第二章①
丈旗ケンと御崎ミヤビの人間関係は良好だった。丈旗はミヤビのことをミヤビと呼び、ミヤビは丈旗のことをケンと呼ぶ。そんな関係になっていた。
二人とも美術部に入った。藍染ニシキは二人にお互いのことを書かせた。向かい合って座り、お互いの輪郭を絵にした。丈旗はミヤビの顔を忠実に描いた。何かを誇張、あるいは何かを付け足したり消したりする必要はミヤビの顔にはない。忠実に描いて、絵になる顔だ。ミヤビは丈旗の技巧に驚いていたが、彼女がピカソを真似て、もう丈旗かどうか以前に男か女かも分からない、爆発するような絵の方がずっと価値があるって丈旗は思った。事実、ニシキはミヤビの絵を目を細くして眺め、形が見えるような濃い息を吐いた。
「これ、もらってもいいかな?」ニシキはミヤビに聞く。「この絵、好きだな、こんなこと言っても笑わないでね、こんな風に私が誰かの絵を欲しがるなんて、凄く珍しいんだからね」
「はい、もちろん」ミヤビは笑顔を首を縦に振る。ニシキに誉められて、凄く嬉しそうだった。
「先輩、それ、僕の絵ですよ、」丈旗もミヤビの絵が欲しかった。「だから、僕がもらわなきゃおかしいですよ」
ニシキは丈旗を睨んで、舌打ちした。丈旗はぞっとした。そんなことをする人だとは思わなかったからだ。優しい生徒会長だと思っていたんだけれど、でも、そういう一面もあるから生徒会長なのかもしれない、なんて訳の分からないことを思った。ニシキはすぐに優しい表情を丈旗に見せて拳をギュっと握った。「それじゃあ、じゃんけんしましょ?」
丈旗は負けた。
負けて、きっと正解だったと思う。
とにかく入学から一週間が経過し、丈旗とミヤビは一年三組というクラスで一番仲がいい二人になっていた。周囲もそう認識していたと思う。その証拠に、とある昼休み、ミヤビと丈旗はニシキと一緒に美術室でお昼を食べるのが日課になつつあったのだが、昼休みの開始を告げるチャイムが鳴ったのと同時に、丈旗は二人の男子に連行された。左右に立たれ、腕を捕まれ、三階の会議室の隣にある、職員室の真上、今日の曇り空がよく見える屋根のないスペースに丈旗は連れていかれた。
二人の男子というのは、安賀多タモツと斑鳩イオ。丈旗とミヤビの人間関係の次に、一年三組で仲のいい二人だった。
なぜ丈旗はこんなところに連れてこられたのか、意味が分からなかった。二人は無理に威圧感を出し、丈旗が逃げないようにフェンスが近いところに追いつめる。なぜか二人ともニヤニヤしていて、気持ちが悪かった。女装男子の斑鳩はまだ見れる顔をしているが、安賀多の顔は本当に気持ち悪かった。気持ち悪い顔を研究し尽くして出た成果、という究極の気持ち悪さだ。中学時代にクラスメイトだった男嫌いの森永スズメが見たら、きっとハイキックをその側頭部にお見舞いするほどの気持ち悪さだ。とにかく、二人がニヤニヤしていることは丈旗に謎だった。
これは難しい問題だ。けれどすぐに理由は分かった。
『丈旗ケン、』二人は仲良く、声を合わせて言った。『御崎ミヤビとは、どういう関係なんだっ!?』
要するに二人の男子は、学年一の美貌を保有するミヤビと仲がいい丈旗に嫉妬していたのだ。
「どういう関係だって?」丈旗はすかした表情を作り歯切れよく言った。「どういう関係か、本当に知りたいのか?」
『すかしてんじゃねぇ!』二人は仲良く、声を合わせて怒鳴った。
丈旗は入学してから一週間のミヤビとの出来事を安賀多と斑鳩に説明した。誤解があってはいけないから、出来るだけ細かく詳しく説明するように心掛けた。丈旗がこういうことを心掛けるようになったのは、ハルカとの複雑怪奇な人間関係を経験したからだった。誤解、というものは簡単に発生してしまう。そしてその誤解は簡単に消えない。とにかく、丈旗は興奮の色合い濃い二人を宥めて、青が多い空の下、地面に座らせた。
