彼女の正体
「……」
俺が電話をかけている間、彼女の視線は携帯電話に固定されたままだった。
真剣でいて、不安そうなまなざし、コール中手を合わせて祈るようにしていた。
数回のコールの後、母さんが出た。
「あ、母さん、どうそっちは」
「どうしたのよ、急に。なんかあったの?」
「ううん、昨日は遅かったから電話しなかったけど、どうかなって」
「すっごく楽しんでるわよ。もう久々の新婚気分!」
「あんまり父さんをひっぱり廻すなよ」
「ふふ、父さんと思いきり楽しんでるわ。あんたのおかげよ」
「まぁ、気をつけて楽しんでおいでよ」
「もちろん楽しんでるわよ。お父さんはハッスルしすぎてぐったりしてるけどぉー」
「……母さん、息子相手に下ネタはやめてくれよ」
「あはは、じゃーねー」
俺が電話を切ると、彼女は見るからに安堵した様子だった。
「日付が違うから、大丈夫なの?」
「日付?」
彼女は俺の疑問の声に軽く深呼吸すると話し始めた。
「う、うん、その……最近、通り魔殺人事件はなかった?」
「ああ、あれか、あったよ。5月頃に5人も死んだ事件、被害者に小学生の女の子がいて、今でもかなり話題になってるよ」
「そう……こっちではそうなっちゃったんだ」
彼女は酷く落ち込んだ様子を見せた。
一体なんなんだろう。不思議に思ってると、彼女が不意に顔を上げた。
「はぁ……これは、確定ね」
彼女がそう言うと、ソファーにがっくりと崩れるように背中を預けた。
いや、その姿勢まずいって、スカートの中、見えそうだよ。無警戒というか無防備というか。
目覚めかけたスケベ心を抑え込んで、今聞くべきことを聞く。
「確定?」
「うん、私が陥ってる状況が確定しちゃったってこと」
「どういうこと?」
「ね……これ、見てくれる?」
彼女はそう言うと上着のポケットからカードホルダーを出して1枚のカードを差し出してきた。
「これ、私の運転免許証」
「免許証?」
「うん、わかりやすいところだと、住所を見てくれる?」
「……えっと、なんだこれ?」
「偽造なんかじゃないわよ」
そこにあったのは、彼女の写真のある免許証。
彼女の言うとおりに住所を見ると……住所がこの家、まさに俺の住んでいる家の住所だった。
「ちょっと待ってくれ」
俺は慌てて自分の運転免許証を取りに行って、彼女の免許証と並べる。
「これは……なんで一緒?」
その免許証の内容、番号から交付年月、免許種別までまったく一緒だった。
ただ違う点は、写真と名前だけ。
目の前の彼女とは少し髪型は違うけど、その写真は彼女で、名前は……。
「沢崎 弓美」
「そう、それが私の名前」
俺が呟いた声に答えた彼女に顔を向ける。
彼女は疲れたような笑みを浮かべていた。
「一体これは……?」
「あなたの名前、矢的でしょ?」
「なんで知ってるの?」
今までの彼女に俺の名前を名乗ってないし、うちの表札には沢崎と名字しか書いてない。
「両親の出会いが弓道だもの。男だったら矢的、女だったら弓美にしようと思ってたって小さいとき聞いたわ」
「ああ、俺も聞いたことある。矢的ってつけるんなら普通、大和だろって文句言ったら、母さんにぶん殴られたけど」
俺の冗談交じりの受け答えに、彼女はくすくすとひとしきり笑ってから沈黙、そして……。
「私は……たぶん、平行世界のあなたの別の可能性」
「平行世界?」
「私は、別の世界のあなたってこと」
彼女は確信を持って言い切った。