第一章⑩
天神さん、というのは、錦景第二ビルの屋上にある、錦景山の山麓にある、錦景天神の分霊が祭られている社のことだと言う。スズメとマナミはエレベータに乗って地上三十四階の屋上に出た。扉が開くとすぐに目の前に大きな鳥居が聳えている。そこを潜ると、長く続く石畳がある。左右に灯籠の火が並び、それはすでに暗い空の下、ゆらゆらと揺れていた。その向こうには木々が茂る。他の世界とこの場所を分かつように、緑が囲んでいる。ビルの屋上とは思えない、荘厳な景色だった。
雰囲気は、少し不気味。
マナミがスズメの手をぎゅっと握る。彼女に手を触られることに慣れたせいもあるだろうけれど、気にならなかった。手を繋いだまま石畳を進む。
「凄いね、」マナミが言う。「こんな場所、知らなかった」
「私も」
石畳の先の三段の階段を登り、賽銭箱の前に立った。適当に小銭を投げて、頭上の高いところにある鈴をガラガラとならして手を叩いた。目を瞑った。メイドのこととか、エクセル・ガールズのこととか、国際的表計算ソフトのエクセルのこととか、いろんなことをお願いした。
目を開ける。
先ほどよりも、僅かに空が明るかった。月が雲から顔を出していた。
だから気付いたんだと思う。
「ひっ」スズメは小さく悲鳴を上げた。
「どうした?」マナミがスズメの顔を覗き込む。
「なんかいるっ、」スズメは社の方を指差し言った。「賽銭箱の裏に、誰かいるっ!」
賽銭箱の左に、ブーツの爪先が見える。
「あ、本当だ、」マナミは意外にも冷静にブーツの爪先を見つけた。「天神さんかな?」
「な、なによ、天神さんって、そ、そんなつまらない冗談!」
「ごめん、」マナミは口元をしゅんとさせてから、スズメを見てニヤニヤした。「あれ、スズメちゃん、もしかして、怖がってる?」
「は、はあ?」声はひっくり返っていた。スズメの心臓はうるさかった。確かにビビっていたのだ。でも、マナミにはビビってるなんて思われたくない。「怖がってなんか、ないし」
「うるさいなぁ」
賽銭箱の裏から声がした。「ああ、せっかくいい気持ちで眠っていたのにな」
スズメは声を上げることも出来なかった。凄く心臓の音がうるさくなった。反射的にマナミに抱きついていた。マナミは「きゃあ!」って悲鳴を上げた。
なんだ、マナミだって怖がっているじゃないか。
でもなんでそんなに嬉しそうなの?
「よいしょ」
賽銭箱の向こうで女性が立った。
その女性は小さかった。ブーツの底は分厚かったのに、マナミの肩くらいまでの身長しかない。
欠伸をして、そして後頭部を触って、こっちを見ている。
その女性も、マナミとスズメも、なにも言わない。
謎の沈黙。
それは三秒くらい。
そしてその後。
女性は不敬にも賽銭箱の上に跳び乗り、両手を腰に当て、いたずらな目で二人を見下して言った。
「私が天神さんだ」




