ホムレン 1-8
夕食を終えた主税は、食器を水の張った桶につけるとシャワーの準備を始める。
準備と言っても、キャンプなどで使う20リットル入るプラスチックでできたタンクの三分の一ほどまで水を入れ、残りは未だ竈の上で煮立っているお湯を入れて温度を調整して、適温になったら玄関の庇の上に脚立でタンクをのせれば完了だ。
タンクの口にはホームセンターで売っていた「どこでもシャワーくん」が付けられている。
初めて使ったときには、ある程度お湯が出た所でゴボゴボと吸気して思ったようにシャワーが浴びれなかったが、色々試行錯誤の結果(と言うほどでもないが)タンクの給水口の蓋を緩めておけば、そこから空気が入り安定してお湯が出るようになった。蓋の閉め加減で湯量も調節できるのでいい発見だったと言える。
本当を言えばお風呂に入りたいのだが、生憎この家の風呂はガス釜で、現状ではあきらめるしかない。まぁ、この不便さも田舎暮らしの楽しさの一つと開き直って何処か楽しんでいるいる主税。ポジティブなのか馬鹿なのか微妙な所だが、こっちに完全移住するときは真っ先に風呂を何とかしようと思っていた。ガスを使えば簡単なのだが、できれば薪でと欲を出して、ネットで色々調べている途中である。
幸いなことに家の南側には畑が広がっていて、敷地から大分入った所に玄関があるため、屋外と言っても人の眼を気にしないで済む(家の前の道など日が暮れてからは誰も通らないので、余計な心配かもしれないが)。
それでも主税が屋外シャワーを楽しんでいるときに一度だけ爺さんが尋ねて来た事があった。
「……おう、やっとるな」
シャワーを浴びている主税を見て固まって居た爺さんが、暫く間をおいて口にしたのがそれである。豪放磊落な爺さんですら、なんと声をかけていいのか分からなかったのだろう。
爺さんは主税の方をなるべく見ないように視線を逸らせながら、手にしたビニール袋をさっきまで食事に使っていたキャンプテーブルにのせる。袋の中身の野菜と生肉のブロックが透けて見える。恐らく差し入れなんだろう。
「あぁ、なんだ。寒くなったら、家に来い、風呂ぐらい使わせてやる」
車に向かいながら背中越しに手を振る爺さん。服の上からも分かる引き締まったその背中に、少し離れた所に停められた軽トラのヘッドライトが僅かに逆光となって、絵だけで見ればカッコいいのかもしない。
「ぅうわぁーーーーーっ!!」
爺さんの軽トラが去ったのを認知して、放心状態から絶叫を放つ全裸の主税さえ居なければの話だが。
ちなみに、爺さんが「次からは家の風呂で」と言わなかったのは、主税が笑顔で楽しそうにシャワーを浴びていたから遠慮したのだが、その事には気がついて居ない。
そんなこんながありながらも、未だに玄関シャワーを止めないのは、風呂場は蜘蛛の巣だらけな上に投光機をそこまで引っ張るのは面倒で、下がコンクリーで排水の事なども考えると、ここしか浴びれる所がないからに他ならないのだが、その説明を聞いてくれる人は、恐らく一生現われないだろう。
頭の中で「全裸シャワー目撃事件」と銘打たれた身もだえしてしまう記憶が脳裏を掠めるが、それを何とか封印して準備を終えたシャワーを浴びる主税であった。
その後シャワーと竈の火の後片付けを簡単に済まし、洗物と明日の朝食の準備を終わらすと、母屋に入って蚊帳の中に布団を敷く。
電気も無い田舎では、夜にこれといってすることは無い。今日の作業を振り返って、明日の段取りを考えるくらいだろう。
週に一回しかこれない以上手が回らないところは一杯ある。明日は日の出と供に作業を始めるつもりだ。できれば日のある内にアパートの方へ帰りたい。収穫や、その後のヘタ取りなどはこっちでやるが、袋詰め等の細かい出荷調整はアパートの方でやっている。とは言っても、ほとんどが土つきで棚に並べるので本業の農家さんに比べれば楽なものではあるのだが。それでもあまり帰るのが遅くなると、寝る時間がどんどん無くなってしまう。
「明日も早いし、寝ますかね」
時刻は未だ八時半。網戸からそよ吹く風に、遠くからかすかに聞こえる虫の音。今日はゆっくり眠れそうである。
*********
翌朝。
「かはっ……」
妙な息苦しさを覚えて主税は目を覚ました。
(呼吸が出来ない? いや、そうじゃない。空気の中に何か混ざっている?)
真冬に湯気に満たされたお風呂場の白い蒸気を一気に吸い込んで一瞬息が止まるような感じとでも言えばいいのか、周りの空気の中に目には見えないが吸ってはいけないガスが混ざっていて、生存本能から肺が呼吸するのを拒絶している感覚だ。
(一体、なにが?)
詰まる呼吸に混乱しながらも部屋の中を見渡す主税。目に見えた異常は無い。特に変な臭いもない。
しかし、このままここに居ては危険だと思い、ふらつきながらも母屋から出て行く。
(ここはいったい……)
そこで主税が目にしたのは、全く見知らぬ風景であった。
主税の借りている古い家は、少し山を登った高台にある。しかし今主税が目にしているのは、家の敷地意外は高い木々に囲まれた森であった。母屋も納屋も畑もあるが、敷地の境界を示す変色した古い竹柵より向うは深い森となっているのだ。
それでも、何か無いかと首をめぐらすと、主税からして右手、母屋から畑へと続く小道の先に建物が見える。
木々に囲まれているので、洋風の屋根しか見えないが、ぱっと見で3階建てくらいの洋館だ。
(隣にあんな建物無かったはずだが……。でも、人が居るなら)
息が続かず酸素不足に朦朧とし始めた意識の中でいぶかしみながらも、この窮地から逃れて助けを求めるために主税はふらつく脚を洋館へと向けた。
洋館は木組みの骨組みに赤レンガの壁で作られていて窓の数から三階建てに屋根裏部屋があるのがわかる。一つの階に隣り合い並ぶ窓は十以上はあるのは確かだろうが一瞥しただけでは数え切れない。
所々にレリーフは施されているが、全体的にはしっかりとした実用的な建物で、北欧風というより旧日本軍の研究所跡とか、明治に立てられた旧校舎と言われた方がしっくり来る外観だ。
(木骨レンガ造りとかいう建築方だったかな?)
そんな埒も無いことを頭によぎらせながら、洋館を見上げる主税の目に人影が映る。場所は二階に備え付けられたテラス。此方を指差し驚いたような表情をしている、少年とも少女ともつかない青色の髪をした華奢な身体をした人物と、その横に付き従うかのような銅色をした髪の女性。
「メイド服って……なに?」
遠目の上に酸素不足に白く染まり始めた視界にかろうじて捕らえた女性の服装に目を留めてそう呟くと、そのまま主税の意識は薄れていった………。