<80> エピローグ
ルーデンスが帰還したとの知らせを受けて、ナテルは飛び出すようにして己の私室を後にしてエントランスへと入る。
そこには上半身は裸で、彼の服に身を包んだナナエを抱き上げるルーデンスの姿があった。
オラグーンの者も知らせを受けたのか、次々と顔を見せている。
「ルーデンス様」
ナテルがそう声を掛けると、ルーデンスは酷く疲れた顔でにやりと笑って見せた。
そして数歩歩み寄ると、すっかり寝入ってしまっているナナエをナテルに預ける。
「ナナエに、なにをした」
セレンの厳しい声に、ナテルも慌てて状況を確認する。
…現在、ナナエもルーデンスも言うなれば半裸状態だ。
ナナエはルーデンスのシャツとフロックコートに身は包んでいるものの、その裾からは素足が大きく露出している。
誤解するなというほうが無理ないでたちだ。
セレンが怒気の篭った表情で近づいてくるのを見て、ルーデンスは顎を挙げ鼻を鳴らした。
「”した”のではなく、”された”のですよ」
ばかばかしいと言った感じでルーデンスは髪をかきあげる。
しかし、セレンは納得の行かない顔をしたままだ。
「魔力を限界まで抜かれ、冷たい水の中に投げ出されたんですよ?挙句、泳げないと言うナナエを岸まで連れて泳ぎ…やれ服を乾かすだの、濡れて寒いだの文句を言って魔法を使って。林の半分を吹っ飛ばして、小火騒ぎを起こして。その後始末をした上に、魔法使い過ぎで疲れたとか言って寝入ったナナエをここまで、運ぶという行動を”した”と言うなら”した”のでしょうが」
吐き捨てるようにルーデンスが言うと、パーリム大公のほうから笑いが漏れる。
「まぁ、欲望をむき出しにして”つやつや”したと言うよりは、明らかに迷惑を被ってげっそりと言った方がピッタリですね」
「だからナナエさんは魔法禁止なんですよ…」
大公の言葉に、リフィンが苦笑しながら頷く。
やっとのことで駆けつけた侍女がルーデンスにマントを羽織らせた。
出て行ったときとは違い、今はみな少しばかり表情が明るくなっている。
「疲れました。もう休みます。…ナナエは連れて帰るなら明日以降がいいでしょう。彼女も疲れています。休ませて上げてください」
そうルーデンスが言うと、セレンやリフィン、それにトゥーヤもはっとしたように顔を上げた。
そしてマリーやカイトの顔はパッと明るくなり、大公はやれやれと言った感じで肩をすくめてみせる。
「それからナテル。至急リーセッテ嬢に連絡を入れて、魔力遮断器を用意してもらいなさい。このままだと明日も城の者が倒れる羽目になりますよ」
そう言った後、今度は収穫祭終了に関わる残務の指示を文官たちに与える。
疲労の色は濃かったが、なぜか晴れ晴れとしたルーデンスの顔を見て、ナテルはホッとした。
ナナエを帰すことにした心境の変化は理解できなかったが、恐らくナナエと出した結論だったのだろう。
それならばナテルに言うことは何もなかった。
あとは2人の望むまま、動いてあげれば良いだけだった。
しかしその前に、っとナテルは部屋に戻ろうとするルーデンスを呼び止める。
「ルーデンス様、お休みになる前に一応耳に入れたいことが…」
そう言うとルーデンスは訝しげに見返してくる。
本当は明日にしたほうが良いことなのかもしれなかったが、内容が内容だけに一応耳に入れておく必要があるとナテルは判断した。
「なんですか?」
「ええっと、ナナエ様が転移の魔法を使われた時なんですが」
「はい」
「衝撃で廊下の一部と広間の壁が吹っ飛びました。怪我人が兵士だけでなく貴族諸侯にも出ています」
「………転移の魔法の発動時に衝撃があるなんて聞いたことがありません」
「俺もないです」
「…………貴族連中には見舞いの品を至急出しなさい」
額に手を当て、ガックリとうな垂れながらルーデンスはそう言い、その後すぐに振り返りセレンを見た。
「修繕費、請求しますから」
今度はセレンがうな垂れる番だった。
目を少し開けると、視界にいつもの天井が飛び込んでくる。
すっかり寝入ってしまっている内に、城まで戻ってきたようだった。
二日酔いで頭がガンガンする。
痛む頭を押さえながら「う~…」と呻いてみせるとその視界に黒い影が入り込んだ。
「お目覚めですか?」
その人物をはっきり認識するとナナエはホッとした。
昨日のことは夢ではないと確信すると笑みがこぼれる。
「トゥーヤ、頭、いたい~~」
甘えるようにナナエがそう言うと、トゥーヤは酷く呆れたような目でナナエを見た。
その表情がとても気安く自然でナナエは嬉しかった。
「よく考えもせず、馬鹿みたいに飲むからです」
「注いだトゥーヤが言うな」
「自己責任です」
「折角久しぶりにゆっくり話せるのに、冷たいなぁ」
「…お水、飲んでください」
苦笑しながらコップを差し出すトゥーヤはやっぱり優しかった。
