ホムレン 1-7
主税が田舎の借家に着いたのは5時半過ぎくらいだった。
爺さん家で1時間以上話しこんでいたようだ。
6月半ばのこの時期、日はまだ高くもう暫くは明かりの心配は無いだろう。
それでも主税は足早に夕飯の準備を始めた。まずは庭先にある手洗い場の横に椅子が一体になっている折りたたみ式のテーブルを広げる、キャンプなどでおなじみのあれだ。その上に納屋から持ってきたカセットコンロを二つ置き、次に同じく納屋から持ってきた大鍋に水を入れると、手洗い場の横に自作した竈にかける。
竈と言っても主税が適当に組んだものだ。奥行き、幅ともに50cmほど高さ60センチ、で三面をレンガで囲っただけの代物。竈と言うよりは天板と煙突の無い暖炉のような外見だ。天板の部分はバーベキュー等で使う網か鉄板を目的によって置き換えて使っている。
初めは只三方をレンガで囲って天板に鉄板を置いて見たのだが、煙が全部正面に来てしまい、とても使えたものじゃなかった、そこで背面に煙抜きの穴をあけたり、鉄板に当たって正面から出てくる煙には上からレンガを二列渡して対策してみたりと、日々進化を続ける竈である。
主税は竈の上に置いた鍋に蓋をすると、畑の隅に積み上げておいた枯れ草を持ってきて竈の中に放り込む。
先週刈って乾燥させておいた雑草だ。竈の中には四隅にレンガを積んでその上にバーベキュー用の網が設置されている。その網の上に枯れ草や薪を置くようにしていた。直接地面の上で燃やすと燃えカスの処理が面倒になったり、空気がまわらず、真ん中辺りで不完全燃焼を起こし煙だけが出てしまうから、ここも考えて後から改良した処であった。
何処かの漫画で読んだ「夏下冬上」を頭の中で反復しながら、網の下から枯れ草に火をつける。
空梅雨とまでは行かないまでも、ここ二、三日続いた好天にさらされて乾燥した枯れ草が勢いよく燃え始める。
「こっちはこれで良しと、野菜を取ってくるかな」
独り言ちてから主税は畑で野菜をいくつか収穫してくる。今夜と明日の朝飯分なのでそんなに多くは無い、せいぜい両手で持てる位な量である。それでも、採りながら、明日収穫できる野菜から、アパートに持ち帰って売る分の目算を立てておくのは忘れない。
今日の収穫はトマト、十六ササゲ(東海地方の伝統野菜通常のササゲよりも長く、中に豆が16個できるので十六と呼ばれる)、茄子、コマツナ、キャベツ、ピーマン、枝豆、キュウリ、カブ等々。
トマトとキュウリは生で食べようとボールに入れて水で冷やしておく。十六ササゲはヘタを取って水で洗った後に四分の一ぐらいに切って、半分を水を張った鍋の中へ、他の野菜も枝豆以外は洗ったあとに適当に切って鍋の中に。その鍋に軒下に吊るして保存してるタマネギと、買い置きのベーコンを薄めに切って放り込むと、醤油を入れてカセットコンロにセットする(タマネギを入れたので、砂糖は無し、出汁はベーコンに期待)。火は中火から弱火の間くらいでゆっくり煮付ける。
残った十六ササゲと少し残した小松菜は片手鍋で水茹で。これはゆで汁ごと夕食なのにお昼に食べたくなる名前のインスタント味噌汁に使う。枝豆は塩茹で。どちらも蓋をして、竈の上の大鍋の横に置いておく。
そこまで済んだら、お米を磨いで、土鍋に入れ残ったカセットコンロの上にセット。
初めご飯を竈で炊いてみようとしたのだが、火加減が調節できず断念して今はカセットコンロで炊くようにしている。それでも、上手く炊けるようになるまでに色々苦労した。馴れない畑仕事の後で炊いたご飯に芯が残てた上、お米の表面がベタベタだった時は、かなりへこんだ主税である。
主税が夕食を作り始めて40分ほど、辺りにはいい匂いが立ち込め始め、食事が完成した。
流石にこの時間になると、日が傾き始めるので、納屋の入り口にある小型の発電機(納屋に元々置いてあったもので、試しに動かしてみたらエンジンがかかったので、そのまま使わして貰っている)に、昼間の草刈で残った混合燃料を流し込みエンジンを起動させて、ドラムリールで柱に付けた投光器に繋げる。
