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<79> 約束。

何が起こったかルーデンスは一瞬判断が遅れた。

その一瞬で勝負が決まったようなものだった。

ナナエが強引にルーデンスを引き寄せ、皆の前で口付けた。

その瞬間だった。

ガクンと急激に魔力の抜かれる感覚が、まるで貧血を起こしたかのようにルーデンスを襲った。

抵抗する間もなく、どんどんと抜かれる魔力。

一瞬で目の前が真っ暗になり、ルーデンスはふらついてナナエに体を預けるようにして膝を着いた。


ルーデンスの魔力はナナエ自身の魔力と混ざりあって、恐ろしいほどの力となり、ナナエの中で渦巻いている。

そんな押しつぶされるような魔力の気配が、密度がナナエの体中を苛んだ。

それでも、ナナエはソレを止めることなく、ルーデンスの魔力をその身に受け入れ続けた。


それはまるで風船のように。


膨らむだけ膨らんで。



そして、弾けた──。




ビシッッッ。




何かが裂ける様な激しい音がしたと同時に、ナナエの首に嵌められていた魔道器が弾けとんだ。

そしてそれに続くように、アンナからもらった指輪も砕け散る。

廊下にはむせ返るような魔力の香が充満し、その余りの強さに、マリーや魔力の低い兵士たちが意識を失い、崩れ落ちた。


──壊れないものはありませんわ。どんなに高度な技術もそれ以上の負荷があれば壊れてしまいます。


リッセが教えてくれたのだ。

壊れないものは無いと。

どんなものでもそれ以上の負荷を掛ければ壊れてしまうと。


これは賭けだった。

ナナエ自身の魔力を溜めるために、まずルーデンスに魔力を抜かせない様に挑発した。

そして、ここぞと言う時にルーデンスの傍に居る必要があった。

自分の魔力を耐えれるだけ溜め、かつルーデンスから魔力を奪い、その結果、首輪を破壊すると同時に、ルーデンスの動きを封じる。

ここまでが全てナナエが思い描いたとおりに上手くいった。


廊下では崩れ落ちた兵士やマリーたち、そして余りの魔力の密度に当てられ、辛そうに膝を折るセレンやリフィン、トゥーヤ。

ただ一人、魔力の影響を受けないナテルだけがその状況に声を失い、青ざめて立っていた。


外ではフィナーレを告げる花火が山場を迎えている。

後一手でナナエはルーデンスに勝つことが出来るのだ。

ナナエには確信があった。


体中を苛む己の魔力と、ルーデンスから奪った魔力。

あとは、これを使えばいい。


「ナテル」


ナナエは跪き、ルーデンスの体を支えるように抱きしめながら、ナテルに声をかける。

その声にナテルはハッとした様にナナエと視線を合わせた。


「ナナエ様、ルーデンス様は…」


そう言うと、ナナエは少しだけ苦笑して小さく頷いた。

そして、そのナテルの言葉にルーデンスが少し反応を見せる。

あれだけの魔力を抜いたのに、そして、これだけの魔力の密度の中で体を動かせるのは、まさにルーデンスの精神力と体力が抜きん出ているという事だろう。


「…大丈夫、です。酷く…疲れて、立ち上がるのが億劫なだけで…」


そう呻くようにルーデンスが言うと、ナテルは明らかに安堵の息を漏らした。

そうして急いでルーデンスに近寄ろうとしたところを、ナナエが手でそっと制すようにして首を振った。


「ナテル、ちょっとだけここから逃げるね。ちゃんと帰ってくるから、待ってて」


ナナエは軽くウインクすると、ルーデンスを抱きしめたまま、小さく”転移”と呟いた。









──バシャーーン!!


