく、そういうところなのだろうな…。
サモエドは続ける。
「お兄様の事も私は観察していたのですよ。何故、あのような鬼畜ドクズになってしまったのか。そしてどうすれば良いのか、どうやって付き合っていけば良いのか…」
「鬼畜ドクズ…」
「学園の事も探り、そしてわかったのです。学園で性格がおかしくなったのが、お兄様だけではなかったと」
「ああ、殿下かな?」
サモエドは首を振った。
「殿下、ラスコー公爵家の御嫡男、ターリア侯爵家の御子息、マニージャ辺境伯の御嫡男、オノクル騎士団長の御子息、他国から留学なさっておいでのテュクル王子です」
「ほぼ生徒会のメンバーではないか!」
「お兄様は解毒しましたので、今はこの6名が重症です。軽症なのはベリー様のクラスメート20名です。男女ともに、です」
「女性もなのか…」
私はベリー嬢とはクラスが違うのでクラスメートの事は知らないが、生徒会のメンバーに関しては、確かに彼らは皆、ベリー嬢に想いを寄せている。だが性格が変わっていたとは知らなかった。
私は学園に入る前からお茶会などで彼らと会ったことがあったが、その当時の私は幼いサモエドの傍を離れないようにしていたので、あいさつ程度しか交わしたことが無かった。彼らの人となりは学園で交流してからしか知らないのだ。
「性格が変わった、というのは語弊がありましたか。ベリー様に一目惚れし、それまで大切に思っていた方を憎むようになっていった…という共通の変わりようでした」
私と同じ変化だ。
そして何だかゾッとする。
「全員に起こった事なのか……異常事態だな」
父が頷く。
「異常事態だ。王城でも話題になる程だからな。しかしベリー嬢の実家であるクレトラ男爵家にキナ臭い噂は特にない。男爵家に出入りしている業者にも取り調べたが、何も不審な物は出てこなかった。実害は無いし、学生時代のお遊びだろうと結論付けたが…王太子の阿呆事件勃発だ」
男爵令嬢を正妃にする法律を作れと言うアレだ。
「そして未遂だがターリア侯爵家の子息が婚約者を娼館に売り飛ばそうとしていたのも問題になった」
「ノーマンが!?」
ノーマン・ターリア。赤毛の長髪で、容姿は至って普通だと思う。彼はベリー嬢に愛を囁きながら、他の女性にも気軽にナンパする仕方のない奴だが、女性の扱いが丁寧なためにとても人気があるのだ。
それが、あろうことか婚約者を娼館に売り飛ばそうと計画するとは!
「とてもではないが信じられません!それは確かなのですか?!」
「王の執り成しで、表向きには『誤解だった、単なるおふざけによる遊びだった』となっている。……婚約破棄は勿論の事、ターリア侯爵家が相手側に多額の慰謝料を支払ったそうだ」
ノーマンの婚約者はサモエドと同じ歳の伯爵家の御令嬢だったはずだ。
14歳の御令嬢を娼館に売ろうとするなんて、鬼畜の所業だ。しかし、私は彼を責める事はできない。
私も目が覚めるのがもう少し遅ければ、サモエドに今以上に取り返しのつかない事をしていたかもしれないのだから。
「とにかく、彼らがあまりにもおかしな行動を取りだしたので、我らも秘密裏に学園に探りを入れ始めた。それが1月前のことだった。……サモエドは既に2年前から調査をしていたようだが」
「お兄様の様子がおかしくなったのは2年前からでしたから」
入学してすぐに既に私の違和感をサモエドは感じ取っていたらしい。それだけサモエドは私の事をよく見てくれていたのかと嬉しく思うが……。同時にそれだけ大事に思っていた兄に虐待され、どれだけ妹の心身を傷つけてしまったか手に取るように分かり、胸が締め付けられる。
もうこれ以上サモエドを傷つけることはしたくない。
「毒、というのはどうやって分かったのです?その対策は?トマトを食べれば正気に戻るのですか?」
「それに関してはサモエドだ」
私と父の目がサモエドに向く。
「お兄様の周辺を調べていて気がついたのです。お二人だけ……ベリー様の虜になっていてもおかしくないポジションにいて、なっていない方々がいらっしゃいました。私は不思議に思いその方々を重点的に調べることにしました」
私は考えを巡らせる。ベリー嬢に夢中になっていない者なんて、いただろうか?
