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雅に痺れたね(A Brocade Scene Program)  作者: 枕木悠
第一章 ミス・ヘヴンリィ・ゴット
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第一章③

 黒板係に丈旗を任命して、一年三組の担任は自己紹介をした。名前は沢良宜。専門は英語。出身校は関西の有名私大。イギリスへの短い留学経験があり、大英博物館へは三度行き、古い時代の石版を前に涙を落としたことを自慢げに語った。前世はきっと、あの石版の前にいたんだわ、という微妙なことを言って、クラスに微妙な空気を作った。それに気づくこともなく、沢良宜は黒板が美しくあらねばならない非合理的な理由を語り、一年三組を語学だけは優秀なクラスにすると宣言した。そして入学式の時間になった。

 式の間、丈旗は終始、ミヤビの背中を見ていた。席が彼女の後ろだった。何度その髪に触れようと思ったか、分からない。何度後ろから抱きしめてやろうかと思ったか、分からない。入学式の祝辞など、何も記憶に残らなかった。入学式の一時間足らずの時間でミヤビへの愛はいよいよ深まった。同時に焦りも感じていた。彼女の美しさに、可愛いらしさ、愛らしさについて、男として正常ならば気づかない訳がない。丈旗と同じような気持ちになっている男が、他にいないはずがない。だから丈旗は焦っていた。すでに彼女に恋人がいるとしたら、どうしたらその恋人を彼女の近くから遠ざけることが出来るだろう。とにかく入学式の間、丈旗は彼女の背中を見つめながら、彼女を手に入れることばかりを考えていた。

 入学式が終わった。一年三組の教室に戻る。右隣のミヤビと会話をしようと思った途端に、担任の沢良宜が教室に入ってくる。そのまま生徒の自己紹介、という流れになった。

 出席番号一番、ミヤビの右隣の席の安賀多タモツという男子から始まった。安賀多という男子は声が大きかった。威勢がいい、という感じ。背も高い。学生服がよく似合う。昭和後期の漫画家みたいな黒縁眼鏡を掛けている。髪型もベレー帽を被ったようなマッシュルームヘアで、なかなかに個性的だった。オーバなジェスチャをして、つまらない冗談を言った。失笑が聞こえる。安賀多は恥ずかしがる様子もなく、「よろしくおねがいしますっ」と威勢良く頭を下げ、トップバッタとしての役割を果たした。

 次は出席番号二番、斑鳩イオという女子だった。丈旗の見立てではこのクラスでミヤビに続いて容姿端麗なのは彼女だ。可愛らしさ、という点では斑鳩の方が勝っているだろう。中央の女子の制服は灰色のスカートに、紺色のブレザ、胸元に紅色のネクタイというシンプルなものだったが、彼女にはとてもよく似合っている。斑鳩の黒髪は長く、毛先は内に向かって絶妙にカールしている。手入れがきちんとなされている、という感じだった。薄く化粧もしているみたいだった。彼女は自分のことを「僕」と言った。斑鳩は別に突飛なことも、つまらない冗談も言うことなく、自己紹介を終わらせた。腰を下ろそうとして、ふと言い忘れたことを思い出したという風に、姿勢を正して言った。「あ、女子の制服を着ていますけど、僕は男です」

 その発言にクラス中から様々な声が上がったが、前の席の安賀多が一番驚いていた。顔が歪み、眼鏡が斜めにズレていた。「……だ、騙したなぁ!」

 安賀多と斑鳩はずっと仲良く会話をしていた。安賀多はその間中、斑鳩のことを可愛い女子だと思っていたのだろう。あわよくば、ということも考えていたのかもしれない。

「騙したって、なんなのさ、」斑鳩は不機嫌そうに口を尖らせ言った。その仕草は女子のもので、男子には見えない。声も僅かだが低い気がするが、女子としての違和感はない。「そっちが勝手に勘違いしたんだろう?」

 担任の沢良宜はもちろん斑鳩のことを承知していたのだろう、表情を変えることなく言う。「はい、次」

 自己紹介が進み、ミヤビの番が来る。一番前の席だから彼女は後ろの方を見て笑顔を作った。「御崎ミヤビです、出身校は箱田、えっと、キネマを見ることが趣味です、中学では美術部に入っていました、だから、ここでも美術部に入る予定です、えっと、」そこでミヤビは丈旗の方を見て、恥ずかしそうに笑って、自分の下唇を嘗めた。「終わり」

 ミヤビは座った。ミヤビの後ろの女子が自己紹介を始める。丈旗の耳には彼女の自己紹介など耳に入らない。ミヤビが自分の下唇を嘗めたシーンに丈旗の心臓はうるさくなっていた。丈旗の番が回ってくる。何も考えていなかった。

「……どうも、黒板係の丈旗ケンです」

 自己紹介の時間が終わると、未来に向けてのガイダンスが始まった。正午を回る前に終了し、そのまま放課になった。丈旗はミヤビに話しかけようと右を向いた。すると、鞄を肩に掛けたミヤビが立って、こっちを見ていた。「丈旗、すぐ帰るの?」

 丈旗は首を横に振って答える。少し戸惑っていた。彼女の方から話しかける未来は想像していなかった。「……どうしようか、迷ってた」

「一緒に美術室に行かない?」ミヤビは前髪を触りながら言う。「あ、興味ない?」

「そんな、ありますよ、」丈旗は立ち上がって笑顔で言った。「もちろん、あります」

「そっか、」ミヤビは一度視線を逸らして言う。「よかった」

「その前にお昼は?」

「ああ、そっか、」ミヤビはお腹を触って、具合を確かめて言う。「食堂とか、やってるのかな?」

「じゃあ、確かめに行こう、」丈旗ははしゃいでいた。「やってなかったら、確か南門の先にロウソンがあったから、そこで」

「あ、ご飯、」ミヤビは上目で丈旗を見ながら言う。その表情の破壊力を彼女はきっと知らないと思うけど、丈旗のいろんなものが一瞬で破壊されてしまった。「奢るけど」

「どうして?」丈旗はミヤビが奢ってくれる理由が検討も付かない。考える気もない。とにかく浮かれている。それは自覚していることだけれど、どうしようもない、というくらい浮かれている。「そんな、奢ってもらうなんて、むしろ奢るのは、俺の方っていうか、奢らせてくださいよ」

「いや、ハンカチ汚したから、悪いなって思って」

「気にしないで、ハンカチのことなんて気にする必要のないことですよ」

「そう? なら、いいけどさ」

「はい」

「じゃあ、行こうか」

「はい」

「変な奴」ミヤビは小さく笑って言った。

「はい、」丈旗は頷き言う。「俺、変な奴なんですよ」



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