<7>
とても不愉快な目覚めだった。
外はまだ薄暗い。
頭は痛いし、体はだるい。
胃はムカムカするし、変な寝かたをしたのか首も痛い。
しかも生温かい誰かの体温が左腕に擦り寄ってきた。
セレンは軽く目をこすると、ゆっくりと体を起こす。
「セレンさまぁ~・・・」
隣で寝ていた女が腕に手を絡ませて体をすり寄せてくるのを見て、思わず振りほどく。
ランプのか細い明かりに目を凝らしながら女の顔を確認する。
(この女は…誰だったか…)
軽く目を閉じて昨晩の記憶を手繰ってみる事にした。
ナナエの部屋を出た後、腹立ち紛れに城下町の酒場に行ったのは確かだ。
記憶が覚束なくなるほど飲んだのであろうことは推察できる。
だが、どう見てもここは酒場の客室ではないし、隣の女は平民の娘ではない。
室内はそこそこ豪華だし、女が身にまとっている夜着も上等な絹だろう。
なら、貴族の女と言うことででほぼ間違いないし、なんとなく顔に見覚えがある気がする。
自分の服にも娘の服にも特に目立った着衣の乱れはないことを確認すると、セレンはなおも擦り寄ろうとする女を避けるようにしてベッドから起き上がった。
「セレン様ぁ~私じゃご不満ですかぁ?」
語尾を延ばす話し方が一々癇に障る。
胸も腰も申し訳程度にしか隠されておらず、派手に透けて見える夜着は実に下品だ。
夜着の下の豊満すぎる胸も細すぎる腰も全くそそられない。
「不満、だらけだ」
フンッと鼻をわざと鳴らして女を見ると、女は酷く傷ついたようなそぶりを見せ顔を伏せた。
「セレン様酷いですぅ~。…でも、そんなセレン様もす・き」
っと、顔を上げた女は恥らうようにセレンを見上げた。
一瞬ゾクッとした感覚を覚えながらセレンは女から目をそらした。
「そもそも、お前は誰だ。私は側に上がることを許した覚えはない」
「わたくしの娘でございます、セレン王子」
その声に部屋の入口を見やると、見知った顔を発見してセレンは渋面になった。
宰相バドゥーシ。
色々と悪い噂の絶えないやり手の男である。
(バドゥーシの娘だと…厄介なことにならなければいいが…)
「私の娘はお気に召しませんか?」
澄まし顔でそう告げるバドゥーシに冷たい一瞥をくれてやりながら、セレンはイスに掛っていた己のマントを見つけ手際良く羽織る。
「帰る」
今日は女など抱く気分では無かった。
ただでさえ手を出そうとした女に初めて泣かれたばかりである。
おまけに友には殴られたり説教されたり。
そんな気分になるわけがない。
…辛うじてそんな気力があったとしても、だ。
(バドゥーシの娘なぞ、怖くて手が出せるか!)
女の方へは一切顔を向けず、スタスタと扉へ向う。
「私の娘は美しいでしょう?体のラインも扇情的で完璧だ。どこがお気に召さないのか理解できませんな」
そして、部屋を出ようとするセレンの前を遮る様にバドゥーシが立つ。
「これだけの器量良しです。いずれはセレン様の妃にと考えておりますが」
嫌味たらしい笑顔をセレンに向け、頑として扉の前からどこうとしない。
「私が道端で寝入ってしまわれたセレン様を発見したのも何かの縁。どうぞ、娘が待ちます寝台にお戻りを」
バドゥーシは恭しく頭を下げてみせた。
言い方は至極丁寧だが有無を言わせぬ意思を感じてセレンは嘆息をもらす。
(どう、切り抜けようか…)
バドゥーシが自分の娘をセレン王子の妃にと望んでいたのは周知の事実だった。
だからこそ、バドゥーシの娘だけは避けてきたのだ。
尻尾こそつかませないが、宰相と言う身分を使って色々とあくどい事をやっているのは十分すぎるほど知っていたし、そんな男の身内を王族の一員としてに迎え入れるわけにはいかないのだ。
ここでバドゥーシの娘に手を出せば否応無く婚儀の話が進むだろう。
ただでさえ27にもなるのに側室のひとりも迎え入れていない王子に王も王妃も誰でも言いから娶れと迫るのだ。
バドゥーシの娘ともなれば身分は申し分ない訳だから、喜んで話が進むに決まっている。
王も、王妃も全くといっていいほど危機感のない、いわゆるボンクラだから。
バドゥーシを王族の縁戚に置くことの怖さを知らない。
彼の存在を危惧していないのは現国王と王妃と、その側近だけなのだ。まさにお花畑のような頭で国を回しているのが今の政治の中枢部だ。
ガチャン!