「くそぉ、」安賀多は黒縁の顔のサイズに対して大きめな眼鏡をわざとずらして悔しさを表現する。「うらやましいなぁ、うらやまけしからんなぁ、あの御崎さんとあんなことやそんなことまでしていたなんて」
「やっぱり御崎さん、イケメンが好きなのかな、」斑鳩は、いわゆる女の子座りで、長くて綺麗な黒髪を指で梳いている。「やっぱり学生服にしようかな、でも、ズボンは嫌いだしな」
「俺はイケメンじゃないよ、」丈旗は思っていることを言った。「斑鳩の方が、ずっと顔が整っているし、綺麗だ」
「イケメンに言われると説得力があるね、素直に嬉しいよ、」斑鳩は目を細めて言う。「安賀多に言われたって、何も思わなかったのにな、不思議、ちょっと、ドキドキしちゃった」
「それは、なんていうか、」男に興味のない丈旗は、斑鳩がそんなことを言うから、僅かに身を引いた。「言わない方がよかった」
「ああ、やっぱり、イケメンにはかなわねぇよなっ、」安賀多は吐き捨てるように言った。「でもな、不細工にも意地があるんですよ、中学の卒業式に決めたんですよ、中学の卒業式と言えば、俺が女子に振られること五十回目のアニバーサリィでしたよ、とにかく決めたんですよ、高校に入ったら、クラスで一番綺麗な女子と付き合うって、俺は初日からフル回転だった、運も回ってきた、後ろの席の女子はすげぇ美人だって思った、そしたら美人は美人だが、流行の女装男子だったんですよ」
「女装男子って言うなよっ、」斑鳩は安賀多の肩を強めに叩いた。「ただのファッションなんがらか、次、女装男子って言ったら、死刑だからねっ」
安賀多は斑鳩を無視して続ける。「しかし絶望ばかりじゃなかった、隣の席には正真正銘、女の子で、綺麗で可愛い人がいた、俺はね、決めたんだよ、仕切直しだ、俺は御崎さんと付き合ってやるって、決めたんだ」
「僕は最初から、御崎さんのことを見てたよ、こんな人とお付き合い出来たら幸せだろうって思った、思ったんだけど、丈旗君、最初から彼女の傍には君がいたんだ、イケメンで、偏差値が高くて、スポーツ万能、ピアノも弾けて、絵も描ける、君がいたんだよ」
「そう、お前がいたんだ、俺はイケメンが憎いっ、」安賀多は髪をかきむしった。髪をかきむしる奴を見たのは初めてだった。「イケメンが憎くて、憎くて、仕方がないんだよっ!」
「うん、」斑鳩はアルトな声で頷く。「イケメンが憎いっ!」
「お前が言うな」安賀多は斑鳩の頭を小突く。
「あうぅ」斑鳩は大げさに体を傾けた。
「ああ、なんだか、でも、」安賀多は胸に手を当て、爽快だ、という表情を浮かべている。「声に出すとスッキリするもんだな」
「うん、スッキリした、」斑鳩も胸に手を当て、僅かに膨らんでいるように見えるのは気のせいだろう、胸に手を当て、爽快だ、という表情を浮かべている。「イケメンへの憎しみが若干和らいだ気がするよ」
「お前が言うな」安賀多は斑鳩の頭を小突く。
「あうぅ」斑鳩は大げさに体を傾ける。
「それで、」二人の仲睦まじいやり取りを見ながら、丈旗は聞く。「結局、俺に何を伝えたかったわけ? ミヤビのことを二人に渡すつもりはないんだけれど」
「いや、御崎さんと別れろって、そんな酷いことを言うつもりはないんだ」
「別れろって、俺はミヤビと付き合ってはいないけれど」
「うへぇ!?」斑鳩は飛び上がって驚いた。「本当!?」
「マジか?」安賀多は口をだらんを開けている。「なんだ、てっきり、もう、あれだ、色々猥褻なことをする関係だと、邪推していたのだが、違うのか?」
