「この道を抜けると、いよいよカーフイです、閣下。」
山深い小道で、女はそう呟いた。彼女は深い緑色のマントを羽織り、腰には細い剣を帯びている。特に鎧や盾などを装備していないその姿を見れば、金のない傭兵にも見えなくもない。ただ、その整った顔立ちと白い肌、美しく伸びた藍色の髪は裕福な育ちにも感じられる。
「…そうか。思ったより近かったな…」
その女の横に立つ男がそう応える。男は金髪が肩まで伸びていて中性的な顔立ちをしている。だが、首から下は鋼のような筋肉でむしろがっちりした体格をしていた。ただ体は長いローブのようなもので覆われていて、見ることはできない。
2人は無言のまま道を進むとやがて深い森に光が差し込む崖のような場所に出た。
「これは…」
その崖の下に広がっていたのは、豊かな農村地帯だった。小麦色に輝くその正体は、日に照らされた広大なまさに小麦畑だった。未だ世界は飢餓に苦しむ国々が、食料を求めて戦争を繰り返している時代にこの風景は異質にさえ思えてしまう。
「彼らは、これを狙ったんですかね?」
「いや、そんな単純な話ではない。異種族が消えて500年。陛下やユリウス様が、たった36人しかいない我らの半数を世界中に放ったのだ。あの放蕩者のキートンさえ命令に従ったと聞く…。これは世界を巻き込む大きな闇のはじまりかもしれないというのが、ユリウス様の見立てだ」
男は女の問いにそう答えた。女はその男の無表情な横顔をしばらく眺めていたが、再び視線を広大な畑に戻した。2人が向かおうとしている「カーフイ」という国は、この世界でも広大な領地を有する国で、代々グルカという王族が支配している。比較的豊かな土地であるが、深い山々に囲まれたその地理条件が功をそうしここ何百年も戦争に巻き込まれていなかった。そのためほとんど兵力を持っておらず国の治安を維持する官兵と、グルカ王に忠誠を誓った「山の戦士」と呼ばれる部族が国を守っている状態だった。
平和が脅かされるということを、露ほども知らない国民と王族たちに悲劇が訪れたのは一月ほど前だった。突然、グルカ王に忠誠を誓ったはずの「山の戦士」と呼ばれる部族が王宮を襲い、王都を占拠したのだ。
彼らは、グルカ王族を枝を関係なく皆殺しにしたという。
「閣下。だとすると、山の戦士たちがただ欲に目を眩んで王都を襲ったわけではない…ということですか?」
「それはそうだろう。だいたい、我が国は他の国の争いごとには口を挟むことはまずない。それを貫いてきた陛下やユリウス様が、今回我らに下した命は原因の究明と鎮圧だ。」
「原因の究明…」
「だから面倒なのだよ。鎮圧なら、一瞬で終わる。だが、原因の究明までとなると情報収集を伴う。地味に聞いて回るしかない。」
女は不思議そうに男を見返す。そんなチンケな問題解決に、我が国がこの男を差し向ける訳がない…というのが彼女の率直な思いだった。だとすれば、彼が言ったようにこれは大きな問題が闇に潜んでいるということの証かもしれない…。
「では、夕食の支度をします。あ、閣下はこれに着替えてくださいね。」
女はそう言って、大きな袋を男に渡すと森に入っていった。