序章・バラク公爵家3
この国…アーズ王国の王太子はアクリ・アーズ様と仰る方で、私とは1つ歳が下で16歳。現在王立学園の2年生で生徒会長をなさっている。
3年生の私は副会長を任されており、光栄にも殿下のサポートをさせていただいている。
殿下を近くで見ているから分かるが、殿下はとても聡明な方で、私達に対し傲慢な態度で接しられた事はない。見目は小豆色の髪を持つ国王陛下や銀髪の王妃殿下には似ておらず、隔世遺伝なのか王太后に似て金髪碧眼で麗しく、素晴らしい御方である。
サモエドは殿下の婚約者候補なのだが、私は望みは薄いだろうと思っている。何故なら殿下は学園でとある御令嬢を御寵愛されているからだ。
そう、私の想い人でもあるベリー・クレトラ男爵令嬢をだ。
この国では王妃になるのは国内の令嬢であれば伯爵以上、国外の令嬢であれば侯爵以上の令嬢でなければならない。即ち男爵令嬢では王妃になる事は出来ない。精々愛妾が関の山だ。
が、あの傾倒っぷりからいっておそらく殿下は我が侭を通すのではないかと、私は思っている。
寵愛の一例として、生徒会長の椅子に腰かけた殿下が、その膝の上に令嬢を乗せて仕事をするのが当たり前になっている、といえば分りやすいだろうか。
そこまでする魅力がベリー嬢にはある。惚れた弱みかもしれないが私は胸を張って言える。
「確かに殿下の行動は度が過ぎている部分もございます。しかし父上、阿呆呼ばわりするのは不敬に当たりましょう」
「阿呆だ、あいつは。阿呆なんだよ、シェパード」
阿呆だ、阿呆だと何度も父は繰り返す。
畏れ多くて私が眉間に皺を寄せていると、父は「勿論王族の前でその様なことは言わん」と付け足す。
「アレは阿呆だ。王と重鎮たちの会議中に乱入してきて、男爵令嬢を正妃にする法律をつくれと言う程度にはな」
もう我が侭言ってたのか…
「そ、それで……どうなったのですか」
「王太子は王がつまみ出した。……我ら臣下に頭を下げると言う不名誉なことを王にさせてしまった」
つまり、殿下の我が侭は受け入れられなかったのか。
少しホっとしてしまう。
「それと、お前はレイラ・セレーナ侯爵令嬢を知っているか?彼女の話題も王や重鎮たちの間では上がってきているのだが」
「はい。学園で彼女を知らぬ者はいないでしょう。成績は優秀ですが…その…」
「悪女、と言いたいのか?」
「…はい」
レイラ・セレーナ嬢は殿下と同じ歳の令嬢だ。サモエドと同様に殿下の婚約者候補である。
彼女はとても嫉妬深く、殿下に寵愛を受けているベリー嬢に嫌がらせをしている常習犯。殿下は怒り心頭で、レイラ嬢に審判を下してやるというのが最近の口癖になっていた。
「誰だ、彼女を悪女と言う愚か者は」
「愚か…ですか?事実彼女は悪女と言われる程の行いをしていますが」
「何をした?具体的に言ってみろ」
父に言われ私は顎に手を置く。私とレイラ嬢は学年が違うので接点はほぼなく、話したこともない。なのでベリー嬢が言っていたことや学園内での噂を思い出す。
「例えば、取り巻きの御令嬢に命令してベリー嬢に水を浴びせた、とか。ベリー嬢を仲間外れにした、とか。辛辣な言葉を投げかけたとか」
ちらりと父を見れば、納得のいかないような表情をしている。何処か焦った私はレイラ嬢の悪事の噂を少々誇大することにする。
「ベリー嬢を何度も木の杖で叩いたとか。その時の傷がまだベリー嬢の腕には残っているそうです」
誇大の部分は『傷が残っている』という部分だ。所詮非力な御令嬢なのだ、叩かれたとしても傷が出来るほどのものではない。
しかし女性同士であろうとも女性を殴るのは最低の行いだ。
悪意を持って杖で殴られるなんてどれだけ怖かっただろう。
