8.ボカディーリョ売り、一応フィナーレを迎える
4人の耳に飛び込んできたのは、どこかで聞いたことのある曲だった。
サンバのリズムとトランペット。
日本人なら大体きいたことがあるであろう、深夜ラジオのオールナイトニッポンのテーマ曲、ハーブ・アルパート&ザ・ティファナ・ブラスのビタースウィート・サンバである。
「...やったぜ...」芦田は歯を噛みしめ、心の中で拳を握る。
芦田はスマートフォンのタイマーをセットしていたのだった。アランのジャケットのポケットからは、最大音量がアプリで改造された曲が爆音で響いていた。
アランは明らかに動揺している。まだどこから曲が聞こえてくるのかわからないようだ。
ミラは素早く両足を抜く。
アランが我に返る。ミラを押さえようと片手をミラの首に伸ばす。
ミラは両足でアランの片腕と首を挟む。
三角締めだ。
「ぐっ...」アランの動きが止まり、うめき声が漏れる。
ミラは渾身の力で、絞める。
「わああああ!」ミラは大きな声をあげた。絞める!
アランはもう片方の手をホルスターに伸ばそうとするが、届かない。
「ミラ!」マルコが立ち上がり、アランの片方の腕を脇固めに捕らえる。
ミラは歯を食いしばり、なお強く両足を絞める。
もがくアランの動きがやがて、ゆっくりと、止まった。
ビタースウィート・サンバが鳴り響く中、アランの体の力は完全に抜け落ちた。マルコがホルスターから銃を抜き、ミラは足を外す。
(やったな。ミラ...)芦田はゆっくり立ち上がる。ふと木々の向こうから揺れる光が近づいてくる事に気が付いた。ライトを持った誰かが近づいてくる。公園には美術館が併設してある。警備員だろうか。ビタースウィート・サンバはまだ鳴りやまない。
「行こう」芦田は、ミラとマルコに声をかけた。スマートフォンを抜き取ると、音を消す。
マルコが抜き取った拳銃を空に向けた。一発の銃声。
それからすべて弾を抜き取ったマルコは地面にばら撒き、銃をその場に捨てた。
ミラとマルコ、芦田は急いで車へと向かった。
そのあとのことは芦田は、なにか他人事のような心持ちだった。
移動する車のなかでミラは、「けがは大丈夫?」と芦田に声を掛けた。芦田は「大丈夫」と答えた。20分ほど車を走らせた後、人通りが多い繁華街で車は止まった。
「ここでお別れ」ミラが芦田に言う。
芦田は黙って頷いて、車を降りた。
フワフワとした状態のまま、芦田は車が見えなくなるまで見送った。頭のなかではまだビタースウィート・サンバが鳴っているようだった。
翌日、芦田は西扇子島公園の駐車場にいた。ワーゲンバスをとりに来たのだ。
(ミラ。なにか狐にでも化かされたみたいだよ...)
芦田はワーゲンバスのエンジンを掛ける。走りだそうとしたとき、フロントガラスのワイパーに紙が挟まっていることに気が付いた。急いで降りて手に取る。
『この国で復讐は似合わないね』そう書かれてあった。
芦田は辺りを見回す。ミラもマルコも姿は見えなかった。
紙切れをポケットに入れると、ワーゲンバスに乗り、走らせる。
(今度あったら、昔の仇討ちの話でも聞かせてあげようか...)
芦田は笑いながらいつものパン屋に向かった。