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<77> 詭弁。

ルーデンスが広間を退出すると、静まり返っていた場内がだんだんと元の和やかなムードで包まれるようになった。

騒ぎの中心のルーデンスとガルニア兄妹が居なくなったということで、貴族たちの間でも噂話や憶測が飛び交い、かえって賑やかなぐらいだ。

広間の端では演奏家たちが音楽を美しく奏で、中央では華やかに貴族たちによるダンスが始まっていた。

それを見てほっとしたのか、上座にいたナテルが青い顔をしてナナエたちのところまで戻ってきた。


「胃痛だけで死ぬかと思いました…」


相変わらず衣装負けした様子で、肩をがっくり落とし、背中を丸めている姿は、もはやただのコスプレである。

ナナエはそんなナテルに「いや~馬子にも衣装ってこのことだね!」とかからかい、ゲインもその様子におかしそうにくつくつとのどを鳴らしていた。

そんなナテルの姿を見て赤くなってポーッとしてるのはリッセぐらいである。


「ナテル殿下、とてもお素敵でしたわ」

「そっか、殿下か。よっ、殿下!」

「敬意のかけらも篭って無い呼称になってなってますよ、ナナエ様」

「敬意は篭って無くても愛は篭ってる…うん、きっと。というか殿下が私を様付けじゃ不味いんじゃないの?」

「そうですかね?」

「…いいんじゃないでしょうか?」


首をかしげながら話すナテルとナナエにディレックが苦笑しながら言う。

そしてふと、リフィンが心ここにあらずといった感じで顎に手を当てているのに気づいた。

(…そういえば、リフィンさんは完全アウェーだった。気づけ自分…)

ナナエは、なんて声を掛けようかと、とりあえず悩んでみる。

しかし、すぐ隣ならまだしもナテルを挟んでいるため適当な話題が思いつかない。

…仕方が無いので再びシャンパンを手酌しつつ一気に呷った。


「ナナエ様…」


すぐ右隣で、ナテルが大仰に嘆息したのに気がついてナナエが視線をやると、思いっきり呆れたような顔で見られていることに気づく。


「…どうしたの?」

「給仕の者がちゃんと居ますから…手酌、アウトです…」

「だって…給仕待ってたら好きな時に飲めないじゃない」

「それでも待ってくださいよぉ~…何度も言ってるじゃないですか」

「ナナエさんに言っても無駄ですよ。今まで私たちが何度言ってきたと思ってるんですか…」


ナテルとナナエの会話にそう言って入ってきたのは、苦笑を浮かべているリフィンだった。

アウェーが敵に寝返った瞬間である!