ナナエが体を少し起こすと、そこにクッションを挟んで水が飲みやすいように配慮をする。
そんな細やかな気遣いが懐かしい。
「朝食は食べれますか?」
「ん~…もう少し寝る」
「朝食は食べれますか?」
「寝る」
「朝食は…」
「わかった!わかったわよ!起きる!起きればいいんでしょ!!」
前言撤回。やっぱり優しくなかった。
ナナエが渋々床に足を下ろそうとするとトゥーヤは「そのままでお待ちください」と居室の方に消えた。
そしてすぐに、朝食を載せたトレーを持って戻ってくる。
そんなトゥーヤの後ろをティーセットを持ったマリーが追ってくる。
「マリー!」
「ナナエ様~~~!!」
感動の再会っといった感じでひっしと抱き合うと、マリーは少し涙ぐんでいるようだった。
それにつられて、ナナエも目頭が熱くなる。
「ナナエ様、こうしてまた会えてよかったですぅぅぅ」
「マリー、私も会いたかった!!」
ひとしきりそうやってお互いの無事と再会を喜んでいたら、むんずとマリーの首根っこを引っこ抜かれ、トゥーヤによって無理やり引き剥がされた。
ナナエとマリーが抗議の目で睨むと、殺気が篭ってるんじゃないかと勘違いしそうなほど鋭い目で睨まれ、2人で震え上がる。
「お食事が冷めてしまいます」
そう言ってナナエの目の前に朝食を置き、ベット脇の椅子の位置を整え、腰掛けた。
そのまま、おもむろにスプーンを持つと、その手にしたスプーンでトーヤはスープを静かに掬う。
そして左手を添えてナナエの口元に運んだ。
「…自分で食べれるけど」
ナナエは眉をひそめてそう抗議したが、トゥーヤは無表情に固まったままだ。
病人でもないのに何故食べさせてもらわなければならないのかが分からない。
しかし、このままでも埒が明かなさそうなので仕方なしにナナエは口を開いた。
───ブーーーーーーーーーーーーーーーーッ
口に入れた瞬間、その味覚を刺激する余りの衝撃に吐き出す。
目の前では非常に迷惑そうなトゥーヤの顔。
「これ、食べ物じゃないDeath。食ったら死ぬって意味のDeath」
「エーゼル国王陛下からの差し入れです。滋養強壮に良く効くらしいです」
「…報復か!報復なのか!!」
「ナナエ様自家製だそうで」
「………ブーメラン痛い」
思わず頭を抱えて涙する。
この時の為に隠し持っていたのかと思うと恐ろしい。全部その場で飲ませていたはずなのに!
(ルディ、恐ろしい子…!)
「あ、そういえば」
ふと、ナナエは思い出したように首から下げていた小さな皮袋を胸元から取り出した。
昨日の湖での寒中水泳の為か、皮袋は少し汚れてしまっている。
「これこれ、これマリーにあげようと思って」
皮袋から取り出した髪飾りを手の上に乗せて、ナナエは身を乗り出すようにしてマリーに見せた。
それを見るやいなや、マリーの顔がパーッと明るくなる。
「これ、あのアケードにある宝飾店の新商品ですよね!?」
「あー、そうかも?」
「めちゃくちゃお高いんですよ~!どうしたんですか、これ!」
「えっと…ルディに買って貰った、ってことになるのかな。私はこれの耳飾を持ってるんだけど、お揃いで買ってもらったの。マリーにあげようと思って」
「ええっ!!?ホントに?ホントにいいんですか??」
ナナエがにこにこ笑いながら頷くと、マリーは更に興奮していた。
早速そのまま受け取り、髪に着け、くるっと回って見せた。
そのはしゃぎようが年相応で、何とも可愛らしい。
ふと、トゥーヤがナナエに向って左手を差し出しているのに気付いた。
(ふむ…)
そのトゥーヤの左手の上に、自分の右手を乗せてみる。
…叩き落とされた。
「すみません、お土産マリーにしか買ってません」
そう言うとトゥーヤは微妙に口元を尖らせたような気がした。
その微妙な表情がとても好ましく思え、ナナエはサイドテーブルの引き出しから宝石箱を取り出す。
そこにはルーデンスから贈られた薔薇の形に加工されたガーネットの耳飾が一揃い入っている。
「ホントは人から貰ったものをあげるのはダメなんだけど…ほら、こうして」
ナナエはその耳飾を片方トゥーヤに渡す。
そしてもう片方を自分の耳につけた。
「これで、どう?半分こずつ。ピアスタイプだし、小さいからそんなに目立たないよ?」
そう言って髪をかきあげて見せてみると、トゥーヤは凄く微妙そうな顔をした。
やっぱり駄目か、と苦笑すると、マリーが面白そうに意味深な笑いをする。
「ナナエ様がエーゼル国王からいただいた物を頂くわけにはいきません」
そう言って丁寧に返して来る。
仕方が無い、お金もないし、働いて別のを買うか…と思ったときに気がついた。
急いで戸籍登録証を引っつかんで裏面を見る。
──職業:ニート
「キタコレ!」
思わずガッツポーズを作る。
やはり、城で何不自由なく生活していればニートになれるのだ!