「生徒会の書記をなさっている…アトマ教エレッツ猊下ご子息、ハイド様。生徒会の庶務をなさっている…クルック伯爵ご子息、ヘリム様です。お二人の共通は、敬虔なアトマ信徒ですわ」
「…禁欲的ということか?」
「アトマ教は『人らしく生きよ』を教理としていて、恋愛は自由です」
アトマ教は『平民の病院』と言われており、信者であろうがなかろうが、平等に怪我や病気の治療を無料で施しているので、平民にとても人気がある。
領民のご機嫌を取りたければ、取り敢えずアトマ教に寄付をすれば何とかなると、昔父に聞いたことがあった。
「アトマ教は薬学の知識に富んでいるそうで。お聞きしたのですが、数年前からは飢えで苦しむ人々を減らしたいと、≪人に効くなら植物にも効くだろう≫という暴論により、人間用の薬由来の農薬の開発に尽力されているそうですよ」
私は今朝食べたトマトを思い出す。
「まさかあのトマトは」
「ええ、教会の農薬で育てたお野菜です。敬虔な信徒たちはありがたがって毎日食べているそうです。解毒効果の有無は不明でしたが、可能性があったので一応試させていただきました。それに今朝だけではないのですよ、お兄様。ジャックに頼んで1年前からお兄様のお食事に教会産のお野菜を取りいれておりましたの。それが今になって漸く効き始めたということですわ」
食事は執事のジャックに任せていたから、特に気にしたこともなかった。
「結局どのような毒なのだろうか?自衛の為にも聞いておきたいのだが」
「私はその筋に明るくないので正確には解りませんが、彼女自身の香りか何かではないかと推測します」
「香り?」
サモエドはこくりと頷いた。
「彼女が何を企んでこのような事をなさっているのかは不明ですが、何をするにしろ仲間は多い方が良いに決まっています。しかし学園内でベリー様の完全なる虜になっているのは、ほぼ生徒会メンバーだけですわ。クラスメート達が軽症だと考えると、彼女の持つ毒は広範囲での運用に適していません」
「単に毒の数によるものではないか?毒など簡単に手に入るものではないだろう?有力な貴族が集まる生徒会のメンバーに優先的に飲ませただけかもしれない。軽症だというクラスメートは……例えば、クラスメートには毒を希釈して飲ませたとか…どうだろう?」
「そうですね。可能性はあります。しかしお兄様はベリー様に一目惚れをしたと執事から聞き及んでおります。先程もベリー様のことは好みではないと仰っていましたよね?何故好みでもない女性に一目惚れしたのです?」
「それが運命というものでは…」
「性格が変わった者達の多くが、お兄様と同じように『好みでもない』ベリー様に一目惚れしたと言っていたら?」
私は途端に嫌な気分になった。
「出会ってすぐに毒を飲ませるなんて不可能ですわ。つまり…彼女の傍に行くと毒に侵されるのではないかと推測しました」
「あの感覚、毒香のせいだったのか……?」
あくまで、香りが原因だというのは推測ですよ、とサモエドが付け足した。
私は、ベリー嬢と話しをするたびに高揚感を覚えたのだ。なる程、毒に徐々に蝕まれていっていたわけか…
しかもベリー嬢を生徒会の彼らに紹介したのは私だ。
……何という事だ、サモエドの仮説が正しければ生徒会のメンバーや王太子が阿呆になったのは私のせいではないか!
「私は本当の阿呆だ…」
「お兄様、懺悔よりも行動です」
「何をすれば良いのだ…」
「シェパード。お前にはサモエドの忠実な駒になって貰いたい。これは、王命である」
父は、王家の封蝋が捺された封筒を私に差し出したのだった。
序章終わりです。
第一章の前に間幕を一つ挟む予定です。