ホムレン9話 2-1 アルケミストガーデン
目が覚めるとそこは……
「知らない天井だ」
正確には天井ではなく天蓋であったが、畑をやる土日以外はネット依存の傾向が強い主税としては、いわざる終えない台詞だ。
細い糸でレースに編まれた天蓋の向こうに、恐らく漆喰だろう滑らかに整えられた白い天井と白壁が透けて見える。
「天国では無い様だけど……」
主税は意識を失う前の事を思い出しながら、ゆっくり身体を起こし、ベッドかそろりと降りる。二日酔いや、畑仕事で無理をした翌日など、寝る前の記憶が身体に負担を掛けるものだった時は、朝起きると調子を計りながら動くのが癖になっている。歳も20後半に入ると、体の無理が聞かなくなるのは体感しているので、自然と身についた癖なのだ。もう、寝起きのぎっくり腰はやりたくない。
しかし、主税の心配に反して身体はすんなりと動く。寝起きの倦怠感すらない。それこそ「朝チュン」の窓を開け、小鳥さんに「おはよう」と笑顔で挨拶してしまいかねない位に、すっきりとした目覚めである。
まぁ、実際アパートのベランダに小鳥が居たら、芽だしさせている野菜の苗と、洗濯物を、食害や糞害から守るために追っ払うのが、主税の日常なのだが。
「健康って、いいなぁ」
理由や疑問などは全てすっ飛ばし、まるで神様にでも与えられたかのような、さわやかな目覚めに感慨深く呟く主税。まるで体ごと入れ替わってしまったかのような感覚だ。
「そう言えば、人の体が健康になっていく時、徐々に体質が変化していくから、その過程は体感しにくいって聞いたことがあるな。で、ある日突然、以前と比べて体が動くとか、朝すっきり目が覚めるとか気が付くんだっけか?」
畑を借りてもう半年。自分の身体にそうした変化があってもおかしくは無いだろうと、適当に理由付けした主税の考えは、瞬差の内に否定される。
頭の中で一気にフラッシュバックされる記憶の光景。物心ついてから小学、中学、高校、大学のゲームやネットに嵌ったインドアな生活とその日々の寝覚め。健康に気を使い始めた頃に見たTVやHP、そしてそこから得られた知識や理想の健康体型や、最近の風呂や玄関シャワーで見下ろした己の少しだけぷっくりとしたお腹。それらを比較、検討して「それは、ありえない」との結論が出されたのだ。それも一瞬で。
主税としては、現状に疑問は浮かんではいたが、そこまで深く考えたわけではない。ましてや、小学生の頃の日常生活、しかも寝起きなど明確に覚えてなど居ない。
しかし、今さっき主税の頭の中で起こったことは、まるでPCの画像データフォルダーを開いた時のように、その状況が一気に思い出されたのだ。それも五感を含めた体感付きの動画が同時展開で。
「どうなってるんだ?」
心の中に言い知れぬ不安が広がり、確かめるように自らの手のひらを眺める。
そこにあったのは、白くたおやかな手。白魚の様なとまでは言わないが、すらりとした指に、薄く血管の透けて見える清楚な手のひら。
鍬や鎌などを奮ってできた小さな肉刺も無く、草むしりで少し太くなり始めた指でも無い。
ためしに軽く握ってみるが、問題なく動く。見覚えの無い自分の手……。
そう言えば、声も少しだけ高いような気がする。女性ほどではないが、少年のような、そして少しもだみの混ざらない、耳心地のよい声音。
「鏡っ。どこかに鏡はないか!?」
主税が周囲を見渡そうした時。部屋の扉がノックされた。
「はっ、はい」
思わず反射的に声をあげる主税。
「どうやら、無事に気が付いたみたいだね」
音も立てずに静かに少しだけ開かれた扉の向こうから子供の声が聞こえる。
少女とも少年ともつかない声。それでも、何処か聞き覚えのある声なのは。今さっき自分が発したものをもう少し幼くしたら、きっとこんな感じになるからではないだろうか?
「入ってもいいかな?」
主税がそんな事を考えていると、扉の向こうの人物が伺いを立ててくる。
「あ、はいどうぞ」
主税の返答を受けて開かれた扉の先には二人の人物がいた。
一人は十歳になるかならないか位の子供。おかっぱに切り揃えられたさらりとした青い髪。整った顔立ちに青い明眸。その面差しは華奢な体と相俟って少年とも少女とも判断がつかない。襟元がレースのようにふわふわと仕立てられた前ボタン留めのシャツに、グレーのチェックのベスト、ベストと同色の七分丈のズボンを履いていてよく似合っていた。ズボンのすそ口から覗く白く細い足首が少しまぶしい。きっとこの子は美人になるだろうと思わせられる容貌だ。たとえそれが男であっても女であっても。
もう一人は子供の後ろにつき従うように控えてる、濃紺のメイド服を着た女性。年齢は分かり辛いが、恐らく二十歳は越えている。希望としては二十五歳未満であって欲しいところだが、何とも言えない佇まいをしていた。すこし切れ長の目には、薄灰色の瞳。姸を極めたかのような美貌は無表情で、銅色の髪をアップにまとめている。ビジネススーツを着てメガネを掛ければその姿はまさしく「美人秘書」そのものであろう。主税的にはスーツスカートにスリットが入っていればなおよしである。
服装からも、立ち位置からも、お互いの主従関係がはっきりと分かる二人。
「調子はどうかな? どこかおかしな所はない?」
子供は気楽に声を掛けて近づいてくる。青い瞳を宿す明眸には、言葉の内容とは裏腹に好奇の光が見て取れる。
「あぁ、えぇ特に痛い所とかは無いですし、大丈夫だと思います」
おかしな所はいっぱい有るが、とりあえず無難に応える。
主税が敬語なのは子供との距離感が分からないからだ。この子供が何者で、この建物がなんなのか、分からない事だらけでかなり緊張している。
「そうか、ならよかった。記憶の方は大丈夫かな? 自分が何者か分からなかったりしてないかな?」
「それは大丈夫です。むしろ前よりはっきりと思い出せるくらいです」
「(チッ)。……大丈夫そうで、何よりだね」
(今、舌打ちしなかったか!?)
「あ、えーっと。助けていただいたみたいで。有難うございます。俺は西野間主税と言います」
主税は、かすかに聞こえた舌打ちに動揺しながらも、気にしないようにして、話を進める。
「その事なんだけど、半分はその通りで、残り半分はご期待には沿えていないと思うよ。詳しい話は後ほどにして、こちらも自己紹介をしよう」
不穏当な言葉に一瞬眉がピクリ動く主税をそのままに、子供は言葉を続けた。
「僕はディビィート。古代錬金術師だ。そしてこっちは自動人形のクヒカ。よろしくね」
(錬金術師に、自動人形? なにをいってるんだ?)
青い髪の子供から発せられた思いもよらない言葉に呆然とする主税であった。