序章・バラク公爵家2
「すまないサミー!すまない!!」
「別に…死んだあと化けて出るつもりはありませんから、謝らなくて結構ですよ次期当主様。さっさと縁を切りたいですもの」
座っていたソファから身を投げ出し、その場で土下座した私にきょとんとするサモエド。もう既に心の中でこの世に別れを告げたらしい彼女は、昔の彼女に戻ったように表情をコロコロと変える。死ぬのだから私に対する恐怖も遠慮もなくなったのだろう。
「それで、どうやって私を殺すの?私ね、痛いのは嫌なの。でもー…次期当主様の趣味から言って、犬に生きたまま食わされそうね!」
ふふふと彼女は笑うと、手を自分の耳に持っていき、イヤリングを外した。
「そこまで貴方に付き合う気はないわ。勝手に死なせてもらいますね」
よく見るとそのイヤリングは小瓶のような形をしていた。毒でも入っているのだろうか!
まだ膝を床につけていた私は咄嗟にサモエドの足首をつかみ、引っ張った。
「止めるんだ!」
足を引かれたサモエドは派手に転び、手に持っていたイヤリングが床に転がった。そして彼女の絶叫が応接室に響く。
「嫌よ!普通に死なせてよおおお!」
恐らく扉の向こうで待機していたのだろう、絶叫を聞きつけた私の執事が慌てて応接室に入り、取り乱すサモエドを抱きかかえた。
「ジャック、助けて、私を普通に殺して」
執事の背にしがみ付きながら、サモエドは執事の名を口にして泣きはじめる。執事は「大丈夫ですよお嬢様」などとサモエドの扱いに慣れている様子で、私は一瞬混乱する。
しかしすぐに、そういえばこの執事は元々護衛兼執事として父上からサモエドに与えられたものだったが、見目も良く優秀だったので、私が学園に行くことになった時にサモエドから貸してもらったのだったか、と思い出す。
「シェパード様…畏れながらお嬢様を害すると仰るのでしたら、私は旦那様の命によりお嬢様をお守りすることを優先させていただきます」
「害するなど言っていない。サモエドが…勝手に私に怯えているだけだ」
「勝手に、でございますか」
責める様な言い方で執事が言う。
私は臆すことなく「そうだ!」と肯定した。
「私はサモエドに謝りたいのだ。私の今までの愚行を…」
ここで一旦言葉を止め、深く呼吸をする。そして覚悟を決めて言葉をつづける。
「……あれだけサモエドの事が憎くて仕方がなかったのに、今朝トマトを食べた瞬間、それがさっぱり無くなったのだ。荒唐無稽な事を言っている自覚はある、だが…本当に頭の中の霧が晴れたんだよ…そして今とても悔いているんだ」
何を言っているのか
そう言って嘲笑されるのを覚悟してのことだったのだが、予想に反してサモエドも執事も笑わない。
「どうやら、効き目があったようですね」
後ろから聞こえてきた声に、私は咄嗟に振り向く。窓の外に先程廊下を歩いている時に見かけた庭師が立っていた。
「お前は…?」
胡乱げに問うと、庭師はにこにこ笑って「トマトは美味しかったですか?」と話した。
「あのトマトは特別製のトマトで、解毒剤が染み込んでいたのです」
「解毒剤?」
私の戸惑うような声色に、庭師はいっそう笑みを濃くして頷いた。
「坊ちゃんはどうやら毒を盛られていたようですね」
「毒、だと?誰に…いつ…いや、何を言っている?」
「盛ったのは恐らくは貴方の想い人かと存じます。そういう薬のようなので」
私の横をメイドが通り過ぎていき、窓ガラスを開けて庭師と会話しやすいようにしてくれる。
「想い人…ベリー嬢のことをご存知で?お前…いや、貴方は一体…」
「私はしがない庭師です」
ぺこりと彼はお辞儀した。
庭師は身長が150くらいの小太りの男で、年齢は50ぐらいだろうか。麦わら帽子に黄色い花を挿しているのがやけに目につく。
「やはり毒に侵されていたか…」
突然響いた重低音の声に、私の背中が戦慄した。
「ち…父上…」
汗を吹き出しながら恐る恐る後ろを振り向くと、応接室の入り口に私達兄妹の父、バラク公爵が立っていた。
「おかえりなさいませ、お父様」
先程まで泣き叫んでいた妹が令嬢らしくカーテシーをして父に挨拶をする。
「うむ…辛い思いをさせたな…サモエド。…父を許しておくれ」
父は目を潤ませながらサモエドを抱き寄せた。
父は政略結婚であったが愛妻家として知られており、その妻…つまり私達の母によく似たサモエドをとても可愛がっていたのだ。
…が、今はどうかはわからない。母が亡くなってからは私達兄妹と父とが家族らしい交流をもった記憶はほぼない。
『妻に似た娘を見ると、亡き妻を思い出してしまい悲しみがぶり返すのだろう。だから家に寄り付かなくなったのだ』とメイド長が呟いていたので、サモエドを意識している事に違いはないだろうが。
とにかく、母に似たサモエドを泣かせてしまっているのを現行で見られてしまった。どれだけの叱責があるか想像がつかない。
恐ろしくて震えながら父と妹の再会シーンを見ていると、父と目が合い息を呑んだ。
「父上、申し訳ありません。サモエドを傷つけたのは私の不徳の致すところです」
「サモエドの件はお前の本心ではなく、毒に侵されていたからであろう?」
父の目は怒りに満ちているが、その口からでる声色や言葉は叱責ではなく労わりのようなものだった。
そのアンバランスな父の様子に、何やら試されているような気持になって落ち着かない。
しかし、父も庭師の言う『毒』とやらを知っている様子のようで、改めて首をひねった。
「すみません、先程から毒とは何の事でしょうか。私は健康被害にあっていませんし…。強いて言えばサモエドに負の感情を持ったぐらいで…。私は…そもそもその…ベリー・クレトラ男爵令嬢から毒を盛られた覚えはありません。彼女はその様なことをする女性ではありません」
ベリー嬢とは学園で出会った私の想い人の名だ。私の想い人が犯人だと庭師が言ったが、とんと心当たりがない。
腕の中にいるサモエドの頭を一度撫でてから、父は立ち上がり、私と目を合わせる。
そしてたっぷりと間を開けてから話し始めた。
「…………最近王城でも問題になっていることがあるのだ」
父は眉間に何本も皺をよせ言葉をつづける。
「王太子が阿呆になった」
「は」
「まさにお前の様にな。シェパード」