第四章⑦
ブロック・ガーデンのステージに咲く紫色の向日葵の前を、ミヤビはキス・シーンに選んだ。安賀多と斑鳩のキス・シーンとして選択したのだ。それに際して、少し脚本に修正が加えられた。安賀多が画家を目指している、ということを伝えるシーンと、錦景第二ビルを舞台にした追いかけっこを追加で撮った。二人の求愛に耐えかねて、斑鳩が二人の前から逃げる、というシーンだった。このシーンは錦景第二ビルで働く人たちのおかげで、面白いものが出来上がった。ゲーマーズの店長とラーメン屋の店長とエステサロンで働くお姉さんたちが本当にいい仕事をしてくれた。その追いかけっこで安賀多は斑鳩を捕まえる。そしてこの向日葵の前に連れて来て言う。安賀多が向日葵を描いた、という設定である。「この向日葵はなんだと思う?」
「太陽?」
「これは絶対に太陽じゃない」
「僕、芸術のことよく分からない」
「この向日葵は君さ」
「え?」斑鳩はキュンとする表情をする。「僕?」
「そうさ、この向日葵は君さ、君は僕の小さな宇宙を照らし出す、大きな太陽なんだ」
「え、太陽なの?」
「違う、向日葵だった」
と、こんな感じで話が進み、最後にキス。それがミヤビが追加修正した脚本だった。
「うーん、多分、これ以上、衝撃的なものって錦景市にないと思うから、」ミヤビは理由を丈旗に言った。「まあ、探せばあるかもしれない、でも、ここが相応しいよね、それに、先輩の描いた絵も映像として残しておく価値があると思うから」
ステージ上の安賀多はタキシード姿で、斑鳩は白いワンピース姿で、さながらウェディングのように見える。それを丈旗が指摘すると、安賀多は切れた。「言っていいことと悪いことってあるでしょうがっ!?」
キスに向けて安賀多はどうやら、ナーバスになっているようだった。丈旗はキヤノンのカメラを回して、そんな安賀多を撮り続けた。最高に興味深い被写体だと思ったからだ。
「ちょ、ちょっとぉ、何撮ってんのぉ!」
騒ぐ安賀多に対して、斑鳩は役に入りきっているのか、まるで女の子の表情で紫色の向日葵を眺めていた。白いワンピースを着た斑鳩はどう見たって女の子にしか見えなかった。ミヤビの絵の解説を聞きながら、「んー?」と首を傾げるその様子は紛れもなく女子のもので、安賀多だってそう思っているはずだ。安賀多が小さく言うのが聞こえた。「本当の女の子だったらな」
「性別なんて小さなことじゃないか」丈旗は安賀多に言った。
「お前は器がデカいな、本当に信じられないくらいのイケメンだよ」安賀多は嫌みに言う。
「器がデカい訳じゃないよ、ただ、どうやら、鈍感みたいで」
「そうなの?」
「それが原因で叩かれた」
「え、御崎さんに?」
「違う女子に」
「ああ、お前くらいのイケメンになると、そういうこともあるんだな、俺からすればその境遇は、いわゆるうらやまけしからんっていうんだよぉ、いいなぁ、俺も女の子に取り合いされてみたいぜ」
安賀多は丈旗に笑いかける。
「なんか、勘違いしてないか? それから俺は女の子に取り合いにされたことなんて、一度もない」
ミス・ヘヴンリィ・ゴッド・フェスティバルの総合プロデューサの桜吹雪屋藍染テラスの協力の元、撮影は順調に進んだ。テラスが提案した照明の演出のおかげでクライマックスに相応しいシーンが撮れた。安賀多と斑鳩はテラスのことを美術部の部長で生徒会長だと思っているから、彼女の言う無茶な注文も素直に聞いていた。テラスは相変わらずニシキと瓜二つだった。ただ彼女の笑顔の方が明度が高いような気がする。
さて、残るは安賀多と斑鳩のキス・シーンだけとなった。
朝から撮影を初めて、すでに正午に時間は迫っていた。そろそろ午後五時から始まるフェスティバルの準備のために人が集まってくる。だからキス・シーンはちゃっちゃと終わらせなきゃいけない。