激しい水音と共に、ナナエとルーデンスは冷たい水の中に放り出された。

その冷たさで一気に酔いがさめる。

むしろ心臓発作を起こしそうな勢いだ。


「はっぶっ…なっ…なんで…水の中ーーー!」


手をばたばたさせて必死にもがくと、目の前にはだるそうに、そして酷く呆れた顔でナナエを見ながらゆったり力を抜いて水に浮かぶルーデンスの姿があった。


「あれだけ酔っ払って、転移の魔法なんて使えば…どこに出るかなんてわかりませんよ」

「うわっぷ…ちょ…ドレス、重い。お…おぼれるっ…しぬぅぅぅ」


ナナエが相変わらず手足をばたばたさせていると、水にぬれたドレスが余計に絡まり、足にまとわりつく。

ルーデンスは呆れた顔でため息をつくと、体勢を変えて、ナナエの後ろから抱きつくように支えた。


「ドレス、脱いでください」

「だが、断る」


ルーデンスの言葉にナナエは即答する。

淑女のたしなみとして、人前で下着になるなどもってのほかである。


「そのままだと死にますよ」

「脱ぎます」


淑女よりも命。”いのちだいじに”一択だ。

ルーデンスに支えられながら悪戦苦闘してなんとかドレスを脱ぎ捨てる。

すると先ほどよりも手足が自由に動き、ずっと楽になる。


「こっち、見ないでね。襲っちゃいかんぞ、男の子!」

「魔力を殆ど抜かれた上に、寒中水泳までやらされてるんです。そんな気力あるほうが不思議です」

「いや…すみません」


呆れたように言うものだから、ナナエは頭を下げるしかない。

ルーデンスは遠くに見える岸をじっと見つめ、面倒そうにぬれた髪をかき上げた。

どうやらここは城から馬で小一時間ほど離れた場所にある湖のようだった。

そうして、小さくため息をつく。


「泳ぎは得意ですか?」

「得意、得意。凄い泳げるよ、主に下方向に」

「…………」


ルーデンスは空を仰ぎ見て遠い目をした。

恐らく、星空を見てロマンチックな感傷に浸っているに違いない。


「…引いて泳ぎますから、死んだクラゲみたいに力を抜いて動かないでください」

「……はい。ご迷惑おかけします」


ボーっと空を見上げ、引っ張ってもらいながら、間近のルーデンスの荒い息遣いを聞く。

(……本当にご苦労様です)

