0001
この話は、話数入れ替え練習用の話です。
お読みいただいても構いませんが、練習が終わり次第削除を考えております。
農業王国愛知。
別に生産量が突出しているわけではない。むしろ他県に比べて少ない方かもしれない。
それでも、近隣の富山や石川、和歌山、静岡、長野の農業関係者は口をそろえて言う、
「愛知の牙城が崩せない」
と。
なぜか? 答えは簡単だ。経済的に落ちぶれてきたとは言え、愛知県には日本三大都市とまで言われた名古屋があり、そして他の三大都市たる大阪や東京に比べ、農地が多い。
名古屋を少し離れれば、ベットタウンと供に田園風景が広がる。それは大阪市や東京都では見られない、名古屋のそして、愛知県独自の風景だからだ。
豊富な水源と安定した気候に肥沃な土壌それらに下支えされ発展した農業は、同県内の消費をほぼ賄えるほどの生産量を誇っている。
その大都市近隣に発展した農業が輸送コストを低く抑え、また、大都市ゆえの大量消費に支えられる。人口と農業生産量、この二つの両輪によって互いに発展と安定を作り出せる自己完結型地域、それが愛知県である。
無論、農業とて一つの産業であり、経済的な逆風はどの産業について回るもの。景気が良くなれば、普段食べなれたものより、多少値が張ってもより珍しいもの、より美味しいものへと手が伸びるのは消費者の性であろうし、不景気になれば、もっと安いものとなる。
前者の例で言えばお米だろう。ブランド米の品種として有名な「こしひかり」しかしこれは愛知では美味しく作ることができない。一日を通しての寒暖の差が甘みを増すのに必要な品種であるために、濃尾地方の安定した気候が仇となってしまうのだ。
愛知の平野部で「こしひかり」と作ったとしても、独自品種である「あいちのかおり」の方が気候に合っているせいか美味しくできてしまうのだ。
そして、後者はいかに輸送コストが抑えられると言っても、安い賃金で大量に作られる海外の加工食品向け農産物には価格面で張り合えようはずも無く、出来合い物や、調理の簡単な冷凍やレトルトの原料となると愛知の作物が使われる割合はかなり少なくなってしまう。
愛知の農家と言ってもそうした時代の流れの前では安穏とはしていられないのが現状であろう。
しかし、それでも愛知の農業は他県から見てうらやましい所が多いのである。
作業面では、その安定した気候と豊富な水源が、経済面では大都市近郊と言う売りやすさが魅力的なのである。
西野間 主税は、そう考えていた。ただの当てずっぽうではなく、遠方の県でインターンシップを使った1~2週間の農業研修の合間に聞いた農家さんの話や、移住者や就農者を求めて開かれるセミナーや懇談会に参加した結果、おぼろげに感じたことを纏め結果である。
現在28歳になる主税が野菜を作ってみようと思ったきっかけは、健康食品ブームからだったと思う。
三十路も近くなると無理も利かず体の何処かしらに不安を感じようになる。例えば高血圧や糖尿など。そうなれば食べるものにも気を使い始める。結婚していればそうした所にも奥様なる者が気を使ってくれると同僚から話し程度には聞いたことはあるのだが、生憎と主税は独身であった。
もっとも、その同僚の話も「最近、女房が野菜を食べろってうるさくてさぁ~」と、愚痴とも惚気とも取れるものであったが、不機嫌そうに言ってる同僚の口元が僅かに緩んでいるあたり恐らく惚気なのであろう。その証拠に「そうかー」とか「お前も大変だなー」とか、相槌を打つと
「でもなぁ、あいつに言わせると『最近お腹が出てきてみっともない! 内脂肪は万病の元ですから、体に良い物をしっかり食べて、健康に気を使ってくださいね。子供もまだ小さいんだし、これからなんですから今貴方が病気にでもなって、倒れられたら大変なんですから』って、なんだかんだ言っても、俺や家族の事を考えて言ってくれてるんだからなぁー。あいつや、家族の事を考えると、そうそう好き嫌いもいってられないからな」
等と返しながら、蓋をあけた愛妻弁当からミニトマトを一つつまみ口に入れるのである。
はいはい、ゴチソウサマと心の中で呟きながらも、その隣でやたらと塩分と油の多い大盛りコンビニ弁当で腹を満たす主税であった。
下腹の出てくる度合いに合わせる様に日常で健康に関する話が出るようような歳になって初めて、自分の食べてるものに興味を持ち始めたのである。
しかし、これまでネトゲかネット小説をよむくらいしか趣味を持たないインドア派の主税は、当然野菜など育てたことも無かった。
そこでたまたま目に付いたのが、近くの農協主催の農業講習であった。講習自体は週一回の土曜日の午前中のみで、それを2年間行うものである。一年目はまったくの初心者向けの野菜の種類や特徴を教えてもらい、手作業で季節に応じた野菜を育ててみるもので、すでに家庭菜園などをやっている定年適齢期の受講者から不満は出たものの、小学校以来種まきなどしたことも無い主税にとっては、大変勉強になった。
講師の先生も、農業高校で教鞭をとっているだけあって、教え方が上手く、五十を過ぎたおば様が練習畑で虫を見つけた時などは、それはどの様な虫で、どんな被害をもたらすのか、その対処法はなど等面白おかしく教えてくれ、初夏のころは虫を見つけるたびに講師の先生に見せては、これは何と目を輝かせて聞いてみたりもしたのである。
講師がよかったのか、それとももともとその素質があったのか、はたまた中年以上の受講生が多い中で三十路手前が一人だけだからちやほやされたからなのかは定かではないが、主税にとって農業講習は思いのほか楽しく、野菜作りに嵌るのにさほど時間は掛からなかった。
こうして何気なく通い始めた農業講習であったが、思いのほか充実してくるにつれ、自分の畑が欲しくなってくるのは人としての性であろう。
初めは小さな家庭菜園程度でもと畑を探し始めた主税だったが、年の瀬も近づき、農閑期に入った農業講習も座学が多くなった頃、知り合いの知り合いのまた知り合いと言う伝で、今住んでいるアパートから車で1時間くらいの山手で空き家付きの農地を貸してくれるところを紹介してもらえたのである。貸してとしては、畑つきの空き家と言いたいところであったのだろうが、主税にとっては畑の方がメインになってしまうのは仕方ない所であった。
住むには多少手入れは必要だったが、家賃は五千円、畑は一反(約10アール=約千平方メートル)。主税にとっては破格な値段である。その分、交通の便は悪く、最寄り駅&コンビニ&ホームセンター&スーパーまで車で三十分(みんな駅前か、駅近郊に集中している)という不便さではあった。
家主夫婦は遠方に一軒家を構えており、妻の母親が無くなった後、買い手も着かず、管理もできないと困っていたとの事だった。
思わぬ好条件に一も二も無く賃貸契約を交わした主税であった。
家賃の安さも相俟って、あえて引越ししなくても維持できるとの判断で引っ越すことはせず、冬の間に簡単な家の家の修理と、各種手続きを済ませたのである。
こうして、主税の都会と田舎の二重生活が始まった。