「さてと、ご飯にするかな」
一人暮らしの男やもめの悲しい性か、どうしても独り言が多くなる。アパートでは、テレビに声を出して突っ込むのはもちろんの事、携帯が鳴っても「はいはい今出ますよ」とついつい言ってしまう。最近では、持っている農業機械(草刈機や手押しの耕運機)にすら話しかけている。もっとも、一人で作業をする主税にとって、それらは只の機械と言うよりかは頼りになるパートナーのような存在であるから、仕方ないと言えば仕方ないのである。
余談だが、今日のソーサー君(草刈機)は、爺さんの家に行こうと慌てて作業をする主税が乱暴に扱ったからなのか、少しご機嫌斜めだった(と主税は思っている)。
あらかたの準備を終えて、主税はテーブルに着いた。目の前にはできた手の料理。
今日の献立は、季節の野菜(もともと路地なので旬の野菜しか採れないが)とベーコンの煮付け、ご飯、味噌汁、枝豆、キュウリとトマト。キュウリ、トマトを各一品に数えれば「一汁三菜」はクリアしている……はずだ。
ご飯はふっくらと炊けており、これまでの苦労を考えても、これから毎回この味を楽しめるなら、十分な見返りである。品種はもちろんアイチノカオリ。爺さんに格安で分けてもらっている。貰いに行くたびに、玄米から精米してもらっている為か、炊き上がったときの香りが凄く良い。コシヒカリ程の甘みは感じられないが、そこがまた他のおかずの邪魔にならず、特に減塩を心がけて作る主税の料理とは相性が良い。コシヒカリのようにご飯だけで美味しいお米では味わえない、ご飯を食べるためのオカズ、オカズト供に口の中でほおばるご飯としては申し分ない。
次に味噌汁だが、インスタントとは思えない風味がある。茹でる時に出たササゲと独特の旨みが一口飲んだときに鼻から抜けて芳醇さをかもし出す。少し前5月のころは、絹さやエンドウで同じように作っていたが、あの上品な芳香と比べると、力強く少し野味のある香りだ。失敗したのは、コマツナを入れた事だろうか、味噌汁に僅かだが苦味を感じる。まぁ、これはこれで自然の味と思えば苦にもならない。
キュウリ、トマト、枝豆は後の楽しみとして、メインの煮付けに手を伸ばす主税。
「おぉっ、美味い」
適当に放り込んで醤油で薄味に煮込んだだけの料理。それでも主税の作った野菜達は、鍋の仲でしっかりとその味を出し合い補い合っていた。
元々料理を作るときは、一番時間が掛かるご飯を炊く所から始めるのだが、主税はあえて一番最後に炊き始めた。当然、ご飯が炊き上がる前に煮付けの鍋が煮立ち始める。そこで主税は一旦鍋の火を止めてゆっくり冷ますようにしている。そうすることによって、鍋の中の野菜は汁が染込みより柔らかくなりながら、味を増して行くのだ。そしてご飯が炊き上がる時間を見越して再び火にかけ、暖めなおすようにしている。所謂二日目のカレーの原理である。
ナスは下の上でとろりと蕩けながら、その身に含んだ旨みたっぷりのおつゆを口の中に広げる。キャベツは葉脈の根元まで柔らかく、噛めば少しの歯ごたえの後にベーコンの旨みと合わさったキャベツ独特の美味しさを含んだ汁が出てくる。タマネギが鍋全体に甘みを行き渡らせ、ピーマン、ベーコンの油と調和してさわやかな苦味を与えてくれる。
美味しい。やっぱり取れたての野菜はいいなぁ。自分の味付けのいい加減さを毎回補ってくれる野菜たちに主税は何時も喜ばされる。なにより、昼間汗をかいて動いた後につゆっ気たっぷりのオカズはご飯が進む。気がつけば、料理に掛かった時間の半分ほどの時間でお腹が一杯になってしまっていた。残ったご飯はおにぎりにして、明日の朝食に、鍋のおかずもその時一緒に食べようと、蓋をして母屋の台所に持っていく。
自分で作った夕食に舌鼓を打つ主税の脇では、未だに竈に載せられたままの大鍋がグツラグツラと煮立っている。竈の中には枯れ草よりも火持ちの良い薪や柴がくべられ、夕食を食べる時間を稼いでいた。