「だってさ~ちまちま飲むのって性に合わなくて…」

「執事が甘やかしすぎましたからね」

「別にトゥーヤは甘やかしてないです~」

「甘やかしては、いませんね」


そんな声と共に、不意に斜め後ろから手が伸びてきて、ナナエのグラスにシャンパンを注いだ。

ナナエは”待ってました!”とばかりにそれを一気に飲み干す。


「酔い潰して転がしておいたほうが、後片付けが楽なんです」


ナナエがにこにこしながらグラスを持ったまま振り返ると、案の定トゥーヤがシャンパンのボトルを持って立っていた。

いつもと違い、黒のフロックコートに身を包み、貴族然とした優雅ないでたちだ。

急に現れたトゥーヤに平然としているナナエとは違って、ゲインやナテルは驚き、顔をこわばらせ、警戒を強めたようだった。

しかし、当の本人は差して気にも留めない様子で、ナナエのグラスに再びシャンパンを注ぐ。


「やっぱりトゥーヤが居るとわんこ酒状態でいいね~」


ナナエはホクホクの笑顔で上機嫌だ。

それを見てリフィンはやっぱり苦笑を浮かべた。


「それが甘やかしてるって言うんです。我慢を覚えさせないとだめですよ」

「まるで犬ですね…」


リフィンの失礼な物言いにナテルが一瞬同情しかけたが、それらを物ともせずシャンパンを呷るナナエを見た瞬間、ガックリと肩を落とす。

犬と同じようにしつけが必要なのはもはや確定である。


「ナナエ様、お体大丈夫ですか?」


相変わらずシャンパンを注ぐ手を止めることなく、トゥーヤがナナエに聞いた。

口調はいつもどおりだが、ナナエは時折辛そうに表情をゆがめる瞬間がある。

しかも息も浅く早い。

本人は気を使われないように押さえているようだが、トゥーヤにはとても大丈夫な様には見えなかった。


「ん、ちょっと眠いぐらい。へーき」

「魔力、抜きますか?」


その言葉に、いや、その言葉の意味する所に驚いて、一瞬ナテルやゲイル、リッセやディレック、リフィンまでもがギョッとした様な表情になった。

が、トゥーヤもナナエもまるっきり動揺することがない。


「ううん。抜けないんじゃなくて、溜めてるの」

「…そうですか」

「一応痛み止めも飲んであるんだけどね~」

「…………」


その言葉を聞き、トゥーヤは黙ってシャンパンのボトルを給仕に返してしまった。

不服そうにナナエが抗議をするも、”もう十分でしょう”とトゥーヤは軽くナナエをつついてみる。

ちょっと突かれただけでもふらっとする位には、ナナエは酔っ払っていた。

さらに、”薬飲んでお酒を呷るとは死ぬ気ですか”と逆にリフィンにすらも説教をされている。

そこで、ようやくゲインが口を開いた。


「それで、どのようなご用件でそちらの御仁はいらっしゃったんですかな。そこの当然のように席に着いていらっしゃる御仁も含めて」


ゲインは背もたれに背を預け、少し胸を張るような感じで2人に問いかけた。

奇襲的にやってくるものだとばかり思っていた相手側が、こうも堂々と目の前に現れたのが理解できないといった感じだ。


「どういうつもりも何も」


そこでリフィンが苦笑しながら立ち上がった。

そうして椅子を引くと優雅に一礼をする。


「ナナエさんをお迎えに上がっただけですよ」


そう言ってナナエの席のすぐ横まで来ると、右手をナナエのほうに差し出した。

するとゲインは無言で腰を浮かせようとした。

だが、一番行動が早かったのは、意外にもナテルだった。

リフィンの手首を左手で摑むと、右手でこめかみの辺りをポリポリと掻きながら苦笑している。


「それは、ご遠慮いただけないですか?俺としてはナナエ様もリッセ様も守らないといけないので」


それは暗にナナエを連れて行かせれば、リッセが危険だと言っているようなものだった。

ナナエもそれを分かっているからか、どうしても手を伸ばすことが出来ないでいた。

しかも飲みすぎでボーっとしている為か、上手く頭も回らない。

だが、それに苛ついたのかトゥーヤがナナエと椅子の間に手を差し込むと、ナナエを強引に抱き上げた。


「やめてください。ナナエ様を行かせればリッセ様が…」

「それが、なにか?」


ナテルが押しとどめようとすると、ボソリと表情の無い顔でナテルを見下ろしながらトゥーヤは淡々と言う。

その無機質な声にナテルがビクリとして手を止めた。


「ナナエ様以外、必要ありませんので」


酷く冷たく突き放すようにトゥーヤが言うと、リフィンもそれに同意したように頷き、ナテルの手をやんわりと外した。

そして、微動だにしないナテルに変わり、ゲインが立ち上がろうとした。

しかし、何故か力が入らないようにすぐにテーブルに手をつき、かぶりを振る。


「なんだ…一体…」

「私たちが何故来たか、と仰いましたよね」


不思議そうに戸惑いながらテーブルに手をついて体を支えるゲインに、リフィンはまるで女性のように嫣然と微笑んだ。


「もちろん、あなたたちに騒がれないよう、薬を飲んでいただく為ですよ?ガルニアの王子がうまく立ち回ってくれれば出番はなかったはずですがね」


気がつけば、リッセもディレックも既にぼーっとした感じで、その妙な感じに戸惑っているようだった。

リフィンがこの円卓にやってきたのは、単に薬を仕込む為だけだったのだ。

もはやこのテーブルで薬を飲んでいないのは席を外していたナテルと食事に手をつけていないナナエだけになっていた。

ナナエはその突然の展開に戸惑い、判断を迷っているようだった。

先程促されるまま呷った酒が完全に思考の邪魔をしていた。

頭がボーっとして、襲ってくる睡魔との間で意識を保とうと頭を振る。


分かったことは、リフィンもトゥーヤもナナエを不確定要素としてみていたという事だ。

どう転がるかは分からない。

だからこそ、後でどんな誹りを受けようとも、目的を達成することを選んだのだ。

トゥーヤの言う”酔い潰して転がしておいたほうが、後片付けが楽なんです”とは、正に今のことだった。


「私たちは連れ去りに来たわけではありません。連れて帰るだけです。力づくで、ならば揉め事にもなりましょうが、正面から堂々と穏便に連れて帰るのになんの咎がありましょう?」

「…それは、詭弁です」


緊張に震える手を押さえ、ナテルはリフィンを見据えた。

しかしリフィンもトゥーヤも、そんなナテルを物の数にも数えない感じで「では」と短くいい、一礼をするとクルリと踵を返した。

その様はとても優雅でゆったりとしていて、端から見ればただ体調を崩した女性を運んでいるようにしか見えない。

ナテルはどうしていいか分からずにその場に立ち尽くしていた時だった。


「リッセを…!」


そう一言ゲインが呻くように言った。

その一言を聞けば十分だった。

ナテルははっと我に返り、弾かれるように後を追った。

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