首輪もないから【奴隷(研修中)】ともおさらばだ!
久々のニートの文字ににんまりしつつ、ナナエは戸籍登録証に頬擦りをした。
ひとまず、馬でライドンまで帰ることになった。
久々の帰還にナナエも上機嫌である。
気になっていたディグの様子も見に行きたいと鼻歌まで歌っている。
「寂しくなりますわ」
リッセが名残惜しそうにナナエの手を握った。
その横で、ナテルはにこにこしている。
「ナナエ様、良かったですね」
「良かったもなにも、ナテルが連れてきた張本人のパートナーだけどね!」
「…すみませんでした」
ナテルは苦笑すると胃の上を押さえる。
ここ何日かでナテルの胃は壊滅的なダメージを受けたらしい。
そんなナテルの為に、”ナテルの部屋に超強力胃薬を一ヶ月分調剤してこっそり置いてきたから毎日1本ずつ飲んでね!”っと言ったら、ナテルの顔が心なしか青ざめたように見えたが、ナナエは気にしない。
馬に乗れないナナエは必然的に相乗りになるわけだが、ここは専属執事としてもちろんトゥーヤにお任せだ。
手を引かれるまま馬に乗り、ストンとトゥーヤの腕の中に嵌るような形になる。
それを見たルーデンスはかなり不機嫌そうな顔をしていた。
「…賭けの話ですが」
と、突然ルーデンスが言い出す。
きょとんとして見返すと、ルーデンスは言葉を続ける。
「私が賭けに負けたら、ナナエの執事になるという条件が果たされてません」
「……冗談ですし」
なおも食い下がろうとするルーデンスを、ゲインがマントの首の辺りを引っつかみ、阻止する。
どこの世界に執事になりたがる王が居るというのか。
すこし考えてみて欲しい。
と言ったら、”ここの世界です”とか真面目に言われちゃったのでナナエは聞かなかったことにした。
ルーデンスはあれで居て妙な方向に真面目だ。
いつか本当に出奔してきて”執事になる約束を果たしに来ました”とか言っちゃいそうで怖い。
まぁ、流石にそれは無…いこともないかもしれない。
ゲインとナテルがしっかり手綱を握っていてくれることを願うばかりである。
王城を出て、のんびりと馬を歩かせながらトゥーヤによっかかり、ナナエがうとうとしていた時、不意にトゥーヤが口を開いた。
「ナナエ様」
「ん?」
「これを」
手のひらの上に乗せてナナエに差し出したものは三日月の形に加工されたサファイアの小さな耳飾だった。
何故か片方だけである。
「私が用意しました。半分はお土産として頂きます」
そう淡々とトゥーヤが告げる。
よく見れば、トゥーヤの右耳にはすでにそれと同じ耳飾が付けられていた。
なるほど、と思い「ありがと~」と受け取って、ナナエはその耳飾を左耳につける。
右耳にはマリーの髪飾りとお揃いの薔薇の耳飾り。
余った左耳用の薔薇の耳飾は、マリーにまたあげようとそっと皮袋にしまった。
後日、マリーに薔薇の耳飾を”お揃いで着けよう!”とナナエが手渡そうとしたら、全マリーが拒否した。完全拒否である。
「番の耳飾りを分けるのは、番だけですーーー!!」
───…………ナンデストォォォォ!
第1部のエピローグでした。
長い間お付き合いありがとうございました。
続編は【それでも私はニートになりたい。 履歴書2枚目。】です。
よろしかったらそちらもお付き合いください。