「ああ、一刻も早く猥褻なことをする関係にはなりたいと思っているんだけれど、」これは丈旗の本心だ。「告白はしてない、まだ早いかなって思ってる、それでも春が終わるまでには、と思ってる、これはミヤビには言うなよ、いや、言っても構わないけれど、こういうことはきちんとしたいからな」
「そうか、そうだったんだな、」真面目な顔をして安賀多は頷き言った。「まあ、あれだ、頑張れよ」
「応援してくれるのか?」それは奇妙だと思った。安賀多もミヤビのことを好きなはずなのに。
「応援っていうか、なんつうか、そういう二人だと思うからな、付き合って、お似合いの二人だよ、悔しいけどな」
「ねぇ、も・し・も、」斑鳩は顔を丈旗に近づき悪い顔をして言う。「僕が御崎さんに告白して、御崎さんが頷いてくれたとするじゃん?」
「野暮なことはするなよ」安賀多は忠告する。そんな安賀多からどこか壮年の風格を感じた。それは安賀多が五十人の女性のことを好きになり、告白をして、五十回振られたからだろう。安賀多は経験豊富な男なのだ。
安賀多の言葉を無視して斑鳩は続けた。「丈旗君、怒らないでよね」
「怒らないが、でも俺は、俺の方が、ミヤビのことを思っている、お前よりもずっと思ってる、それは負けないし、俺はミヤビが、俺のことを好きでいてくれているって、信じている、そう思うから、だから別に、好きにしろ、俺はお前たちを咎めない」
安賀多は無言で、丈旗の顔を見ていた。
「うわぁ、」斑鳩は目を丸くして、口の前に手の平を広げた。「丈旗君、本当のイケメンだね、中身まで男らしい、僕が女の子だったら、きっと好きになっちゃうな、惚れちゃうなっ」
斑鳩にそんなことを言われて丈旗は気持ち悪いと思って笑うしかなかった。
「女装男子だけどな」安賀多が言う。
「死刑っ!」斑鳩が口を大きく開けて高い声でがなった。
「とにかく、俺はミヤビのことを近いうちに手に入れるつもりだ、」丈旗は立ち上がって、ズボンを叩いた。「これで話は終わりでいい?」
「あ、待って」斑鳩も立ち上がり、丈旗を呼び止めた。
「何?」
「ここに丈旗君を連れてきたのは、うさを晴らしたいっていうこともあったんだけど、」後ろに手をやり、上半身をこちらに傾けて言う。「それとは別に、ここにいる三人だけの秘密なんだけど、お願いがあってね、御崎さんと付き合っている丈旗君にお願いしようと思ってたんだ」
「だから付き合ってないって」
「付き合ってると思ってたんだよ、だから、お願いしようとしたの」
「ああ、そっか、それで、お願いって?」
「御崎さんを主役にキネマを撮りたい、」安賀多も立ち上がり腕を組み言う。安賀多は背が高い。丈旗は見上げる形になる。「俺たちは、新しく部活を作ろうと思ってるんだ、キネマ研究会、俺と斑鳩の二人で作ろうって決めたんだ、俺もイオもキネマが好きなんだ、それを生徒会長話したら、部の成立はキネマの出来次第って言われて、それで、まだ脚本も何も、決まっていないんだけど、先にキャストだろって話になって」
「そう、キャストから、物語を想像するのだよっ、」斑鳩が安賀多の前に立ち、両手を広げ、その場で回転して言う。「つまりハリウッドのやり方さっ!」
「回転するんじゃないよっ、」斑鳩の優雅な回転に、安賀多は眉を潜めた。「……とにかく、丈旗、」斑鳩を横にどけて言う。「御崎さんにお願いしてはくれんだろうか?」
「なんだそれ?」丈旗は安賀多を睨むように見て言った。
「駄目ぇ?」斑鳩が女の子みたいに横に体を傾ける。可愛い子ぶる。
「駄目なもんか、」丈旗は首を横に振り、口元だけ笑って言った。「俺も混ぜろ」