あんなにも可憐で繊細なベリー嬢の心がどれだけ傷ついたのか察して私の心は痛みだす。本当に何と酷い事をする女なのだ。最低にも程がある。地獄に落ちれば良い。
「ほう、それは危険なことをする」
「ええ。そういう方なのです。ですから殿下も私も…」
「次期当主様に比べたら、その御令嬢はまだ可愛らしいではないですか」
今まで黙っていたサモエドが何気にそんな事を言う。
「次期当主?」
サモエドの声を父が拾い上げる。
「次期当主とは何の事だサモエド」
「そちらにいらっしゃる方です」
サモエドは私を指さした。そして続けて言う。
「私に、兄などと呼ぶのは許さぬ。『次期当主』と呼べと仰られたので、そのように致しております」
妹の言葉に私は顔をさっと青くする。父に今度こそ叱責されるかと思ったが、やはり父は「そうか」と納得したような言葉を口にした。
「それで、シェパードに比べたら、と言うのは?」
「言ってもよろしいのですか?公爵家次期当主様が怒ると怖いのですが」
「良い。公爵家当主の私がお前を守ると誓おう」
「次期当主様からしたら辛辣な言葉なんて私へのあいさつ代わりですし…冬になると私に氷水を浴びせ、そのまま雪降る外に追い出されましたっけ。私の醜悪な顔を見たくないから外に出てくるなと、真っ暗で埃っぽい地下の物置部屋に入れられることもしばしばありました。次期当主様の機嫌がとても悪い時は、剣の練習用の木刀で何度も容赦なく叩かれましたよね」
あ、でも。とサモエドは父を安心させるように笑いかけた。
「お顔は殴られておりませんわ。私もいつも服で隠れるところだけにして下さいませと言っていましたし。次期当主様も『顔に傷がついた女は女好きのド変態すら貰ってくれんからなあ』と言って、気を付けていらっしゃるご様子でしたし」
「サミー…そこまでされていたとは聞かなかった…」
父の悲し気な声に、サモエドは驚いたような顔をした。そして、慌てて「お父様に心配かけさせたくなかったのです。それに大丈夫ですよお父様」と努めて明るく振舞う。
「次期当主様は普段は学園の寮にいらっしゃるので、毎日の横暴ではございません。次期当主様のストレスの溜まり具合にもよりますが、精々週に1、2度のものです。もっとも長期休暇は地獄でしたが…。しかし私には使用人たちが味方になってくれておりました。殴られれば、その都度ジャックが手当をしてくれますから、小さな傷ならばもう痛みませんよ」
父が執事に目を向けると、執事はこくりと頷いた。
「大きな傷は残念ですが…しかしまだお嬢様はお若いので、その傷も時間が経てば綺麗に治ると思います」
私の心臓がバクバクと大きな音を立てる。
サモエドの言った事は本当だし、それ以上に酷い苛めをした覚えもある。
まさにレイラ嬢の行いが可愛く思えてくる程度のものをだ。
正直、当時はサモエドを苛めるのは楽しくて楽しくて仕方がなかったのだ。今ではさっぱり理解できないが。
「本当に申し訳ない!申し訳ない!!」
「謝らないで下さい次期当主様。貴方は毒に侵されていた、それで良いではないですか」
「せめてその『次期当主』と言うのは止めて欲しいんだ。どうすれば許してくれる?」
私の情けない様子に、サモエドは顔をこれでもかというくらいに顰めた。
「私はそうやって謝れば許されると思っている貴方を軽蔑します」
「うっ?!しかし、謝ることしか出来ないではないか。私は本当に反省している!」
逆切れしてしまった私に、サモエドは「ふん!」と顔を背けた。
「言葉などいりません。行動で示して下さい。次期当主様がレイラ嬢を憎む気持ちを完全に消した時、私も貴方を半分許し、『次期当主』などと皮肉るのを止めましょう!」