出会い
「あ!」
声を発したときは時すでに遅く
ガラスのコップが、スローモーションで
落ちていき、床に触れた瞬間
粉々に砕け散ってしまった。
がしゃんという騒々しい音とは裏腹に
砕けたガラスの欠片たちは、光を吸い込んでキラキラと輝き、美しく床に模様を描いた。
中学生の私は、ある日
ガラスのコップをわってしまった
形あるものが砕け散る瞬間
なんて美しいのだろう
割れた破片を恍惚とした気持ちで拾い上げ
欠片を日に透かす。今まで透明で
向こう側が見えていたのに、もう
向こう側を見せてはくれない。
代わりに、いく筋も白い模様が入っている
まるで蜘蛛の巣みたいに。
指先から、赤いものがしみだし、
それは丸い珊瑚のようにぷっくりと
形を変え、やがてとろりと指を伝う。
赤い珊瑚が次々と浮かぶ
私は生きていると感じた。
私の中にも命があるのだ
いてもいなくてもいい存在に
温かい血が流れている。
不思議といたみは感じない。
ただ、ガラスがくだけちっていく
美しい光景が見たくて、私は棚に入っていたガラスのコップを次々に割った。
すべてのコップを割ってしまうと
なんだかとってもすっきりして、
今までのモヤモヤも何もかも
ガラスたちと共に砕け散った気がした。
帰宅してきた母親は、取り乱して
なぜ?なぜこんなことを?
って何回も聞いた。
私はただ、きれいだと思っただけなのに、
それがわるいことだったの?
母は、私がおかしくなったと思ったらしく
病院へつれていった。
医者は受験のストレスだろう
ストレスで衝動的にやってしまった
とか、いい加減な事を言って、
黄色や白の薬を処方した。
それから回りの大人たちは、
壊れ物を扱うように私を扱った。
別に私はおかしくなってなんか
いないのに、何故こんな風にびくびくするのか 、
わけがわからなかった。
大人たちがそんなだから、同級生たちも
私から距離をおくようになっていった
それから、私はずっとひとりだった
でも、別にそれが苦痛だったこともない。
自分をわかってもらうために
色々するのが面倒だったし、
一人で空想の世界にいる方が
よほど気が楽だった
空想の世界は自由で、誰も
私を変だなんて言わないし、
大人たちもいない
それは、素晴らしいじゃないか
大人たちは、いつだってそうだ。
自分の理想に子供を押し込めて
そこからすこしでもはみ出たら
わあわあ騒いで。
人間、例え親子だってひとりひとり
違うのだ。
ちょっと変わったことしたって
話を聞くくらい必要じゃないの?
私は結局、学校へはほとんどいかないまま
いつの間にか18才になっていた。
世間から見れば、不登校の引きこもり
というところだろうか。
まあ、どうでもいいことだけれど。
少し空いた窓の隙間から、春の爽やかな風が
吹き込んでくる。
私はなんとなく疎ましくて
窓辺に近づいて窓を閉めようとした。
ふと見上げると、吸い込まれそうな青空
閉めようとした窓をがらりとあけた。
空は青く澄みわたり、太陽が
すべての生きとしいけるものへ
恵みの光を注いでいる。
下を見下ろせば愚かな人間たちが
あくせく自分たちのことで精一杯になっている。
あんなに必死になって、なんの意味が
あると言うのだろう。
「人間なんてほろびればいい。」
ありんこみたいな色したスーツ姿の
人々がありんこみたいに足早に歩くのを
見ながら、ぼんやり思う。
くだらない。
でも、私も充分くだらない。
ずっと一人なんだし、いらないじゃん
私が一番はじめに消えるべきなんだ。
私はベランダの柵に手をかけた。
父や母だって、私なんかいない方が
気が楽だろう。死んだその時は
悲しむかもしれないけど、そんなの
すぐ忘れる。
私から解放してあげるよ
迷うことなく足をかけ
私は宙へ浮かんだ。
あと数秒あとには、
あのガラスのコップたちのように
私は粉々になる
真っ赤な生きている証を
撒き散らすのだ
私は気の遠くなるのを感じながら
そう確信していた。
世界にサヨナラした
…はずだったのに
ヒタヒタと頬を叩かれる。
目を開ける
目の前に、顔がある。
透き通るような真っ白な肌
涼しげな目元に冷たく通った鼻
唇は桜色で口角がきゅっと
あがっているのが印象的だ
ラフにちらした漆黒の髪が、
その整った顔立ちをさらに引き立て
そこらへんのアイドルなんかより
ずっと魅力的だ
Tシャツにサルエル
ハイカットのスニーカー
ごく普通の若者のようなスタイル
だが、どこか品すら感じるのは
彼のずば抜けた容姿のせいだろう
だが、違和感がある
その違和感は、目だった。
その瞳はルビーのような深い赤なのだ
吸い込まれるような魅惑的な輝き
カラーコンタクトでないことは
一目見てわかった。
この透き通った瞳を人工的に
作ることは不可能だ
異形の者。
明らかに異質な存在。
死神か悪魔か。
私を迎えに来たのだろうか
その死神だか悪魔だかわからない
美しいものが、また、私の頬を叩く
ぺしん、と間抜けなおとがする
「甘いよ、きみー。まったく、
あーまーいっ!」
「は?」
予想外に明るい声でそいつがいう
「そんな簡単に人は死ねないんだよ」
無邪気に笑いながら髪をかきあげる
隠れていた耳が露になって、
その耳がツンととがっているのが
みえる。
「きみの炎はね、残念ながらまだ消えないんだ」
ぱちんと指をならすと何もなかった
はずの彼のてに、モニターが現れる
そこにはいくつものキャンドルが
うつしだされている。
細長いもの、太く短いもの
赤いもの、しろいもの
模様が入ったもの、さまざまな形の
蝋燭に火がゆらゆらと点っている
炎も勢いよく燃えるもの
静かにたゆたうもの
今にも消えそうなもの
実に様々だ。
件の悪魔は、モニターを器用に操って
そのろうそくたちの一つを
ズームアップする
「ほら、これ、きみの。」
ひとつの蝋燭を指差す
繊細に彫刻を施したように
模様が入った白い蝋燭に
炎が揺らめいている
「ね?火きえてないっしょ?」
ぱちんと再び指をならすと、
モニターが煙のように消える。
こいつは、死神?