かっこよく決めるつもりが大失敗である。

予定外だった。今頃ライドンの町に居る予定だったのに…とナナエはため息をつく。

セレンもルーデンスも当たり前のように転移の魔法を使ってるので、もっと簡単なものだと思っていたのだ。


10分ほどぼけ~っとしていたら、不意に踵が水底をすったのに気づいた。

ルーデンスも気づいたようで、水底に足をつけて立ち、荒く息を繰り返す。

そうしてゆっくり岸に近づくと、ナナエの肩が出るか出ないかの水位のところで足を止め、ルーデンスは上着とシャツを脱いだ。

そしてそのままソレをナナエに差し出す。


「着て下さい。濡れていて冷たいでしょうが、下着のまま上がるわけに行かないでしょう」

「下着のままがダメって、上半身裸の人に言われても!」

「いらないんですか?」

「いります、いります」

「全く……」


ルーデンスはため息をついてナナエに上着を渡すと、そのまま岸に上がり、力尽きたように草地の上に仰向けに寝転がった。

シャツと上着を着込んだナナエがルーデンスのすぐ傍までやってきてしゃがみこんだのを確認すると、酷く恨めしげな視線をナナエに向けた。


「魔力を抜いた上に、この寒い中泳がせるなど、私を殺す気ですか」

「誤解です。なにやら著しく誤解が生じてます」

「普通なら死んでます」

「デスヨネー」

「やっぱり殺す気だったんですよね?」

「誤解だってば…むしろルディが泳げなかったら2人仲良く死んでたし。わざとだとしたらそこは”殺す気ですか”じゃなくて”心中する気ですか”これが正解だね!」

「……先ほどから」


ボソリとルーデンスが小さな声で言う。


「ん?」

「ナナエが元気です」

「へ?元気だけど…?」

「テンションが高すぎませんか?」

「…まぁ、自由っていいよね」


ナナエがそう言って笑うと、ルーデンスは苦笑した。

ルーデンスは仰向けのまま、左手でそんなナナエの右手をそっと握った。

見上げた空には一際大きな花火が見える。

収穫祭フィナーレの最後の花火だ。


「もう、収穫祭が終わります」

「うん」

「結局、私からは逃げませんでしたね」

「うん」

「でも、城からは逃げた」

「うん」

「……ナナエの勝ちです」


そう言ってルーデンスは右手の甲を目の上に乗せるようにして瞼を閉じる。

ナナエは手持ち無沙汰なのか、握られた右手を軽く持ち上げると、左手でルーデンスの指をなぞるようにして撫でる。


「私のツメが甘かったのでしょうね」

「あはは…私の作戦勝ちだよ」

「全く、魔力が抜けなくて困ってる人間が、魔力をわざわざ吸うとは思わないでしょう?」

「ふっふっふ!…でも、もう二度とやりたくないな~。凄い苦しいもん」

「でしょうね。無茶をしすぎです。死にますよ?」

「無茶しなきゃ、勝てなかったでしょ」

「そう…ですね」


右手の指の隙間からルーデンスがナナエを見ると、ナナエは視線を合わせにっこりと笑った。

その笑顔を見て、ルーデンスも口元をほころばせて笑う。

(…本当に敵わない)

ナナエの行動はいつも予測不可能だ。

怒るかと思うと泣いてみたり、泣くかと思えば笑ってみたり。

ダイエットと称してやらかした数々の失敗や、バリエーションに富んだあの薬剤。

そういえば一つとして同じ味はなかった気がする。

挙句の果てに、ルーデンスから逃げたらリーセッテを殺すと言えば、拐かした張本人のルーデンスを連れて逃げ出すなど…。

それらを思い出せば出すほど、更に笑いがこみ上げて、ルーデンスは声を上げて笑った。

これだから手放し難く思ってしまうのだ。

だが、手放さなければナナエの良さを奪っていくことになることも分かっている。

そして、ナナエとルーデンスとの勝敗はもう決したのだ。


「負けてくれてありがとう」


ボソリとナナエが笑みを浮かべたまま言った。

嫌われたり、罵られる覚悟はしていたのに、返ってきた言葉はそんなまっすぐな言葉だった。

ルーデンスはこの一月の間何度も、傷つけることを言ったし、嫌がることも平気でしたし、あまつさえ人を盾に脅したりもした。

それでも、ナナエは常に真っ直ぐにルーデンスにぶつかってきた。

自分の身分や力を使って無理やりナナエを従わせていたルーデンスは、最初から己の身一つでぶつかってきたナナエに、結局のところ、最初から負けていたのかもしれない。


「礼を言われるようなことじゃありません。負けるつもりなんてなかったんですから」

「うん。でも、負けを認めてくれた。だから、ありがとう」

「…少し休んだ方がいいです。ナナエも疲れているでしょう?」


照れ隠しのようにルーデンスがそう言うと、ナナエは小さく”うん”と言って、ルーデンスのすぐ隣に体を丸めるようにして横になる。

繋いでいた右手の体温が妙に心地よく感じて、ナナエはその腕に頭を擦り付けるように、絡めるように抱きしめた。


「ナテルは心配しているでしょうね」

「大丈夫、”ちゃんと帰ってくるから待ってて”って言ったら頷いてたから」

「…死んでたらどうするんですか。十分可能性はありましたよ」

「だから、それは想定外だったんだってば」

「……もう、無茶はしないでください」

「うん」

「約束ですよ?」

「あはは…わかったってば」


ルーデンスは体の向きを変えてナナエの方をそっと向いた。

ナナエの頬にかかっている髪をそっと手で払ってやると、ナナエはくすぐったそうな表情で上目遣いでルーデンスを見る。

そうして幾ばくかの間が空いた後、ルーデンスはそっとナナエを抱き寄せた。


「襲っちゃいかんぞ、男の子」

「…そんな気力はないといったでしょう。それに、無理強いするつもりは無いと最初から言っているではないですか」

「うん」

「しばらくこのままで。最後でしょうから」

「…うん。ごめんね」


その”ごめんね”が何に対しての”ごめんね”なのか。

ルーデンスは深く考えるのを放棄した。

そして、ナナエの頭を抱きこむようにしてゆっくりと目を閉じた。


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