突然の窓を割る音にバドゥーシとセレンは一瞬顔を見合わせるようにしたあと、窓を見やった。
散らばったガラスのスグ側、窓枠の所にはセレンが良く知る銀色の梟が1匹止まっていた。
「すまんな、バドゥーシ。政務の時間だ。まさか大公の使い魔を閨の中で待たせるわけにはいくまい?」
右腕を目の前に掲げるようにを伸ばし、梟を止まらせるとセレンはにやりと笑う。
するとバドゥーシは僅かに眉をひそめ、渋々と道を開けた。
「窓の修理代は大公に請求すると良い。夜更けにすまなかったな」
わざとらしくハハハとセレンは笑い声を上げながら頭を下げるバドゥーシの横を足早に通り過ぎた。
その伏した顔がふてぶてしい笑顔で彩られているのも気づかずに。
「うっわーーすっげ、焦った。ホント勘弁」
バドゥーシの館を後にして幾分小走り気味に館がみえなくなるまで離れると、セレンは地面にしゃがみこんで頭を抱えた。
「いくら意識無かったとはいえアイツに拾われるとか。とか、とか!ありえん!!」
いつもの気取った話し方はどこへ行ったのかと疑いたくなるような乱雑な物言いの王子に梟はクックックッと愉快そうに笑った。
「王子は、ほんとうにハカアナを掘るのがお好きみたいだね」
「それを言うならボケツ、だろ」
木の枝から見下ろすようにとまる梟から発せられる言葉にきちんとツッコミをいれてやる。
「わざわざボケツと言うのを避けて、遠まわしに言った僕の優しさがわからないなんて…」
「全然遠回って無い。むしろストレートだ」
「相変わらずツッコむのも好きだねぇ~。いろんな意味で。…宰相の所でも突っ込んできたの?」
「下品すぎだ、ユーリス!つか服すら脱いでない!」
「僕がなんか言うとすぐ下品な意味に取るのやめてよ~」
銀の梟から10代前半の少年のような姿になると、ユーリスはクスクスとおかしそうに笑った。
「で、突っ込むのと掘るのどっちが好きなのさ」
「…」
セレンは再び頭を抱える。
ユーリスと呼ばれた銀色の梟であった使い魔はパーリム大公、セレン王子の叔父の使いである。
変わり者の大公と同じ様に、ユーリスもかなりの変わり者の使い魔だ。本来、マスターには絶対服従の筈の使い魔なのに、かなり自由奔放。大公の命を遂行しないこともしばしば。勝手に動き回ることもしばしば。扱いにくいことこの上ないと大公自ら言わしめたほどだ。大人しくじっとしていれば天使かと見紛うほどの清廉な雰囲気と可愛らしさのあふれた姿をしていると言うのに、口を開けば下世話な話か人を小馬鹿にする事しかしない。真にもって残念な使い魔だったりする。
「…叔父上はなんの御用だ」
気を取り直してユーリスに向きなおし真面目に問いかける。するとユーリスは面白くなさそうに立てたひざに顎を乗せて唇をすぼめて見せた。
「あ~…ドゥークの軍がキリリナを占領したってさ」
さもどうでも良さそうに言った。
キリリナはオラグーンの東方にある国、アマークの都である。
(キリリナを占領したと言うことは、アマークの国王は殺されたか、捕らえられたか…。オラグーンに侵攻してくるのも時間の問題か…)
「叔父上はなんといっている?」
「動きが妙だって。そんだけ」
「…気は進まんが、お祖母さまの所に行くか」
セレンは腕を組んで嘆息した。藪蛇にならぬよう言動には気をつけなければならない。政務の話のついでに私生活の説教に移ったら目も当てられない。
「あ、ちょうどいい」
ふと、思い出したようにセレンはユーリスを見上げた。
「叔父上のところに帰る前にお使いを頼まれてくれないか?」
「ヤダ」
即答である。まぁ王子の使い魔でないのだから仕方が無いのだが。
「…アンナに会えるぞ」
「行く」
一瞬で目をキラキラさせるとユーリスは立ち上がった。
「それでは、西方の魔女殿に王都に至急戻り王子の元に馳せ参じろと伝えてくれ。むしろお前がアンナを連れてきてくれ。その方が早い」
そうセレンが言うと、ユーリスは『心得た』とばかりに闇に溶けるようにその姿を消した。