昔童話で、命のろうそくの話を
よんだことがある。
死神が、消えそうなろうそくの持ち主
のところへ出向き、枕元に立つ。
するとその人は死ぬ。
死神の助けをするはめになった
人間のはなしだったような。
「だから、自殺なんてしても、死ねないよ」
ざまあみろといわんばかりの
笑顔で私を見る
笑った口元からちらりと白いものがのぞく
歯かと思ったが、八重歯と呼ぶには
長すぎる。キバと言った方がふさわしいだろう。
「君、変わってるなあ」
興味深そうに私を観察する
「普通の人間は、この姿みたらそれだけでびびるんだけどー?」
ニヤリと笑う。笑うと尖った歯がみえる。
ああ、そうか。こいつは吸血鬼なのか。
「私の血をのむの?」
くれてやっても惜しくない血だ。
「ふふ…血はいらない。そんなの飲むのは下等な奴らさ。」
不適に笑いながら、誇らしげに
やつが言う。
血を吸い尽くされて、
ミイラのように命つきるのも
一興だとおもったのに。
私は内心がっかりした。
「ま。そんなことより。きみはさー」
地べたと思われるとこに
座ってる私の目線に合わせて、
となりへぺたりと座り込む
間近でみると、その美しさは
いかにも異常で、怖いくらいだった
「さっきから落ち着き払ってるけど、
ここどこかわかってんの?」
不思議そうに私の顔を覗き込む
言われて、周りをみまわす
真っ暗な闇に、燭台が無数に並んでいる
どこかの通路だろうか?
床や壁は、無機質な感じで、
温かみを感じない。
その突き当たりに、ここには
不釣り合いな古めかしい扉がある
私たちは、その扉の真ん前にいた。
「何ここ?」
どう考えても普通ではない。
地獄の入り口だろうか。
「僕たちの世界と君たちの世界をつなぐ道」
「みち?」
「そうだよ、この扉の向こうは僕たちの世界。普通の人間は入れない」
扉をたたきながらいう。
「人間たちがあの世とか、天国地獄とか色々よんでる、あそこだよ」
「で、僕は水先案内人兼死神ってとこ?」
パチンとゆびをならして、
またモニターを表示させる
「君は何かの手違いでこんなとこまで来ちゃったみたいだね」
モニターに何が書いてあるのか
さっぱりわからなかったが、
私の寿命でもかいてあるのだろうか?
ぽりぽりと頭を書きながらしばらく
モニターとにらめっこしていたが、
ふと、彼の手が止まる
「へえ…なるほど」
ちらりと目線をこちらへむける
その赤い瞳がきらりと光る
「だからか…」
ゆっくりと私の顔に触れる
その指が意外にも温かくて
驚いた
「すげえな…ほんとにいるんだ…」
なんだかわからないけど、
やつは何やら私になにかを
見いだしたようだ
私の瞳をのぞきこんでくる。
そのまま吸い寄せられるように
…キスをされた
あまりのことに、
私は身動きも出来なかった
「ん!」
とりあえずそいつの腕を掴んで
引きはなそうとした…でも、
体に力が入らない。なんだろう
まるで、何かを吸いとられているようだ
あ、そうか、こいつが私の中の何かを
喰らっているのか。
「げ!やべっ!」
薄れる意識のなかで、焦った顔の
やつが見えた。
何が?と聞こうとしたけど、
口が思うように動かない。
私はそのまま、やつの胸にたおれこんだ
そのあとは、完全に暗闇になった。