「さあ、ちゃっちゃと終わらせるよ、」今日から撮影に加わったくせに、まるでキネマ監督のように言う。ミヤビはそんなテラスを見て苦笑い。「ちゃっちゃとねっ!」
ステージ上の斑鳩は頷いた。
安賀多もぎこちなく頷く。
丈旗はカメラを回す。
「君の唇を僕にくれないだろうか?」安賀多の声が立方体の空間に響く。「その芸術のような唇を、放っておいたら壊れてしまいそうなか弱い唇を、みずみずしく揺らぐ唇を、僕にくれないだろうか?」
「……でも僕は、」斑鳩は安賀多から僅かに身を引き、下を向いたまま言う。「男の子だから」
「まだそんなこと言っているのか、君は」
「でも、大事なことだよ? 僕は嬉しい、こんな僕のことを好きでいてくれて、嫌いにならないでくれて嬉しいでも、僕は男の子だから、この真実って大事なことだと思うから、だから、駄目だよ」
「僕は君を愛している、この紫色の太陽、じゃなくて向日葵のように衝撃的な君の美しさを愛している、美しさとは君だ、男の子の君が、君じゃないか、俺は君を愛しているんだ、男の子の君を愛しているんだよ、そう、ただ僕は君のことを愛してる、僕のこの気持は、分からないか?」
「……タモツ、」斑鳩は顔を上げて、安賀多を見つめる。「タモツ」
「イオ」
二人は目を閉じる。
二人の顔が近づく。
丈旗はズームする。
ミヤビも別の角度からカメラを回している。
二人の唇が近づく。
接近。
触れる。
いや。
安賀多の唇が離れた。
丈旗がカメラ越しに見えているシーンから、安賀多の姿が消えた。
咄嗟に、カメラを目元から離す。
安賀多はステージを飛び降り、ブロック・ガーデンの出入り口に向かって走った。
こういう事態を予測していなかったと言ったら嘘になる。
しかしミヤビも丈旗も、安賀多のことを信じていたんだ。
だからこれは予期せぬ事態だ。
「あ、安賀多!?」ミヤビが安賀多の背中に向かって叫ぶ。「ちょ、ちょっと、待ちなさいよっ!」
「御崎さん、すみません!」安賀多は出入り口の扉を背にして叫ぶ。「やっぱり僕にはどうしても出来ません! だって、だって、まだ、女の子とキスだってしたことないんですからっ!」
「はあ!?」ミヤビは声を荒げる。「意味分かんないこと言ってんじゃないわよ、戻って来なさいよ、タモツ!」
「すいません!」安賀多は扉から出て行った。
「ああ、もぉ!」ミヤビはヒステリックに怒鳴る。「もぉ、少しだったのにぃ!」
「どうする?」丈旗はミヤビに近づき言う。「追うか?」
「そうね、でも、錦景地下街をどうやって探す? ダンジョンとして名高い錦景地下街よ、一度迷い込んだらもう戻れないという地下街よ、っつうか、現実で追いかけっこするはめになるとは、ああ、もう、時間がないっていうのにな」
「二人とも、心配しないで、」テラスがスマホを耳に当てながら言う。「ウチの新入部員が安賀多君を捕まえるわ、……あ、もしもし、天野、今もちろん暇よね?」
テラスの言うウチの新入部員というのは、彼女が会長を務める、環境保全団体『エコロジー』の新入部員ということだろう。ニシキが躍起になって潰そうとしている団体であるがしかし、エコロジーは女生徒たちに支持されていた。テラスに頼めば女生徒たちの依頼をなんでも聞いてくれる、という便利屋的な働きをしてくれるからだった。メンバである男子四人はテラスに心酔していて、何でも言うことを聞く、という話だ。その心理、丈旗はよく理解出来る。丈旗もミヤビの言うことはなんでも聞きたい、叶えたいと思うから。
ふと、丈旗が斑鳩の方を見れば、両手で顔を覆って、泣いていた。
驚いた。
ミヤビが先に斑鳩の様子に気付き、歩み寄り、慰めるように頭を撫でた。
どうして斑鳩が泣いているのか、女の子の気持ちがさっぱり分からない丈旗には、いや、斑鳩は男子だけど、とにかく、もう、まるでミステリィ、という感じだった。
「じゃあ、天野、よろしく頼むわよ、」テラスは電話を切り、そして丈旗に聞く。「え、なんで泣いているの?」




